プロレスマニア書店員が『Number』編集者と場外乱闘!(前編) プロレスとは「人生をアートすること」である
市川淳一『ぼんくら書店員のぼんくRADIO』

「カリスマぼんくら書店員」市川淳一がお気に入りの本や最近関わった本を出発点にして、縦横無尽に(≒脱線だらけで)出版業界やコンテンツを語りつくします。
今回のテーマは、市川の大好きな「プロレス」!スペシャルゲストに『Sports Graphic Number』編集部の寺島さんをお招きし、『完本1976年のアントニオ猪木』をはじめとした、「読むプロレス」の魅力を語ってもらいます。プロレスファン独特の生態系をとくとご覧あれ。 

 

 

■あの『Number』から刺客が参戦!

 

市川 こんにちは。「ぼんくRADIO」のお時間でございます。今回はですね、プロレスを取り上げたいと思います。よろしくお願いします。

 

―よろしくお願いします。

 

市川 今回、僕のTシャツは、中邑真輔画伯の「かみのげくんTシャツ」で臨んでおりますので。

 

 

―中邑真輔さんはギリギリ知っています。

 

市川 棚橋は知ってる?

 

―知っています。

 

市川 内藤(哲也)は?

 

―聞いたことある(笑)

 

市川 聞いたことある、か。というレベルですので、僕と同じプロレス大好き人間のゲストをお招きしております。

 

―よっ!(拍手)

 

市川 よっ。

 

寺島 どうも。こんにちは。

 

市川 『Sports Graphic Number』編集部の寺島さんです。

 

寺島 『Number』の寺島と申します。よろしくお願いいたします。

 

市川 よろしくお願いいたします。ちなみに、プロレスファンになったきっかけとかって?

 

寺島 僕がですね、小学校の高学年のときだと思うんですけど、友だちから、「これ、絶対に面白いから読め」って言われた漫画があって。それが、『プロレススーパースター列伝』というですね。

 

市川 (笑)でも、世代じゃないですよね。

 

寺島 全然、世代じゃないですね。第1巻がブッチャーから始まるという。アブドーラ・ザ・ブッチャー。黒い呪術師。(※実際は第2巻)

 

市川 でも、ブッチャーのくだりを見ても、実は、ブッチャーって試合していないですよね、そのとき、もう。

 

寺島 だから、もう映像では見ていないんです。当時、動画サイトもなかったから、本当に絵のブッチャーをずっとイメージしていた。そこからスタン・ハンセンにいって、B・I砲にいって。B・I砲っていうのは、ジャイアント馬場とアントニオ猪木のタッグなんですけど。

 

市川 早くも、高橋さん?(笑)

 

―もう、すでに。でも、スタン・ハンセンは名前は聞いたことはある。

 

寺島 ブレーキの壊れたダンプカー。

 

市川 ダンプカー。

 

―その二つ名は知らないです(笑)

 

寺島 そうなんです。とか、そういうところから入っていって。だから、ものすごいそれが面白くて。そこからプロレスに入っていった感じですね。

 

市川 僕がプロレスファンになったきっかけは、テレビで見た、95年、『10.9』、新日本プロレス対UWFインターって、対抗戦があって。それの第1試合が、永田・石沢組対金原・桜庭組っていう試合があって、これがもうすごかったんですよ。見ました?

 

寺島 これね、あとから見ましたよ、僕は。

 

市川 団体同士の対抗戦ってやっぱり、お互いイデオロギー闘争みたいなのがすごいあって。当然、お互いが最強をうたっているのでどっちも引けないんだけど、話の筋立ては守らなきゃいけない。でも、俺の方が強いぜっていうのを随所に見せていくわけです。つばぜり合いですよね。どんだけやり合っていても、絶対、筋立ての線引きは守らなきゃ。

 

―一線は(守らないと)。

 

市川 そう、守らなきゃいけないっていうのが、見ていて。ああ、これこそ真剣勝負じゃないのって(思った)。当時の、子ども心なんで、そんなにアウトプットはできないんですよ。自分の中で論理的に考えてないんだけど、なんか感覚的に、これってすごい真剣勝負じゃんと。
だって大人になって、たとえば上司とか同僚とかとやり合ったとしても、ある程度「ああ、ここらへんが落としどころかなとか、だいたいここらへんで相手を立てなきゃいけないかな」みたいなのがあるじゃないですか。でも、それって別に、嘘でやっているわけじゃないですよね。それも真剣じゃないですか。だから、僕の中では「大人社会の真剣勝負」的な。

 

―ああ。そういうのを見てとっていたんですかね。

 

市川 見てとっていたんだと思います。

 

―すごい成熟した子どもですね。

 

市川 ねえ。完全に大人びていますよね。

 

■アントニオ猪木とは「信号機」

 

―ちなみに、お二人は世代的にほぼ同世代ぐらい?

 

市川 同世代ですよね。

 

寺島 そうですね。2個、3個でしたっけ。僕、1985年。

 

市川 僕、81年。だから4個か5個ですね。

 

―だいたい、基本は同じぐらいの。

 

寺島 そうですね。

 

市川 それで、プロレスが好きになって。でもね、この二人はたぶん、さらにもっと上の世代のものにわりと食いついていると思うんですけど。僕もアントニオ猪木ファンになってしまいまして。親にせがんで、レンタルビデオ屋さんで、『キラー猪木シリーズ』っていうものがあるんですけど、猪木のビデオを見ながら、「カッコいいな、猪木」みたいな感じで(笑)

 

―猪木っていうのは、僕も知っているくらいの、もう一番有名なプロレスラーじゃないですか。プロレスにはまって、わりとすぐに出会ったんですか?

 

市川 もちろんすぐに出会いましたね。だから、そのイデオロギー闘争とか、日本人同士がガチガチやるっていうのは、元々アントニオ猪木がきっかけになって始まった。

 

寺島 そうですね。だから、道を歩いていると信号に当たるじゃないですか。

 

―ああ、もう絶対に。

 

寺島 猪木っていうのは信号機なんですよ。それが青か、赤かはちょっと人によって。

 

―何(色)に見えるかは人次第と。

 

寺島 何色に見えるかはわからないけど、という感じですよね。

 

市川 そうですね。

 

寺島 でも絶対にもう通るものっていうことですね。

 

―洗礼を浴びるわけですね。

 

市川 浴びますね。
日本のプロレスって、ものすごいアントニオ猪木さんに影響を受けているんですけれども、ガラパゴス的に実は進化していて。そのきっかけがアントニオ猪木さんの、「プロレスとは最強の格闘技である」という思想と、さっき言っていた、「日本人同士のイデオロギー闘争」。
これがですね、元々はジャイアント馬場さんの、全日本プロレスに対抗するためのもの。要は、全日本プロレスって資金が潤沢にあって、テレビが(バックに)ついていて。一流の選手とかプロレスラーを呼べたんですけど、アントニオ猪木さんの団体は呼べない。そこで、別の売りを作らなきゃいけないっていうところから始まった思想でもあるんですけど。

 

―じゃあ、基本的にジャイアント馬場だったりに対抗したい、っていうところから、いろんなものは始まっていったと。

 

市川 元々は始まったんですけど、その作戦が成功したんですよね。成功したがゆえに、どんどん、どんどん日本のプロレスっていうのは、ほかの国のプロレスに比べて、ちょっとおかしな方向というか、ガラパゴス的に進化していったっていう話をちょっと踏まえつつ、ちょこっと本も紹介して、プロレスの。

 

―また付箋だらけの。

 

寺島 ちょこっと?

 

市川 ちょこっと。

 

―ちょこっとというかね、大量にあって、大量に付箋が貼ってあるんですけどね。

 

市川 紹介しながら。

 

寺島 ヤングライオン的に。

 

市川 ヤングライオン的に語っていきたいと思います。

 

ヤングライオン……新日本プロレスに所属する、デビュー間もない若手選手を指す言葉。様々な雑務もこなす。名前の由来は、同団体のシンボルマークであるライオン。

 

 

―私はまったくわからないので、基本、お二人に任せます。

 

寺島 いやいや、そんなことないですよ。

 

市川 そんなことないって、いや、そんなことありますよね。

 

―そんなことはあります(笑)

ボンクラ書店員のぼんくRADIO

ぼんくら書店員・市川

「『竜馬がゆく』と『燃えよ剣』の出版社の違いが分かる」を理由に、自信満々で某チェーンにアルバイトとして入社し10年が経過。光栄のゲームの武将パラメータを眺めながら、歴史小説を読むのが日課のボンクラ書店員。たまに本の帯やポップをデザインしたり、小説の巻末に漫画を描いたりしています。1981年神奈川生まれのAB型。
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