自分の“ローカル”から飛び出さないと、見えないもの『私の浅草』

内田るん 詩人・イベントオーガナイザー

『私の浅草』暮しの手帖社
沢村貞子/著

 

住み慣れた土地というのは気楽だが、ある意味では檻の中なのかも。

 

先日、初めてパリに行ってきました! 父が合気道の仕事がパリであって、フランス語を細々と勉強している私も連れて行ってあげようか?と。僥倖~。お父さんありがとう……涙。

 

30過ぎてから勉強し始めたのは、やはり親の影響か、子供の頃から憧れていて、少しでも話せるようになれば、と。そんな拙いフランス語と、カタコト英語を頼りに、花の都パリでは1人でお買い物やお茶、メトロやバスに乗り、ATMでお金を下ろしたり、郵便を送ったり、色々チャレンジしてみました。新しいこと、不慣れなことに(例:メルカリとか)普段はなかなか手を出せず腰が引けちゃうのに、フランスでなら何でか、出来てしまう。

 

これは、日本なら失敗した時に「大人のくせにそんなことも知らないの?」という目で見られるのが怖いけど、旅行者ならその土地の細かいルールに対する無知をそこまで恥じなくて済む気がするから、かも。

 

住んでいる場所のローカルなルールが守れないのは、とても怖い。私って本当に社会不適合だ…なんて出来るだけ思わずに済ませたいと思うと、ついつい自分の「勝手知ったる」場所にしがみついてしまうが、こうやっていざ「外」に出てみると、「異邦人」としての身軽さ、気軽さがあるのだな。

 

自分の生まれ育った土地を振り返ると、自分のアイデンティティを思いがけず発見できる。「暮しの手帖」で連載されていたエッセイ、「私の浅草」は、戦前の日本の下町情緒を描いた軽い読み物なのかと思いきや、フェミニズム的な問題提起をはらむ、実在した女性たちの人生の断片を生々しくスケッチした文化資料だ。

 

著者は名女優として知られた沢村貞子さん。小さい頃から気が強くて甘えん坊で、納得いかないことは絶対に飲み込めない、(戦中、左翼演劇に関わって転向を拒んで投獄されたり!)とにかく一本気で、いかにも江戸っ子、浅草っ子。

 

浮気性で男尊女卑丸出しの憎たらしい父親と、貞淑さが哀れなほどの母親が回想の軸になり、旦那に買われる浅草の芸者たちや、夫に従い家事に勤しむ長屋の妻たちの哀しみや苦労が、幼い少女の目を通して記録されていた。

 

「女なんかに生まれなければよかった!」と、幼い「お貞ちゃん」も何度も思う。女は損で、女は男より価値がなくて、女は嫌なことを我慢しなければいけない。そういうもんだ、そういうもんだと諦めてしまえば、そうツラくもない…そうだろうか?お貞ちゃんはそんな浅草のローカルルールに縛られず、周りの反対を押し切って女学校に進んだ。「女は、男に愛されることが一番の幸せ」と信じてやまない、身近な愛する人たちからの呪縛をのらくらとかわして、反対する父も根負けさせて。決めたらテコでも動かない強さが、彼女を浅草の「外」へ連れ出した。住み慣れて勝手がわかる分、無意識に自分の枠を決めてしまう狭い世界から飛び出し、自分の思う道を選んでいった。役どころのある世界は楽だけど、そこでは今の自分以外の自分には出会えない。

 

この本の中で、貞子の父は最初はいかにも憎たらしく書かれていた。「歌舞伎役者にできないから」という理由で女に生まれたことに落胆したどころか「女なんか産みやがって!」と自分の妻を責めるような、そんな非道な父親への怒りや恨みは深かったようだが、(それを文章にして誌面で吐き出したお陰もあるのだろう)、後半になると、だんだん父への憧憬をこめた表現が増え、「江戸っ子らしくサッパリしていてどこか愛嬌があって憎めなかった」「他人様を泣かせるようなことは金輪際しなかった」などの記述も、今はもう遠いところにいる父親への、理屈や恨みを超えた思慕を感じさせた。この父親も、なんだかんだ言ってこの利発で頑固で負けん気の強い、自分にどこか似た娘に一目置き、可愛がっていたのが読み取れる。

 

「家族」という究極の内輪/ローカルの中では、愛情も憎しみも、「ルール」も、一層強く感じられる。他人だったら許せることが、なぜ肉親だと許せないのか? なぜ他人様にはしないような無遠慮なことをしてしまうのか? 厳しくしてしまうのか? そこから離れてから振り返ってみると、完璧や理想を押し付ける筋合いもない、お互い、只の人間なのに…不思議だ。

 

パリ旅行、父と旅行するのは子供の頃ぶりだった。父は、私の前だと「お父さんらしくしなきゃ」と少しプレッシャーがかかるようで、いつもドジが増える(私の前以外ではそんなことないらしい)。私は父の前だと、お父さんの理想の娘になれなくて申し訳なかったなあ、という後ろめたさで、少しつっけんどんになってしまう。以前は父のそういう不手際にイライラし、父は私の辛辣さにカチンときてるようだったが、最近は「まあそんなカリカリせず」と、お互い流せるようになってきた気がする。

 

今、父には新しい家族がいて、自分の道場の門弟たちがいて、そこのルールを中心に生きている。私は自分の友人関係や選んできた道のルールの中で生きている。今はもうお互い、別の土地、別のローカルで暮らす住人なんだ。

 

私の≪浅草≫は、7歳まで住んでいた東京の端の小さな社宅型の集合住宅…今はもう無い、私のホームであり、最初の「ローカル」、世田谷区上野毛 産啓アパートのC号棟。

 

『私の浅草』暮しの手帖社
沢村貞子/著

この記事を書いた人

内田るん

-uchida-run-

詩人・イベントオーガナイザー

1982年 東京生まれ神戸育ち。イベントオーガナイザー、詩人、フェミニスト、ミュージシャンなどいろんな肩書きのある無職。20代を無力無善寺、素人の乱、など高円寺の磁場の強い店での修行(バイト)に費やし、今は草取り・断捨離・遺品整理業を個人で請け負っている。文筆の仕事も。


・Twitter:@lovelove_kikaku

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