結婚・妊娠した娘を勘当するものの…… 元国連職員・大崎麻子さんの母(後編)
私たちの母の話

大崎麻子さんの著書『女の子の幸福論』を、学生時代に読めたらどんなに良かっただろうと思う。グローバルな視野、経済的な視点、ジェンダー問題への率直な姿勢。3つを兼ね備えた大崎さんは、若者に対していつも優しい。元国連職員で「女性のエンパワーメントのプロ」と称される彼女に、「母の話」を聞いた。

 

【前編はこちら】

 

 

 

妊娠で「あなたの人生は終わった」と勘当されるも……

 

――結婚宣言で母との仲に亀裂が走ったというお話でしたが、その後はどうなったのでしょう。

 

私は言い出したら聞かないと母もわかっているから、結局「仕方ない」と。でも、「ちゃんと夫と対等な関係にならないといけない」と言われて「はいはい」と聞いてました。でもその後、さらに揉めるんです(笑)。卒業と同時に結婚したのが1994年。その年にコロンビア大学の大学院に入学しましたが、NYに行ってすぐ妊娠したんですね。

 

――お母さんはびっくりしたでしょうね。

 

「あなたの人生は終わった」ぐらいのことを言われて。「結婚だけならまだしも、子どもが生まれたら子どもに対する責任が生まれる。大学院も子育ても、そんな片手間にできることじゃない、あなたは中途半端な選択をした」って、勘当されたんです。私も一度は、コロンビア大の事務局に入学辞退を申し入れました。つわりもひどくて、勉強は無理かなと思って。

 

――ご著書の『女の子の幸福論』にも書いてあったと思います。辞退の申し入れに行ったら、事務局の女性に「なんで?」と聞き返されたと。

 

そうです。「育児と勉強、両方やっている人はいくらでもいるから、なぜあなたにできないのか合理的に説明してくれ」って。「合理的に」って(笑)。やっぱりやってる人はいっぱいいるんだって勇気づけられて入学しました。日本だったら「はい、そうですね」で受理されていたはず。母に、「ちゃんとやって見せたい」という気持ちもありました。

 

――勘当はいつ解けたのですか?

 

1995年の3月に長男が生まれて、その数カ月後に里帰りしました。妊娠中は父と祖母とだけ連絡を取っていて、母は「孫は抱かない」って言っていたのに、見たらすぐ抱っこしてくれて。大学院を卒業して国連に入ってからも、よく来てくれました。息子が6歳の誕生日に「あなたも頑張ったわね」って言ってくれたのをすごく覚えています。

 

バブル時代は学生でも「日給10万円」の通訳バイトが!

 

――ちょっと話が戻りますが、大崎さんが大学に入学された頃はバブル景気の真っ只中です。バブルの風を感じるようなことはありましたか?

 

私が大学に入学したのは、日経平均が史上最高値(3万8915円)になった1989(平成元)年です。いわゆる「外タレ」のコンサートや、スポーツイベントがやたらたくさんありました。来日する人か。うスターやそのお付きの人の通訳をするバイトがたくさんあって、日給が10万円とか。それだけで月に100万円稼いでいる人もいました。私は新聞社でバイトしていましたが時給は600円で、たまにその通訳のバイトも。

 

――バブルの時期は就職活動での学生の囲い込みがすごかったと聞きます。

 

内定を出した学生に逃げられないようにハワイに連れて行く……とか。ただ、私が卒業した94年にはもうバブルが終わっていました。93年からは就職氷河期なので、92年卒と93年卒ではかなり差があって。ただ上智の場合、外資系を目指す学生が多かったのでそこまで影響はなかったかもしれません。当時は日本語と英語を完ぺきにできる人材が今より希少でした。

 

母から教えてもらった「人とのつながり」の大切さ

 

――その後、大崎さんは1998年に国連のニューヨーク本部に入局され、2002年に第2子をご出産されます。

 

国連では周りがみんな長男をかわいがってくれました。「この子に妹か弟をつくろうと思っているとして、仕事がネックになっているならそれは心配するな。全面的にサポートするから」って。第2子の妊娠を告げたら局長含めてみんな喜んでくれました。

 

――アメリカではお互いの家庭を大事にする文化があるのでしょうか?

 

アメリカというか、国連のカルチャーでしたね。泊まりの研修にも家族連れで行っていいんです。だから山荘での合宿に母や子どもも一緒に来たことがあります。家族のためのプログラムもあって、メンバーは多国籍だからみんなでタレントショーをしたりして。私の母も一緒にやって、笑いを取って楽しそうにしていました。

 

――お母さんは、今はどうされていますか?

 

16年ほど前に父が亡くなり、鎌倉に一人で住んでいます。起業した会社は今も続けています。母は昔からいろんなボランティア活動をしていて、60代後半になってからは点字の勉強をして、その後、小学校の支援学級で弱視の子どもさんの介助員を2年勤めていました。大学は教育学部だったので、当時は教師になる夢もあったようですから、それも実現させましたね(笑)私も、子どもの頃からボランティアや社会的な活動、イベントの場に母に連れられていくことがありました。社会にはいろんな問題があって、解決に関わっている大人がいる。そういうことを教えてもらっていたと思います。

 

――お話を聞いていると、ビジネスでもプライベートでも人とのつながりを大切にする方だったのかなと思います。

 

仕事でも地域でも人脈があって、こういうことを学習したいというのが常にある人。私もやがてこうなっていくのかなというモデルになっていると思います。

 

 

大崎麻子
1971年生まれ。女性のエンパワーメント専門家。元国連職員。上智大学卒業、米国コロンビア大学で国際関係修士号取得後、国連開発計画(UNDP)ニューヨーク本部に入局。大学院在学中に長男、国連在職中に長女を出産。現在はフリーの専門家として、大学、NGO、メディアなどで幅広く活躍。関西学院大学客員教授、聖心女子大学非常勤講師、TBS系「サンデーモーニング」レギュラー・コメンテーターなど。著書に『女の子の幸福論 もっと輝く、明日からの生き方』(講談社)、『エンパワーメント 働くミレニアル女子が身につけたい力』(経済界)。

 

 

 

私たちの母の話

小川たまか

ライター
主に性暴力、働き方、教育などを取材・執筆。
性暴力被害当事者を中心とした団体、一般社団法人Springスタッフ、性暴力と報道対話の会メンバーとしても活動。
初の単著『「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を』(タバブックス)が発売中。
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