第15回 「トゥーリア」
甘糟りり子『バブル、盆に返らず』

BW_machida

2021/01/22

 年下の友人や若い仕事仲間にバブル時代のことをよく聞かれます。
「深夜のタクシーが争奪戦で、一万円札を頭上に掲げて拾ってたって本当ですか?」
「女性は、夜遊びに行く時、一切財布に手をかけなかったんでしょう?」
「ワンカットの撮影のためにスタッフ全員で海外に行ってたって、まさかですよね?」
 そうそう、それ全部ほんとのこと、なんて答えながら、なんだか私も不思議な気持ちになります。お伽話をしているのではないか、そんな錯覚を起こすのです。
 この際だから、記憶にあることを書いておこうと思います。日本にあんな時代は二度と来ないでしょうから。明日は今日よりもっとわくわくすることが待ち構えているに違いない、何の根拠もなくそう信じでいた、あの頃のあの雰囲気がなつかしい。
ナウい昔話するんで、イチゴを落としたシャンペンでも飲みながら読んでもらえたらうれしい、みたいな〜。

 

 古い写真の整理をしていたら、昔のディスコやバーやクラブのマッチが出てきた。ディスコやバーではみんな煙草を吸っていたからマッチは必需品だったし、マッチのデザインは店の個性をアピールするれっきとした媒体でもあった。店名の他、住所や電話番号が入っているが電話番号はみんな9桁だ。1991年(一部は1989年)、10桁になるまで東京23区の電話番号は03+3桁+4桁=9桁だったのだ。

 

 マッチには西麻布の「トゥールズ・バー」や青山の「ミックス」なんかの名前が書いてある。「Jトリップバー」は六本木店。赤坂の「ビブロス」の他、高樹町の「タクシー・レーン」なんていうのも見つかった。ここは後に「ダブリン・ダブ」という店に変った。

 

 マッチはビニールに包まれ、大切に保管されていた。あの頃は、夜になると何の目的もなく西麻布や六本木でふらふらして、退屈しのぎに煙草の煙を見つめていたけれど、私はいつかこうやって時代の記録を書くつもりだったのだろう。そうでなければちまちまとマッチを取っておいたりしないはずだ。
 薄いグレーのマッチには象形文字のような見慣れない文字が書かれている。マッチ棒が箱にくっついているブックタイプのものだ。裏に返してみて、「トゥーリア」のものだとわかった。

 

甘糟家に眠っていたマッチコレクション。著者のツイッターでも、強い反応を示すフォロワーが少なくなかった貴重なものばかりです。手前が「トゥーリア」のブックマッチ。

 

 「トゥーリア」は、’87年にオープンしたディスコである。いろいろな意味でこの空間はバブルそのものだ。
 場所は六本木7丁目、当時のいい方だと防衛庁のはす向かい辺り。鳴り物入りという言葉が相応しい開業だった。手がけたのは山本コテツ氏。空間プロデューサーの代名詞的存在だ。空間プロデューサーとは店や街の概念の決定と実行する仕事で、’80年代になってそう名称がついた。時代の語り手として彼らがテレビ番組に駆り出されることも少なくなかった。「トゥーリア」の経営元はレイトンハウス。これもまたバブル時代の象徴的な名称である。不動産会社がレーシングチームを所有するために作った会社で、イメージカラーの青緑色は「レイトンブルー」と呼ばれていた。

 

 「地球に不時着した宇宙船」というのが「トゥーリア」のコンセプト。ビルのテナントではなく、建物一棟を新しく建てた。六本木のど真ん中にね。インテリアはSF映画の金字塔『ブレードランナー』の美術を担当したデザイナーのシド・ミード氏が手がけた。六本木再開発のため三年間の期間限定という施設である。未完成のままオープンして、少しずつ手を加え、完成と同時にクローズする予定だった。こういう物語を作るのも「空間プロデューサー」の仕事だ。三年間だけのハコにかけた費用は8億円といわれている。この頃どれだけお金が余っていたのだろうか……。

 

 中にはディスコ、バー、レストランがあって、一つの夜をここだけで楽しめる作り。「不時着」というコンセプトの通り、店内には人工的な荒涼感があった。「マハラジャ」のキンキラに浸かっていた私たちにはそれが新鮮に感じられた。甘いものの後には辛いもの、辛いものの後には甘いものがよく見える。時代が変われど、いつだってそう。
 「トゥーリア」とはギシリャ語で「3」を意味するそうだ。マッチの不思議な文字もギリシャのものだろう。なぜギリシャなのか、当時は考えたこともなかった。アメリカ文化の影響一色だった東京には’80年代半ばあたりから急激にヨーロッパのものが入り始めたから、時期的にアメリカ以外の外国なら何でもおしゃれっぽく感じたのだろうか。
 フロアの天井の照明もここの売りの一つであった。ミラーボールなんてありきたりなものではなく、「ロ」の字型の長方形の巨大なライトだ。フロアが盛り上がってくると、それが上がったり下がったりする。音楽によって発する光が変わったり、とにかく大掛かりなものだった。

 

 ‘87年の暮れ、忘年ディスコがあった。単にディスコで顔見知りになった友人で「トゥーリア」に集まっただけだが、いつものごとく無駄話とダンスミュージック、煙草の煙と香水の匂いで夜が満たされていった。

 

「新年会もここにするぅ?」
 幹事役の男の子がなんとなくみんなに聞いた。
「他に、どっかある?」
 他のディスコ同様に入り口には黒服が立っていて、「当店の雰囲気にそぐわない」お客様は入れないとのことだったけれど、「トゥーリア」はかなりの大箱である。それも師走とあって洗練された客だけでもなかった。自分たちのことを棚に上げ、あーでもない、こーでもない、と小さな文句をつけつつ、いろんな店の名前があがったけれど、結局、正月明けにまた「トゥーリア」で集まる約束をした。

 

 あの頃の私はいつもふらふらしている分、大晦日は家の手伝いをがんばって、正月は別人のようにおとなしくするのが常だった。あの年も大晦日には家中の雑巾がけをして、除夜の鐘を聞いて新年を迎え、いつもと同じように静かな正月を過ごしていた。
 ‘88年1月5日の夜、友人ミホ(仮名)から電話があった。電話のベルが鳴ったのは午後11時過ぎ。まだ携帯電話なんてものはなく、親と暮らしている自宅にかけてくる(それも松の内に)にしてはちょいと非常識な時刻である。彼女は切羽詰まった声で
「リリコ、良かった〜。家にいるんだね」
 などという。
「だって正月だもん。仕方がないじゃん。で、なんかかおもし……」
 私の言葉をさえぎってミホ(仮名)は続けた。
「『トゥーリア』で事故があったらしいよ」
 六本木にいた彼女の友達が店の前を通ったら、救急車両が次々と到着し、何人もの警官が店内に入っていったそうだ。彼女もまた家にいるかの確認の電話をもらったという。テレビカメラがたくさん来ていて、ものすごい騒ぎになっているんだとか。あの自慢の照明が落下して、フロアで踊っていた人が何人も下敷きになったという。
「それ聞いて、真っ先にリリコがいたらどうしようって」
 ミホ(仮名)の電話を切った後も友人から電話が相次いだ。

 

 テレビのニュースでは見慣れた店の外観が映し出され、警官や救急隊員がものものしく出入りしていた。様子を伝える記者の緊迫した表情が事故の悲惨さを物語っていた。報道によるとワイヤーが切れたことが原因で、巨大な照明の重さが2トンもあることを私は初めて知った。画面には血まみれで担架に乗せられた若者が何人も映った。文字通り身震いがした。ほんの数日ずれていれば、私が下敷きになったかもしれないのだ。翌日になってもじゃんじゃん生存確認の電話がかかってきたし、私も「トゥーリア」にいそうな友達に片っ端からかけまくった。私の友人であの場にいた人はいなかった。

 

 三名の方が亡くなり、十四名の怪我人がでた。後遺症が残った人もいると聞いた。「トゥーリア」はそのまま閉店、不時着した宇宙船は半年で泡となった。

 

落下した「トゥーリア」の照明は、1980年代初頭にバンド「ジェネシス」がツアーで使って一世風靡したムービングライト「バリライト」を模したものでした。建物が壊された跡地にはお地蔵さまが。そのことを教えてくれた近くの老舗靴下屋さん「マーガレット」も今はもうありません。

 

撮影/甘糟りり子

バブル、盆に返らず

甘糟りり子(あまかす・りりこ)

玉川大学文学部英米文学科卒業後、DCアパレル会社勤務を経て執筆活動をスタート。『東京のレストラン 目的別逆引き事典』(光文社)など、グルメ、ファッション、クルマ、音楽、映画など、時代の最先端のエッセンスをちりばめた作品が話題に。また、『中年前夜』『エストロゲン』(ともに小学館)など、都会に生きる大人の女性のリアリティを描いた小説でも注目を集める。近年は、妊娠・出産をさまざまな視点で描いた短編小説集『産む、産まない、産めない』『産まなくても、産めなくても』が大きな反響を呼ぶ。近著は『鎌倉の家』(河出書房新社)、『鎌倉だから、おいしい。』(集英社)。
Instagram : @ririkong
Twitter : @ririkong

イラスト / 久木田知子
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