第13回 「セックス アンド ザ・クリスマス」
甘糟りり子『バブル、盆に返らず』

 年下の友人や若い仕事仲間にバブル時代のことをよく聞かれます。
「深夜のタクシーが争奪戦で、一万円札を頭上に掲げて拾ってたって本当ですか?」
「女性は、夜遊びに行く時、一切財布に手をかけなかったんでしょう?」
「ワンカットの撮影のためにスタッフ全員で海外に行ってたって、まさかですよね?」
 そうそう、それ全部ほんとのこと、なんて答えながら、なんだか私も不思議な気持ちになります。お伽話をしているのではないか、そんな錯覚を起こすのです。
 この際だから、記憶にあることを書いておこうと思います。日本にあんな時代は二度と来ないでしょうから。明日は今日よりもっとわくわくすることが待ち構えているに違いない、何の根拠もなくそう信じでいた、あの頃のあの雰囲気がなつかしい。
ナウい昔話するんで、イチゴを落としたシャンペンでも飲みながら読んでもらえたらうれしい、みたいな〜。

 

今はもうない、「赤プリの新館」(1983~2011)のライトアップ。クリスマス時期、夜の風物詩でした。クリスマスの宿泊予約は9月末までに埋まるのが常だったそうです。写真/aflo

 

 あの頃、軽薄であることは褒め言葉だった。こと恋愛においては特にそう。相手を取っ替え引っ替えするのがかっこいい、みたいな価値観がはびこっていた。二股かけたぐらいで芸能人が謝罪会見する今では考えられないほど、恋愛とはファッションだった。

 

 本気になったら負け、誠実な人はバカをみる。本当はそんなことはないはずなのに、そういう虚勢が流行っていた。
 クリスマス・イブは恋人と過ごすための夜という風潮が生まれたのは80年代半ば頃である。別のいい方をすれば、この一夜に一人にならないためにみんな必死に恋人を「作る」。そして、いかにドラマチックな演出をしたか、されたかを競ったのだった。ドラマチックといっても、女の子はたいていビロードのワンピースに白いストッキングを履き(今となっては謎のセンスだけれど)、男の子はたいていスーツにタイをして、雑誌が決めた人気のイタリアンで「クリスマス特別メニュー」を味わい、雑誌が決めたクリスマスプレゼントを渡し合った。その後はシティ・ホテル。そう、あの頃はホテルとラブホを区別するために、「シティ」という枕詞が必要だった。男の子は、例え恋愛の相手がいなくても、春からクリスマス・イブのホテルの部屋を予約しておくのがわりと普通だった。ホテルの数そのものが少なかったから、人気のところだと夏にはもう12月24日が満室なんてこともあったと聞く。

 

 25日のチェックアウト時刻になると、ロビーでは支払いする男の子たちが列をなし、その周辺にはしおれた花束やブランドの紙袋を抱えた女の子たちが所在なさげにウロウロしている光景はこの季節の風物詩だった。彼女たちは一様に魔法が解けてしまったような表情で、クリスマス・イブがいかに特別だったのかを物語っていた。

 

 舞浜のホテル群は格好の舞台だった。1983年のディズニーランド開園から5年後に、シェラトン、ヒルトン、オークラという三つのホテルが同時期に開業する(今は六つ)。立地はほぼ横並び。そこに目をつけ、クリスマスイブはこれらの部屋をダブルブッキングする強者も少なくなかった。

 

 私の知り合いの編集者もその一人。
 先日、彼と十数年ぶりに仕事をする機会があって、なつかしい頃の話になった。

 

「今から思うと、社会人デビューそのものって行動でしたね」
 しみじみ振り返る目尻には、きっちりと人生の年輪が刻まれている。
 真面目で地味な大学時代を過ごした彼がファッション雑誌の編集者になり、情報とコネと経費を持つと、派手できれいな子&かわいい子が向こうから寄ってくるようになる。すっかり自分の魅力と勘違いした彼が六本木でいっぱしの振る舞いを見せるまでに、そう時間はかからなかった。

 

 クリスマス・イブは腕の見せ所である。断っておきたいのは、まだデジタル印刷なんて存在しない時代の12月末、雑誌の編集部は一年のうちで最も忙しい。年末進行といって、いつもより七日間ほど稼働できる日にちが少なく、入稿もそのチェックも普段の倍のスピードでこなさなければページが白くなってしまう(この白くなるっていう感覚がネットではないですよね)。それでも、彼は舞浜のホテルの部屋を二つ、予約した。

 

 あまりうまくいっていない本命の彼女とはシェラトン、新しく付き合い始めた女の子とはヒルトン。本命とはルームサーヴィス、新しい子とはホテルのレストランで食事をして、仕事をしているふりをしていったん都心の編集部に戻り、そこからまた舞浜のホテルに向かう。舞浜では、数時間ごとにシェラトンとヒルトンを行き来したそうだ。車で行き来しようとしたら、クリスマス渋滞で身動きが取れなくなり、車を路肩に停め、走って移動したという。お疲れ様です。

 

 会話でボロが出ないように、プレゼントは二人ともティファニーのオープンハートだった。まったくの想像だけれど、彼のあわただしい様子を、雑誌の編集者という職業とオープンハートがうまくごまかしてくれたのではないだろうか。どちらの女の子とも翌年に別れてしまったそうだ。

 

 当時、私はいくつかの雑誌にフリーランスで出入りしていた。年末進行の時期、現場での戦力になるはずの若手編集者が舞浜で浮かれていると、私たちフリーにしわ寄せがくる。その年のクリスマスイブ、私は夜遅くまで編集部で原稿を書いたり、値段や電話番号の確認をしたり、押し寄せる雑用をこなしたりしていた。正直に言えば、この夜までに恋人を作れなかったので進んで仕事を引き受けたのだけれど。

 

「うちは仏教、臨済宗」
 ハンドルを操りながら、自分で自分にいい聞かせた。

 

 街を歩く人は腕を組んだカップルだらけ。一人で車の運転席にいると、何だか世の中からはじき出された気がした。もうすぐ24日から25日に日付が変わろうという時、ふと赤坂プリンスが目に入った。ほぼすべての部屋の窓に明かりがついている。あの窓の向こうでみんな揃って同じ行為をしているのかと思うと、急におかしくなって笑い声が出た。クリスマス・イブにはセックスも制服になるのだなあ、なんて思って。ラジオからはこの時期お決まりのジョン・レノン&ヨーコ・オノの「ハッピー・クリスマス」が流れてきた。マライア・キャリーの「恋人たちのクリスマス」はまだ世に出ていなかった。

バブル、盆に返らず

甘糟りり子(あまかす・りりこ)

玉川大学文学部英米文学科卒業後、DCアパレル会社勤務を経て執筆活動をスタート。『東京のレストラン 目的別逆引き事典』(光文社)など、グルメ、ファッション、クルマ、音楽、映画など、時代の最先端のエッセンスをちりばめた作品が話題に。また、『中年前夜』『エストロゲン』(ともに小学館)など、都会に生きる大人の女性のリアリティを描いた小説でも注目を集める。近年は、妊娠・出産をさまざまな視点で描いた短編小説集『産む、産まない、産めない』『産まなくても、産めなくても』が大きな反響を呼ぶ。近著は『鎌倉の家』(河出書房新社)、『鎌倉だから、おいしい。』(集英社)。
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イラスト / 久木田知子
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