山手線乗降客最少の駅・鶯谷は、安くて個性的な店の宝庫(1)【第7回】著:鈴木隆祐
東京B級グルメ散歩〜温故知新を食べ歩く〜

犬も歩けば棒に当たり、人も歩けば名店に出くわす。金さえ出せば、A級の食にはありつけるけれど、歩かなければ、B級のおいしさには気づかない。いざ行かん、東京B級グルメの気ままな旅へ!
――『東京B級グルメ放浪記』『愛しの街場中華』(光文社 知恵の森文庫)の著作がある筆者が、東京の旨くて安くて味のある名店を、散歩を楽しみつつ西へ東へ食べ歩く。

 

江戸のファストフードで夏でも燗酒「鍵屋」

 

ストリップではなくラブホの街
 
小学生の頃にラジオでよく流れていて、あまり意味もわからないまま真似をした歌に、笑福亭鶴光の「うぐいすだにミュージックホール」があった。クラスのマセガキにイントロの口上を諳んじているうつけ者がおり、この架空のストリップ劇場を舞台にした歌に、ぼくたちは淫靡な空想の翼を広げていた。

 

歌うは当時の浪花の爆笑王、作詞作曲は愛知出身、「燃えよドラゴンズ!」(歌:板東英二)の山本正之。ノベルティソングの天才である山本は「うぐいすだに~」と同じ1975年、間寛平が歌った「ひらけ!チューリップ」も手がけており、それら珍曲から東京人のぼくらも、日本の幅広い文化的多様性を感じ取っていたわけだ。

 

その2年ほど前、ザ・ドリフターズの加藤茶が「8時だョ!全員集合」で「チョットだけよ」のギャグを流行らせ、すでに下地もでき上がっていた。

 

その後、40歳近くになって、ようやくストリップを生で見た。年若の友人と飲む前の景気づけで、上野や浅草、渋谷や新宿、池袋の現存する小屋にかなりの頻度で通った。まだマイナーだったAKB劇場の取材をした際、そこに蝟集するファン心理も、小屋に入り浸る踊り子のご贔屓と同じなんだ――と妙に感じ入ったのを覚えている。

 

それよりはずっと前から鶯谷には来ていたが、ご多分に漏れず、風俗関連の取材が主だった。今なお、駅の北口を降りて右に回り込めば、いずれもコンパクトだが、かなり装飾過多のラブホテル群がいやでも目に付く。そして、界隈には昔ほどではないが、立ちんぼのアジア女性がおり、足早に駆け抜けようとすると、つかつかと寄ってくる。鶯谷には昔も今もストリップ小屋はないが、そのえげつない雰囲気からすれば、あっても不思議ではない気がする。

 

この一帯は上野駅に近いため、かつては出稼ぎや集団就職の人たち向けの旅館街だったと聞く。しかし、世の趨勢でこのような変化を遂げたと。鶯谷から15分くらい歩けば、常磐線の三河島駅だ。その隣駅は南千住。いわゆる山谷のドヤ街の最寄り駅である。

 

そうした人間のギリギリに相見えるエリアでは、食欲に関しても正味を重んずる。ぼくはこれまでの著書でも、たとえば吉原に近い浅草の千束通りや、歌舞伎町の老舗について書いてきた。兵たる者、腹が減っては戦ができぬものなのだ。

 

そして、乗降客が最も少ないとはいえ、いちおうは山手線の駅。今東京で最も、安くて個性的な店が奇跡的に残っているのも鶯谷だと言えまいか。その筆頭に挙げたいのが、これまで紹介したB級グルメとはいささか趣の異なる、江戸の残り香が漂う居酒屋の「鍵屋」だ。

 

 

平均点のメジャー酒に奥深さを与える燗の凄み

 

この鍵屋、東京三大老舗居酒屋に数えられている。なんにでも「三大」とつけたがるのが、徳川御三家の昔からの日本人の悪い癖だが、あとの2つは1937年創業の神楽坂「伊勢藤」、1946年創業の大塚「江戸一」。酒肴も絞り、しきたりにうるさい伊勢藤の代わりに、1927年創業の湯島「シンスケ」や、創業1905年と「東京最古の居酒屋」とされている神田司町「みますや」を挙げる人もいる。

 

鍵屋は元を辿れば、7代続いた酒屋であるシンスケ同様、江戸後期(1856年)の創業。ただ、居酒屋業態に転じたのは1949年と、中では新参者だ。ただ、昭和初期には店舗の一角で呑める、いわゆる角打ちを始めていたとか。建物は大正時代に建てられたままだ。ちなみに小金井公園内にある江戸東京たてもの園に、先代の建物も移築展示されている。

 

その晩、鍵屋に行こうと言い出したのは、今は近辺に住んでいる父だった。上野で美術展を観た足で寛永寺の脇を抜けて鶯谷まで歩き、駅で落ち合うことにしたのだ。

 

最初はちょっと気になっていた、小料理屋風の店に父を案内。レモンサワーがすこぶる旨かったが、突き出しの茹でイカとキュウリの和え物からして、味の素がふんだんにかかっており興を殺がれた。父の表情を窺っても、どうも冴えない。そわそわと次へと促すような素振りも見せるので、店を出て、言問通りに架かる歩道橋を渡る。

 

「なんだかとても古い店があったでしょ。江戸時代からやっているような……場所が思い出せないんだ」

 

ぼくは後ろを振り返り、「笹乃雪のことじゃないよね?」と元禄から続く、とはいえ近代的な構えの豆腐料理の大店を指差した。むろん父は頭を振る。次いでぼくは「店の名前さえわかれば、ググれるから」とiPhoneをかざす。
 
父は「ほら、花火屋みたいなさ」と店名もうろ覚えだ。しかし、それですぐわかった。「たーまや~(玉屋)、じゃなくって鍵屋だろ」。
 
鍵屋と検索ワードを入れ、GPSに従い歩を進める。こんな住宅街の中だっけ? すでにとっぷり暮れており、仄めく店内の照明が、まるで民話に出てくる、山中を彷徨って、ようよう辿り着いた先の灯火に見えた。

 

奥側に座敷もあるが、この店は俄然、右手の黒光りしたカウンターがいい。燗をつける女将の手並みが間近に見られるからだ。鍵屋では創業以来の燗銅壷を使っている。内蔵部分で熱源の炭が燃やされるので見えない。背の高い白磁の正一合徳利が、そこから肩より上だけ出し、気持ちよさそうに湯に浸かるのを見るだけで、もう涎が湧いてくる。
 
先ほど、取りあえずビールも済ませたので、3種しかない酒を順繰りに燗でもらった。初めの櫻正宗はちょっと熱めだったが、角の取れた優しい味わいになっており、くいくいと干してしまった。喉に熱さが下り、逆に清涼感が訪れた。

 

よい燗さえついていれば、夏場の燗酒は震えが来るくらい旨い。 そして、つまみはシンプルであればあるほどハマる。

 

酒肴もシンプル極まりない。すぐに出てきた無料のお通しは夏らしく心太(ところてん)だった。煮奴(610円)をもらうと、たっぷりの甘じょっぱいつゆに、ちょうど一丁分ほどのカットされた豆腐が泳いでいる。玉ねぎが何切れかにモツもチョロリ入って、『鬼平犯科帳』に出てきそうな景色。薬味の刻み葱をどっさりかけて、やげん掘の七味も多めに振ると、なかなかに酒を奪う。
 
合鴨塩焼きにはあらかじめ山椒も打ってあり、噛み締めるほどに芳ばしい。土曜しか出ない自家製卵焼きにもありつけた。西日本育ちの父は「甘いねぇ」と一言。でも、丁寧に焼いてあり、粗めの大根下ろしに醤油を垂らして添えると、奥からきちんと卵の味わいが込み上げてくる。

 

おかげさまで菊正宗に辛口の大関と、残りの燗酒も喉を鳴らしていただけた。もっとも、江戸のファストフードであくまでサクッと飲むのが、鍵屋での作法かもしれない。実際、ここでお開きにしたら、お勘定も4000円行かなかった。
 
「女性のみの入店はお断り」という古くからの家訓でも知られる店だが、男性同伴でなら入れる。差別的だって? いや、これは先代の女将が決めたルール。だから男にとって、“違いがわかる女”を誘うには、これ以上格好な店もないはずだ。

 

■鍵屋
東京都台東区根岸3丁目6-23

東京B級グルメ散歩

鈴木隆祐(すずき りゅうすけ)

ジャーナリスト
1966年長野県生まれ、東京育ち。法政大学文学部在学中より出版社で雑誌編集を始め、その後フリーの道へ。数々の月刊誌、週刊誌、ムック等の編集や執筆、制作を手がけ、様々な分野を渉猟。教育やビジネスを得意分野とし、『名門高校人脈』(光文社新書)、『全国創業者列伝』(双葉新書)等の著書がある。一方でライフワークである食べ歩きの成果を『東京B級グルメ放浪記』『愛しの街場中華』(光文社知恵の森文庫)、『東京実用食堂』(日本文芸社)、『名門高校 青春グルメ』(辰巳出版)といった著書に結実させてもいる。
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