教育格差が生まれる理由
岡嶋裕史『大学教授、発達障害の子を育てる』

ryomiyagi

2020/01/23

 

高校の先生にこんな話を聞いた。

 

「背格好や服装を見ていると、どの高校の子かだいたいわかりますよ」

 

そこは女子校がひしめいている地域で、最寄り駅を使う高校が4つある。その4校は綺麗に偏差値で輪切りになっているので、学力で見分けるのが一番確実な方法だが、背格好とはどういうことか。読者の皆さまならどう当たりをつけるだろうか。

 

その先生が言うには(個人の感想です)、均整の取れた体型で身ぎれいにして、センスのいい服装なら学力上位校、そうでないなら学力下位校なのだそうだ。

 

いまの学校の現場を知っていると、「まあ、そうかな」という話ではあるのだが、ぼくが子どものころの常識とはかなり異なる。その頃の小学校や中学校の先生は、「勉強のできない男の子はスポーツができる」とか、「勉強のできない女の子はおしゃれだ」とか平気で明言していた。

 

いま教室でそんなことを言ったら、セクハラ、アカハラ、パワハラの3連コンボでお釣りがくるが、当時は(少なくとも表面上は)多くの人がそんなふうに考えていたのだ。

 

ぼくは女の子のことはよくわからないけれども、男の子たちのコミュニティは確かにそんなふうになっていた。勉強をかりかりやっている子以外は、学校が終わるとやたらみんなで集まって街中を駆けずり回っていた。あれは、間違いなく学習行為だ。

 

ペーパーテストの点は上がらないけれど、体力もつくし、コミュニケーション能力もつく、集団のなかでの身の処し方も体得するだろう。

 

ちなみにぼくは、勉強をかりかりするでもなく、野山を駆けまわるでもなく、ゲームとプログラミングと乱読に明け暮れていた。まごうことなき引きこもり、時代の最先端である。ひずんだ構造のしわよせは、弱いところへ集中するので、オタクはたいてい社会の歪みのトップランナーである。

 

ところが今は、遊ぶ場所はほとんどなくなってしまった。

 

最近よくマスコミでも取り上げられるが、公園は大きな音を立てられない場所、ボールを使ってはいけない場所、全力で走ってはいけない場所になった。子どもの遊び場としては、はなはだ不適切である。

 

かといって、空き地(昔はよくあった)で遊んでいたら怒られるだろうし、何ならその空き地の所有権を持っている人が管理義務不履行で事案化されるかもしれない。

 

野山に行ったら捜索願が出るだろうし、秘密基地でも作った日には補導されるかもしれない。知らない子と無闇に友だちになるとセキュリティ上、好ましくないと注意されるし、その相手が大人だったら通報ものである。

 

じゃあ、ゲームでもするかと思えば、香川県はゲーム利用時間制限条例案を本会議にかけるらしい。いったい子どもは何をすればいいのか。

 

同じことをお金で買うしかない。

 

思いっきり遊び回っても怒られないプレイパーク、野山の冒険を体験させてくれるフォレストアドベンチャー、同世代の子とふれあうキャンプ、信頼できる大人とのまじわり・・・・・・、みんなお金で買える。というか、お金で買わないと手に入らない。すべて有料である。

 

お金と資源、適切な知見さえあれば、ゲームだってeスポーツと言われ、教育や職業たり得ると再定義されるのである。

 

親がどのくらい時間とお金を子どもにかけているかは、かなりの程度でわかる。

 

ぼくは学力が高めの学校も、低めの学校も経験したけれども、その差は残酷なほどである。できる子はいろんなことができる、そうでない子はおどろくほどいろいろなことができない。

 

ぼくは自分自身の経験からも、学生を教えた経験からも、女の子の育ちのことはよくわからないけれど、先の高校の先生のエピソードは、たぶん同じメカニズムが働いているのだろうと思う。

 

「個性を活かそう! 勉強ができない子はスポーツやアート、なんでもいいから得意なことをすればいいんだ!」という発想は、もう大人たちが過去を懐かしむ幻想になりつつある。勉強はいまいちだけどスポーツは誰にも負けない、といった類型に当てはまる児童生徒は消え去りつつある。

 

よく教育コストが高いと言われるが、たぶんそれは学費だけのことではない(学費も十分に高いけど)。一昔前だったら、近所づきあいや、子どもをその辺で放し飼いにすることで勝手に修得してきた技能を、お金で買わなければならないから高いのである。

 

それを補えるとしたら現状では親の時間をもって代替することが最も現実的だろうが、両親共働きが常態化した社会でどれだけの人がそれを行えるだろうか。

 

何を覚えるにもお金が必要だとしたら、教育の格差はますます拡大することになる。程度の差はあるけれど、教育を達成するには多額のお金か、際限がないほどの親の時間を投入しなければならないのは発達障害の子も同じなので、どうやってこの問題を解決すればいいのかなと、最近はいつも考えている。

 

発達障害に関する読者の皆さんのご質問に岡嶋先生がお答えします。
下記よりお送りください。

 

大学の先生、発達障害の子を育てる

岡嶋裕史(おかじまゆうし)

1972年東京都生まれ。中央大学大学院総合政策研究科博士後期課程修了。博士(総合政策)。富士総合研究所勤務、関東学院大学准教授・情報科学センター所長を経て、現在、中央大学国際情報学部教授、学部長補佐。『ジオン軍の失敗』(アフタヌーン新書)、『ポスト・モバイル』(新潮新書)、『ハッカーの手口』(PHP新書)、『数式を使わないデータマイニング入門』『アップル、グーグル、マイクロソフト』『個人情報ダダ漏れです!』(以上、光文社新書)など著書多数。
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