第12回 「苗場プリンス、銀世界」
甘糟りり子『バブル、盆に返らず』

ryomiyagi

2020/12/04

 年下の友人や若い仕事仲間にバブル時代のことをよく聞かれます。
「深夜のタクシーが争奪戦で、一万円札を頭上に掲げて拾ってたって本当ですか?」
「女性は、夜遊びに行く時、一切財布に手をかけなかったんでしょう?」
「ワンカットの撮影のためにスタッフ全員で海外に行ってたって、まさかですよね?」
 そうそう、それ全部ほんとのこと、なんて答えながら、なんだか私も不思議な気持ちになります。お伽話をしているのではないか、そんな錯覚を起こすのです。
 この際だから、記憶にあることを書いておこうと思います。日本にあんな時代は二度と来ないでしょうから。明日は今日よりもっとわくわくすることが待ち構えているに違いない、何の根拠もなくそう信じでいた、あの頃のあの雰囲気がなつかしい。
ナウい昔話するんで、イチゴを落としたシャンペンでも飲みながら読んでもらえたらうれしい、みたいな〜。

 

男友達(当時)と苗場の夜のゲレンデを楽しむりり子クン。ウエアはもちろん「スキーショップジロー」。

 

 ‘80年代からバブル期にかけて、夏の逗子マリーナと冬の苗場プリンスは六本木のディスコと並ぶ最高の遊び場だった。いるだけで気分が上がる、そういう場所。

 

 初めて苗場プリンスに行ったのは大学二年の冬休みだ。一番仲が良かったクラスメートと二人、二泊三日で苗場に行った。スキーがしたかったのではなく、ゲレンデが丸ごと見渡せるあのプリンスのカフェテラスで時間をつぶしたいだけだった。私たちにはあり余る時間があった。あの頃の若者には無駄という娯楽が許されていた。

 

 マドモアゼルノンノンのニットにスポーティフのパンツ、その上から長い丈のダウンジャケットを羽織り、肩からはラインストーンが散りばめられたデニムのバッグ。そんないでたちで越後湯沢駅に降り立った。頭にはカチューシャの代わりにサングラスを乗っけていた。

 

 チェックインを済ませると、荷解きも早々にカフェテラスに向かう。陣取ったのはゲレンデの真ん前のテーブルだ。私の髪は腰まであるワンレングスのストレート、くせ毛の友人はサイドを後ろに流したウェービーなロング。‘70年代の第一次サーファーブームの頃に流行ったファラ・フォーセット・メジャーズの髪型を忠実に継承していた。私たちは、注文をする時も運ばれてきたカフェオレに口をつける時も、必ず大げさに髪をかき上げた。髪をかき上げないと他の動作ができないのかというくらい。

 

 あの日の午後は雪がちらついていた。窓の向こうに広がる銀世界を眺めながら、延々とたわいもない話をした。誰かの噂話、雑誌で見つけた洋服の話、新しくできたディスコの話、このあいだ行ったレストランの話など。友人の指にはメンソールの煙草があった。退屈しのぎにそれを一本もらったが、喉の弱い私は見事に咳き込んだ。

 

 カフェテラスは暇とエネルギーを持て余した若者で埋め尽くされていた。男女のグループやカップルもいたけれど、男の子だけで来ている場合も少なくなかった。ここは苗場プリンスである。本気でスキーをしたければ、岩岳とか八方尾根とか栗駒に行くだろう。彼らのスキーもまた口実で、ボーイミーツガールのためにやってきたに違いなかった。

 

「ねえ、どこから来たの? 東京から?」
「ええ、まあ」
「良かったら、一緒に滑らない?」
「う〜ん、私たち、ちょっと疲れちゃったからぁ」
「ここに泊まってるの?」
「まあ、そんなとこ」
「じゃあさあ、夜一緒に飲もうよ」
「どうしよっかなあ」
こんな会話がそこら中に転がっていた。

 

 私も彼女も出会いを求めてはるばる苗場まで来たわけではない。銀世界を眺めながらお茶がしたかったし、ついでに男の子に声をかけられるのも悪い気はしなかった。だからといって声をかけてきた男の子たちとすぐ仲良くなるほど、注文通りでもなかった。自分たちを見せびらかせれば、それで気が済んだ。

 

 夜になると雪は本格的に吹雪き始めた。ナイターを楽しむスキーヤーたちを眺めながら、部屋で缶ビールを開けた。照明に照らされた白い斜面はかすかに発光して、幻想的だった。

 

 翌日は、うって変わって晴天だった。ゲレンデがまばゆく輝き、私たちを手招いていた。ところが、友人はなかなか支度が整わない。シャワーを浴びた後、自分で持ち込んだ大きなドライヤーとデンマンブラシ、時々くるくるドライヤーを器用に使って、絶妙なウエイブを作ることに一生懸命になっている。果たして彼女のファラ・フィーセットメジャーズ風の髪型が出来上がるまで一時間と十五分を要した。私はその間、ぼんやりと真っ白いゲレンデと色とりどりのスキーヤーたちを眺めていた。何しろ時間はあり余っているのだから。

 

 やっと髪型が整ってウエアに着替えると、私たちはお腹が空いていることに気がついた。まずは腹ごしらえをすることになった。お寿司屋さんでランチをとり、食後のお茶と称してまたもやカフェテラスに行った。そこでありきたりなナンパがいくつかあって、遠回しに断っているうちに夕方になって、結局、その日もゲレンデに出ることはなかった。ちょっとでも雪が降ると、彼女はせっかくセットした髪型が崩れるからとゲレンデに出るのを嫌がった。スキー場にいるのにね。でも、あの頃の私たちにとって髪型は一大事だったから、それも致し方ないと思った。

 

 三日目の朝、彼女はいった。
「一本も滑らずにここを後にするのはまずいよね」
 私は答えた。
「うん。それはさすがにダサ過ぎる」
 やっとゲレンデに出た。この日も晴天だった。リフトから見る雪景色はやっぱりカフェテラスからのそれとは違った。頬にあたる冷たい風が心地よい。
 三本ほど滑って、私たちはまたカフェテラスに向かった。カフェテラスの窓の下に、K2の赤い板をこれ見よがしに刺した。スキー場に来たからにはこれをやらなくちゃ。この辺りはさながら板の見せびらかし場だった。オーリン、ロシニョール、ブリザード、Hart,K2、さまざまなブランドの色あざやかな板が所狭しと刺さっていた。
 二泊三日で三本しか滑らなかったけれど、充実したスキー旅行だった……、気がする。

 

 その後、度々グループで車を連ねて苗場プリンスに行くようになった。いかに素早くタイヤにチェーンを装着できるかは、男の子の腕の見せ所でもあった。金曜の夜ともなると苗場プリンス近辺は必ず渋滞しているので、車中で聴く音楽のセレクトも彼らの重要な仕事だった。ヒット曲を選び、趣向を凝らしたカセットテープが何本も用意される。帰りにそれをプレゼントされるところまでが「苗場でスキー」。

 

 週末の渋滞はイベントみたいなものだったし、互いの車を見せ合うステージでもあった。あの頃の若者って見せびらかしあってばかりいた。クラウドなんてないからね。現物主義。
やたらとつるむ、車を見せびらかし合う。もしかしたら、ひと頃もてはやされたマイルドヤンキーの原点は苗場プリンスへの渋滞にいた若者かもしれない。

 

「苗場の『Jトリップバー』に行かない? 去年の暮れに出来たばっかの」そう誘われたのは、1987年の年明けだった。
『Jトリップバー』は六本木にあった人気のハコ。その名の通りバーとしてスタートしたが、選曲のセンスが新しく、自然発生的に耳の肥えた客たちが踊り始めて、あっという間に小ぶりのディスコのような扱いになった。後にディスコに取って代わる夜遊びのアイテム「クラブ」の走りともいわれている。日比野克彦をアートディレクターに迎え、コンクリートの打ちっ放しの内装やアートっぽいロゴマークなど、それまでのきんきらディスコとは正反対の個性を打ち出していた。マハラジャと違ってドレスコードもなく、ジーパン(デニムなんていい方はまだない)にタンクトップみたいなカジュアル&ワイルドなファッションの客が多かった。
土曜深夜の営業の後はフロアに女性用のショーツがいくつも落ちている、などという噂があったっけ。この目で見たわけではないけれど、そんなことがあってもおかしくはないぐらい、危うい雰囲気が漂っていた。

 

 そんな「Jトリップバー」が苗場にできたというのだ。今度はお茶ではなく、スキー場に踊りに行くことになった。男女を交えた6人、カップル3組。当時のボーイフレンドが部屋をとってくれた。夕方前に東京を出発し、4〜5時間かけて苗場プリンスに着いたと記憶している。腹ごしえらは車中のサンドウィッチ。ホテルに着いたらすぐに着替えてJトリップバーに行く、という流れだった。
私は六本木の同店の雰囲気を考え、黒いロングブーツ、それにインしたジーパン、黒いニット、申し訳程度にシルバーのバングルとピアスをつけていた。スキー場だからカジュアルにした。ホテルのロビーに集合すると、男の子たちはジーパンだけれど、他の女の子たちはニットのワンピースを着ていた。

 

 店内にはお立ち台があった。そこにいる女の子たちはみんな気合の入ったボディコンシャスだった。身体にぴったりと張り付くようなワンピースかいかつい肩パッドのカラフルなスーツで、競うように身体をくねらせていた。みんな申し合わせたように、前髪をトサカのようにたて、真っ赤な口紅をしている。Jトリップバーというより、マハラジャだなあと思った。

 

「なんか思ってたのと違ったね」
「『Jトリップ』も意外とダサいな」
 部屋に帰って、ボーイフレンドとそんな会話をした。

 

 翌日はスキーを楽しみ、夜はホテル内のレストランに行った。隣に座る彼はメニューを広げ、その中のどれかを指で弾きながらいった。
「先週来た時、これ食べたんだけど、ハズしちゃったんだよなあ」

 

 ん? 先週?
 せ、ん、しゅ、う?
 取引先とゴルフっていってなかったっけ?

 

 そう言葉にして問い詰めれば良かったのだけれど、怒りと焦りで混乱して、黙り込んでしまった。私は思い切り場の空気をぶち壊した。
 食事の後、他の友達はまたもや「Jトリップバー」に行った。私は行きたくないとゴネて、二人だけで部屋に帰った。部屋でもぶすっと押し黙っている私に、彼が逆ギレした。
「もう、なんなんだよ。なんか気に入らないことがあるなら、いえばいいじゃない。せっかく苗場まで来てさあ」
「せっかくって、先週も来てたんでしょ!」
 私がいうと、彼は、ゴルフの後、先輩から急に呼び出されて一泊で苗場に来たとかなんとか、かなり無理な設定を早口ででっち上げた。六本木ならまだしも苗場まで急に呼び出すか? そう思ったけれど、あの頃はそれもありえない話ではなく、私はいい包められてしまった。

 

 その彼とは程なくして会わなくなり、苗場プリンスからも足が遠ざかった。

 

 それから二十年ほどたったある冬のこと。スノーボード旅行に誘われた。スノーボートはしたことがなかったけれど、宿泊が苗場プリンスというので、なつかしくなって参加した。ところが、ついた途端、あれ?こんなところだったっけ? と思った。こういっちゃなんだけれど、事務的で大きなビジネスホテルみたいなのだ。その上、あれから増築を重ねられた館内はわかりにくいし、バイトばかりなのか従業員にたずねても要領を得ないし、居心地は良くなかった。

 

 ゲレンデに出る前に入った化粧室で鏡を見ると、それなりにくたびれた中年女がそこにいた。玉手箱を開けてしまった浦島太郎の気分だった。

バブル、盆に返らず

甘糟りり子(あまかす・りりこ)

玉川大学文学部英米文学科卒業後、DCアパレル会社勤務を経て執筆活動をスタート。『東京のレストラン 目的別逆引き事典』(光文社)など、グルメ、ファッション、クルマ、音楽、映画など、時代の最先端のエッセンスをちりばめた作品が話題に。また、『中年前夜』『エストロゲン』(ともに小学館)など、都会に生きる大人の女性のリアリティを描いた小説でも注目を集める。近年は、妊娠・出産をさまざまな視点で描いた短編小説集『産む、産まない、産めない』『産まなくても、産めなくても』が大きな反響を呼ぶ。近著は『鎌倉の家』(河出書房新社)、『鎌倉だから、おいしい。』(集英社)。
Instagram : @ririkong
Twitter : @ririkong

イラスト / 久木田知子
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