第11回 「笄櫻泉堂」
甘糟りり子『バブル、盆に返らず』

BW_machida

2020/11/27

 年下の友人や若い仕事仲間にバブル時代のことをよく聞かれます。
「深夜のタクシーが争奪戦で、一万円札を頭上に掲げて拾ってたって本当ですか?」
「女性は、夜遊びに行く時、一切財布に手をかけなかったんでしょう?」
「ワンカットの撮影のためにスタッフ全員で海外に行ってたって、まさかですよね?」
 そうそう、それ全部ほんとのこと、なんて答えながら、なんだか私も不思議な気持ちになります。お伽話をしているのではないか、そんな錯覚を起こすのです。
 この際だから、記憶にあることを書いておこうと思います。日本にあんな時代は二度と来ないでしょうから。明日は今日よりもっとわくわくすることが待ち構えているに違いない、何の根拠もなくそう信じでいた、あの頃のあの雰囲気がなつかしい。
ナウい昔話するんで、イチゴを落としたシャンペンでも飲みながら読んでもらえたらうれしい、みたいな〜。

 

 もし時空を遡って一晩だけ昔に戻れるとしたら、アロワナが泳いでいたあのレストランで過ごしたい。地下に向かう長い階段を降りたところに池と水槽があって、水槽では高級熱帯魚が鱗を怪しげに輝かせながらゆったりと行き来していた。店の名を「笄櫻泉堂(こうがいおうせんどう)」という。
 安藤忠雄建築で、外観はコンクリートの打ちっぱなし。レストランになる前はアパレル関係者の個人宅だった。

 

 店に看板はなく、インターフォンを鳴らすとウェイターが入り口まで迎えに来るというシステム。コンクリートの壁に囲まれたドアの施錠が開かれると長い階段があって、それを降りた先にはライトアップされた件の巨大な水槽が現れる。

 

「すごい店に連れてってあげる」
 “レストランじゃんけん“のライバルからそう誘われて、ここを訪れた。確かに、すごい。ものすごい。趣味がいいとか悪いとか、バブルっぽいとかぽくないとか、そんな価値基準が吹き飛ぶほどのインパクトだった。開業はすでにバブルが弾けた頃だけれど、街のあちこちにはバブルの残り香が漂っていた。

 

「笄」の文字は、最初にこの建物をレストランにしたアンティーク時計の輸入会社の名前からとられているそうです。記録によれば、メニューはコース1万円、2万円、3万円というきっぱりした設定でした。

 

 最初に通されたウエイティングバーでもあっけに取られた。三階までの吹き抜けで、地下にいるのに屋外にでもいるような開放感なのだ。ここが個人宅だったとは。無機的なコンクリートで囲まれた空間に、官能的な曲線の赤い革のソファという落差も斬新だった。

 

 そこには青山通りでしか見かけないような人たちがたくさんいた。おしゃれだがファッション誌から抜け出したような派手さはなく、カジュアルでも高級感ばっちり。雑誌か何かのメディアで見かけたことがある気がするが、芸能人ではない(おそらく、芸能人を操る側にいるはず)。こんなすごい空間でもテンションは低く気だるそうに会話をする、そういう人たち。彼ら彼女らが、ここもそろそろ飽きたなあといった態度でくつろいでいる。内心は驚いていた私も、がんばって退屈そうに振る舞った。

 

 レストランスペースは上階にあった。地下の一つ上だから一階のはずだが、吹き抜けとどの階からも見える巨大な水槽のおかげで、今いる場所が何階なのかわかりにくく、それもまた非日常感の演出になっていた。そちらにいる客たちもみんな「何者なんだろう?」と思わせるオーラを放っていた。

 

 私は方々で「アロアナのいるすごい店に行った」と自慢しまくった。で、そこおいしいの? と聞かれても、アロワナと客層のインパクトが強すぎて料理のことは覚えていなかった。ナイフとフォークを使ったこと記憶はあるけれど、何料理だったのかさえ忘れている体たらく。もう一度、訪れて確かめなければ、と思った。

 

 しかし、例のごとく、私は支払をしていない。いくらかかるのか、さっぱり見当もつかない。ネットなんてない時代だから、検索のしようもないのである。会計の際にちらっと見た伝票の金額も不確かだが、恐らくワインも入れて一人3〜4万円くらいだろうか。今でこそ高価なことが話題となって人気店に登り詰めるケースも見かけるけれど、東京にはまだミシュランガイドもザガットサーベイも上陸していない時期だ。一回の食事に3万円をかけるのはかなり勇気のいることだった。いや、勇気なんてカッコつけても仕方がない。そんな経済力がなかった。欲しい洋服やバッグや香水が次から次へと出てきてしまい、稼いだお金を家賃以外はほとんどそれらに使っていた。

 

 でもでもどうしてももう一度「笄櫻泉堂」に行きたい私は、ない知恵を絞り、父と母を誘ってみた。二人とも私の親だけあって新しいレストランやおいしいものには関心が高い。ん? 私が似ただけか……。
帝国ホテルのティーラウンジで待ち合わせた。鎌倉から出てきた母は張り切って、植田いつ子さんのアトリエであつらえたワインレッドのスーツを着ている。私も両親と一緒の会食なので、自ずと保守的な格好になり、アルマーニのブラウス&パンツのセットアップだった。

 

「笄櫻泉堂」に向かうタクシーの中で、これから行くレストランがどんなにすごいかを両親に説いた。あまりに水槽とアロワナのことばかり話すので、母が怪訝な口調でいった。
「まさか、そのアロワナを食べるのかしら?」
「ちがうよー。もうお母さん、何にもわかってないんだから」

 

 店に着き、長い階段の先の水槽を見た時は、さすがに父も母も驚いていた。家族三人でウエイティングバーに案内される。相変わらず周りは、青山通りでしか見かけないタイプの人たちばかりで、はっきりいって親子三人連れは浮いていた。身につけているファッションも要因ではあるけれど、それだけではない。父と母と娘という関係性がここでは異質に映るのだった。無邪気で未熟なお上りさんといったらいいだろうか。むき出しのコンクリートと一家団欒の相性はこの上なく悪かった。
 周りなんか気にせず楽しめばいいのに、あの頃の私はどこにいっても「上客」を目指していた。正直にいえば、上客のつもりだった。だから周囲から浮いているという事実が心に引っかかって、のびのびと食事を楽しめなかった。バカみたい……。

 

 デザートに供されたのはアイスクリームのバルサミコがけ。当時はまだバルサミコという調味料自体がめずらしかったが、それをアイスクリームにかける楽しみ方があるのはこの店で知った。そして何より、
「100年もののバルサミコでございます」
 このフレーズにしびれた。私たち家族がここを訪れたのは20世紀の終わりに近い頃。私の記憶が確かなら(って、このフレーズも当時流行りましたねえ)1999年である。そこから100年前の日本といったら明治時代! 勝海舟が亡くなった年なのだ。そんな年に仕込まれたバルサミコをアイスクリームに惜しげもなくかけて味わった。案の定、アイスクリーム以外、何を食べたのかさっぱり覚えていない。アロワナにプラスされた記憶はお化粧室がやたらと豪華だったことぐらいだ。

 

 帰りのタクシーの中で父はいった。
「どうってことはなかったなあ。だいたい料理を味わうのにあんな熱帯魚を持ち出すのは大げさすぎる」
 結局、私はそれきり「笄櫻泉堂」に行く機会はなかった。ちなみに、この建物は後に「ハイパーメディアクリエーター」氏の事務所になったそうだ。

 

 その後レストランは閉店して、建物も取り壊されたと聞いた。父は亡くなった。

 

 もう一度あの店に行くのなら、何をやっているのかよくわからないカタカナの職業の男性とご一緒して、空疎な言葉遊びでもしたいと思っている。

バブル、盆に返らず

甘糟りり子(あまかす・りりこ)

玉川大学文学部英米文学科卒業後、DCアパレル会社勤務を経て執筆活動をスタート。『東京のレストラン 目的別逆引き事典』(光文社)など、グルメ、ファッション、クルマ、音楽、映画など、時代の最先端のエッセンスをちりばめた作品が話題に。また、『中年前夜』『エストロゲン』(ともに小学館)など、都会に生きる大人の女性のリアリティを描いた小説でも注目を集める。近年は、妊娠・出産をさまざまな視点で描いた短編小説集『産む、産まない、産めない』『産まなくても、産めなくても』が大きな反響を呼ぶ。近著は『鎌倉の家』(河出書房新社)、『鎌倉だから、おいしい。』(集英社)。
Instagram : @ririkong
Twitter : @ririkong

イラスト / 久木田知子
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