母娘2代で東大 バブル期に就職・結婚したひらりささんの母(前編)
小川たまか『私たちの母の話』

数年前、ウェブメディアにいる若手の面白い人として紹介されたのがひらりささんだった。その後彼女は、「劇団雌猫」のメンバーとして『浪費図鑑』や『だから私はメイクする』などを上梓し、大きな話題を呼んでいる。メイクからオタクカルチャーまで、縦横無尽に「自分たちの好き」を発信する姿は、少し上の世代の私から見てすごく「現代的」に見える。彼女のお母さんは、どんな人なのだろう。

 

 

■母は、美人で屈託のない東大女子

 

――悪友シリーズや『浪費図鑑』、どこを切っても濃密で楽しそうで嫉妬してしまうほどです。『だから私はメイクする』巻末の座談会でひらりささんが「母親は色白の美人でモテモテエピソードがたくさんある」と書いてらしたのを見て、お話を聞いてみたいなあと思っていました。

 

ひらりささん:中学時代に中国人留学生から「結婚して一緒に国に来て」と言われたことがあるとか、モテエピソードはいろいろ聞いたことがあります。美人で屈託のない東大女子。働き者だし贅沢もあまりしないし、子どもに対しても不平等とかずるいことをしない人ですね。

 

――さらっと言いましたが、非の打ち所がないですね。ひらりささんも東大出身ですよね。母娘2代で東大なんですね……!

 

そうなんです。母は1961年生まれ。祖父母はともに千葉県出身で、祖父は公務員、祖母は郵便局に勤めてました。祖父母ともに大学へは行ってないんですが、母は昔から勉強が好きで優秀だったみたいです。夜中まで勉強して心配されていたって。

 

――勉強が苦ではなかったんだ。すごいなあ……。

 

祖父母はどちらかというと「女性だから大学に行かなくてもいい」と思っていたみたいです。でも実際に東大に受かったらめちゃくちゃ喜んで、祖父は喜びすぎて階段から落ちて骨折したって(笑)。

 

――漫画みたいですね。東大は今も女子の割合が少ないと聞きますが、当時はさらに少なかったのでは?

 

母は文三(文科三類)でフランス語専攻で、比較的女子の多いクラスだったようですが、それでも50人中7人ぐらいだったって言ってました。

 

――ちなみに、ひらりささんのときは?

 

私は文一(文科一類)なので比較しづらいんですが、30人中女子は5人ぐらいでした。
(※)1970年代の東大の女性比率は5%程度。2000年代に入り、18~20%で推移。2015年には「2020年までに女性比率30%」の目標が掲げられた。

 

■総合職で入社しても女性は「お茶くみ」

 

――1961年生まれということは、就職時はバブルが始まる頃。だいぶ景気が良かった頃ですね。

 

就職はあまりこだわりがなかったみたいです。当時、採用を拡大していたソフトウェア系企業が女性も採用する傾向だったから、という理由で決めて。同期は1,000人採用されて、その中で女子が200人ぐらいだったと言っていました。

 

――当時の就活は、当然インターネットがないわけですよね。

 

リクルートのサイトとかももちろんない。就職ガイドブックがあって、ハガキで企業にエントリーシートを送った時代ですよね。

 

――総合職だったんですか?

 

はい。COBOLとかを学んで、顧客にプログラミングの指導をしていたらしいです。でもお茶くみとかは当然のようにあったって言ってました。どれが誰のコップか覚えてお茶を淹れる、男性がそれをやることはもちろんなく、みたいな。

 

■ときはバブル 『私をスキーに連れてって』の時代

 

――昭和ですね~。

 

バブルで羽振りが良かったので、仕事のあとで鎌倉の海に行ったり飲み会に行ったり、経費を使い放題だったって。週末のたびにスキーに行って、会社に出てくる、とか。

 

――アフター5を満喫。『私をスキーに連れてって』って映画もありましたよね。若者が元気だった時代……。お父さんとはどこで出会ったんですか?
(※)1987年公開。ホイチョイ・プロダクション原作、原田知世主演。

 

母は学生時代から付き合っていた先輩がいたんですが、その先輩は銀行に入行して、「窓口の女性と付き合うから別れたい」って言われたらしいんですね。“3メートル定理”と母は言っていたんですが、総合職の周りに一般職の女性をおいて付き合わせるみたいなことがあった時代だそうで。母が盲腸で入院していたら入院中に別れの手紙が来たって。

 

――つらすぎます。

 

結婚秒読みだった相手を取られたっていうのは苦い思い出だったようで、その話はたまにしていました。そのあとの合コンで出会ったのが父。大手企業の幹部候補生で、合コンのときにみんな日焼けしていたから、母が「みなさん外回りなんですか?」って聞いたら空気が固まったって言ってました。スキー焼けだったって(笑)。

 

■子どもを預けて働くのは「かわいそう」

 

――そして、ご結婚。

 

26歳のときですね。結婚にあわせて会社をやめたそうです。

 

結婚式での母

 

――25歳が「結婚適齢期」と言われた時代ですもんね。『ヴァンサンカン・結婚』っていうドラマもあったし。それで専業主婦に?
(※)1991年放送、フジテレビ系列。安田成美主演。

 

いや、出張の多い仕事で続けづらかったので、転職したんです。ただ、私の妊娠・出産をきっかけにやめることになり、そんなに続かなかったよう。父方の祖母から「子どもを預けたらかわいそう」と言われて諦めたと言ってました。

 

――「保育園なんてかわいそう」って風潮はその時代はありましたね。私は保育園育ちでしたが、そういう空気は感じてました。

 

母は家事とか主婦業自体は好きだったみたいだけど、キャリアを遮られた不満はやっぱりある様子ですね。あと、社宅でのママ友づきあいは割と大変だったみたい。

 

――大変そう……。

 

古くてボロボロの社宅ではあったんですけど、1LDKで家賃が4,000円。同じ社宅でも、高卒の技術職から幹部候補生までみんな住んでいるので収入格差があって、「〇〇ちゃんのおうちは海外旅行に行った」とか、すぐ噂になるんですよね。窮屈さはありました。あ、でもママ友同士で『Kiss』の回し読みとかをしていたので、仲の良いところももちろんあったと思います。

 

――昔の少女漫画、懐かしいですね。

 

母が読んでいたから、私も『世界でいちばん優しい音楽』とか『花きゃべつひよこまめ』とか読んでいました。大人が読んでいるものを手に取れる環境でした。
※『世界でいちばん優しい音楽』(小沢真理/1992~1999年) ※『花きゃべつひよこまめ』(篠有紀子/1992~2000年)

 

――最初に「非の打ち所がない」と言いましたが、完璧なお母さんという印象です。

 

私もそう思ってました。でもその後、うちの両親は離婚をしているんです。それで初めて、「母も完璧ではないんだな」と思った、というところがありますね。

 

(後編へ続く)

 

 

【ひらりささんプロフィール】
1989年東京生まれ。東京大学法学部を卒業後、数社を経て現在はIT企業勤務。アラサー女性4人のサークル「劇団雌猫」で同人誌『悪友』シリーズを編集。2017年8月に発売した『浪費図鑑―悪友たちのないしょ話―』がヒットし、『シン・浪費図鑑』『まんが浪費図鑑』(以上、小学館)、『だから私はメイクする 悪友たちの美意識調査』(柏書房)を次々に刊行。最新作は2019年3月発売の『一生楽しく浪費するためのお金の話』(イースト・プレス)。@sarirahira

 

『一生楽しく浪費するためのお金の話』イースト・プレス

私たちの母の話

小川たまか

ライター
主に性暴力、働き方、教育などを取材・執筆。
性暴力被害当事者を中心とした団体、一般社団法人Springスタッフ、性暴力と報道対話の会メンバーとしても活動。
初の単著『「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を』(タバブックス)が発売中。
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