大学生活と発達障害
岡嶋裕史『大学教授、発達障害の子を育てる』

ryomiyagi

2020/06/18

 

大学で発達障害の子をみかけることが多くなった。

 

これだけ、とりわけ自閉スペクトラムにおいて、軽症化と絶対数の増大が言われているのだから、そりゃあ大学に進学する子も増えるよなあと思う。

 

発達障害(に限らず、障害や特性全般)に対応した入試を行う大学も増えてきた。

 

ただ、受験されるかた、特に保護者のかたにちょっと正しくない伝わり方をしているのだろうと思うのが、入試時の合理的配慮である。

 

これは、障害の特性に応じて、たとえば手の動きが円滑ではなくどうしても書くことに時間がかかってしまから試験時間を倍にするとか、通常の問題だと読みとれないのでハイコントラストの問題冊子を用意するとか、構内の移動に補助員が対応するとか、そういう話である。発達障害の子むけに簡単な問題が用意されるわけではない。入った後のことを考えても、適正水準の学力は必要である。

 

この辺はもうちょっと上手に広報していかないと、誤解を生んで受験者やご家族をがっかりさせてしまうのかなと思う。

 

受験を突破して大学に入学して以降の生活は、千差万別だ。自分に特性があることをどんどん言っていく子、なるべく言わずにすませる子、友だちを作りたがる子、一人でいようとする子、授業に出るのが好きな子、大人相手のほうがコミュニケーションが楽なので教員……はなかなかつかまらないから(大学の教員は暇な職業の筆頭格のように思われることが多いが、いまはけっこう黒に近い灰色なこともある)事務室に入り浸る子もいる。

 

大学のキャンパスという一つの生活圏のなかで、落ち着いて過ごせることはとても重要だ。落ち着いている子は、何か困ったことがあっても周囲が手を差し伸べやすい。

 

いま大学生の年代にある子たちは、多様性の受容やボランティア活動に高い価値をおく教育を受けてきているので、たぶん高い年齢層の人たちがぼんやりと抱いている世代イメージよりもずっと親切で協力的だ。

 

大学側もノートテイク(発達障害の子の悩みとしては、ノートを取る速度についていけない、が最も多い)のボランティアなどはいつも募集しているので、こうした人たちと良好な関係を結べれば楽しく学べると思う。

 

積極的に他者と関わる子は良さそうに見えるのだけれども、やはりコミュニケーションの仕方が独特なので(そもそもそこに困難を抱えているから、診断がついているわけだし)、トラブルになってしまうこともある。

 

小学校や中学校に比べたらS/T比は圧倒的に大学のほうが悪いので、教員や事務員の目はなかなか行き届かない。特に気をつけて見ていたとしても、もう学生さんたちも十分に長じた年齢ではあるので介入のしどころが難しい。

 

一部の高校で取り入れられているようなバディシステムなどを取り入れられればいいのかもしれないが、今のカリキュラムだと学生さんはかなり勉強に時間を割くので、バディとしての負担は過大である。この層への対応が大きな課題だと思っている。

 

単独行動が好きな子は就活でつまずきがちだ。いわゆる孤立型の子が、集団として有意に高い知的水準を持っているわけではないが、そういう生活スタイルを保ちつつ高校、大学の入試をくぐってきた子だと、やはり勉強のできる子は多い。周囲の助力があまりなくても、学力一本で自分のキャリアを積み上げてきたのだ。

 

このタイプも一見よさそうなのだが、前回も書いたように、いまの就職はコミュニケーション偏重である。長いこと一人でやってきた子はここで思ったような結果が得られず落ち込んでしまうことがある。そうすると、キャリアセンターと一緒にサポートしていくことになる。大学院進学率が下がっているので数が減ったが、そのまま大学院に進学する子もいた。たしかに大学院なら学力さえあればやっていける。卒業したときの就職口はさらにないけれど。

 

以前にいた大学では情報科学センターの所長というのをやっていたので、そのときにわがままを言って、発達障害の子に貸し出すためのタブレットを揃えたことがある。先生の声をそのまま文字起こししたり、板書を写真に撮ると、これも文字起こしするようなしくみである。しゃべるのが苦手な子は、文字入力すると合成音声で読み上げてくれる。

 

もうちょっと普及させたかったのだけれど、ぼくの力不足と、写真を撮られたり録音されたりするのを遠慮する先生がけっこうおられたことなどで、あまりうまく行かなかった。

 

大学の教員は教員免許があるわけでもないし、どちらかと言えばみんながみんな個人事業主のような気分で仕事をしているので、なかなか一律の対応が取りづらいのだ。この点は、これから発達障害の子を受け入れていく上で早急に改善しなければならないところかと思う。

 

最近はFD(Faculty Development:教育手法の組織的改善)で、他の先生の授業を聞いたりする機会が増えた。それを聞いていると、これ聞き取れないだろうとか、読めないだろうとか、逆に怒鳴られているのだろうか、という授業もある。小、中、高では考えられないほど、先生のやり方は分散している。

 

ぼくの子など、自分はけっこう元気なくせに、元気で声の大きな人は苦手なのである。勝手なやつだ。だから、ちょっとがさつめの立ち居振る舞いの先生だと涙がにじむことがある。もし大学の授業を受けたらきっといくつかの授業で泣くだろう。たぶんあまり向いてない。

 

これから、学力的には大学や大学院へ進学できる発達障害の子がどんどん増えていくと思うけれど、それが本人にとって幸せなことかどうかは、本人も交えてじっくり話し合うのがいいと思う。学歴の高低よりも、自分に向いたコミュニティに所属できるかどうかが、その子が感じる幸せ度を左右するように見える。

 

そういえば、ぼくも声の大きい人は苦手だ。日本式の会議だと、ロジックはなくても圧をかけることで議案を通過させようとする人は高い確率で出てくるので苦痛だった。ゆびに唾をつけて資料をめくって回してくるおじさんからも解放されたし、遠隔会議はほんといい。

 

発達障害に関する読者の皆さんのご質問に岡嶋先生がお答えします。
下記よりお送りください。

 

大学の先生、発達障害の子を育てる

岡嶋裕史(おかじまゆうし)

1972年東京都生まれ。中央大学大学院総合政策研究科博士後期課程修了。博士(総合政策)。富士総合研究所勤務、関東学院大学准教授・情報科学センター所長を経て、現在、中央大学国際情報学部教授、学部長補佐。『ジオン軍の失敗』(アフタヌーン新書)、『ポスト・モバイル』(新潮新書)、『ハッカーの手口』(PHP新書)、『数式を使わないデータマイニング入門』『アップル、グーグル、マイクロソフト』『個人情報ダダ漏れです!』(以上、光文社新書)など著書多数。
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