母娘2代で東大 バブル期に就職・結婚したひらりささんの母(後編)
小川たまか『私たちの母の話』

数年前、ウェブメディアにいる若手の面白い人として紹介されたのがひらりささんだった。その後彼女は、「劇団雌猫」のメンバーとして『浪費図鑑』や『だから私はメイクする』などを上梓し、大きな話題を呼んでいる。メイクからオタクカルチャーまで、縦横無尽に「自分たちの好き」を発信する姿は、少し上の世代の私から見てすごく「現代的」に見える。彼女のお母さんは、どんな人なのだろう。

 

 

■スーツケースに荷物を詰め込んで別居

 

――お母さんは子どもの教育に熱心だったりしたのですか?

 

勉強しろと言われたりはしなかったんですが、教育にお金を惜しまない家でした。公文式は幼稚園からやっていたし、中学受験のときは塾に車で送り迎えしてくれて、お弁当もつくってくれて、至れり尽くせり。母自身が勉強熱心で、図書館でよく本を読んでいたし、面白い新聞記事があると教えてくれたり、そういう影響も大きかったと思います。

 

――母の背を見て育つ、みたいな。

 

あと、私が小学校高学年の頃には税理士の勉強を始めて税理士事務所でも働いていました。父は残業が多くて全然家にいなかったので、今で言うワンオペで2人育児だったけれど、家計のやりくりから家事まで一切をこなして、その上で資格を取る勉強も常にやっていたと思います。

 

 

幼少時のひらりささん

 

――ひらりささんは中学から私立だったんですね。

 

はい、中高一貫の女子校に入りました。公立中は荒れているって言われていた時代だったんですよね。そこで父と母の温度差がありました。母は中学受験の情報を集めてくれて、父に「子どもの学費がかかるから協力して」って言うんだけど、軋轢があって……。私が中3のときに別居をして、結局両親は私が高3のときに離婚したんです。

 

――それは覚悟のいる決断だったでしょうね。

 

別居のときは父がいないうちに家を出たので、昼間にスーツケースを2個転がして駅まで行ったんです。家に入ったのは、それきりだったような。だから中3以前のものは全部持ち出すことはできなかったんですよね。

 

――そうだったんだ……。

 

別居先は祖父母の家の敷地内にある築40年のおんぼろアパートで、汲み取り式のトイレでした。クーラーを付けて、インターネットも引いてもらって……。住むところがあったのはラッキーだったと思います。私は祖父母宅の居間で大学受験の勉強をしました。おばあちゃんおじいちゃんが「新婚さんいらっしゃい」をイヤホンをつけて見ている横で、みたいな。

 

1988年頃の母

 

■上の世代の女性が持つ「手に職を」の意識

 

――別居から離婚までは結構時間がかかったんですね。

 

図書館で離婚の本を借りたりしていろいろ調べたみたいです。でも相談に行った先で女性の弁護士から「あなたがワガママなんじゃない?」とか言われたみたいですね。

 

――ひどい。

 

子どもから見て、もう昔から家庭は破綻してたと思うんですよね、ずっと……。父が親権を主張したので離婚調停で2か月に1度ぐらい裁判所に行ってました。その頃もう母は働きだしていたから有給を使って行くんだけど、何度も父からドタキャンされたりして。司法制度を変えようって思ったわけではないけれど、自分ならもっと良い弁護士になれるかもと思って私は法学部を目指したんですよね。

 

――なるほど。

 

あと、母が「手に職を」って意識が強かった影響もあると思います。今は時代が変わって「資格があってもどうにもならない」ってところがあるけれど、上の世代の女性は割と「手に職を」って言うなって。母の時代は、結婚と出産で女性のキャリアが断絶してしまうのはしょうがない。でも資格を持っていれば断絶しないって思っていたんだと思います。

 

――お母さんは離婚後にどんなお仕事をされていたんですか?

 

教育関係の企業です。就職したのが2005年か2006年頃。東大卒なのと、子ども2人が受験生っていうのをアピールして、正社員をゲットしたんです。

 

――すごい。約18年ぶりの正社員復帰。

 

その仕事を今でも続けていて、楽しいみたいです。母の女友達は、離婚して大学教授になっている人とか、国立の医療センターで実験助手をしている人とか、最初のソフトウェア企業の同期で会社を辞めて起業した人とか、意外と多様な生き方をしているなと思います。子育てが終わった今は、数か月に1回ぐらい会ったりしてますね。

 

■震災を機に変わった、働き方への意識

 

――ちなみにひらりささんは、どんな風に今の仕事を選んだのですか?

 

学部を卒業したあとで法科大学院に進もうと思っていて、その時期に東日本大震災があったんです。法科大学院の予備校があった御茶ノ水の雑居ビルで模試を受けていたら地震があって、すごく揺れているのに誰も帰らない。そのときに、「明日死ぬとしたら勉強していたくない」って思ったんですよね。

 

――震災で考え方が変わったという人は多いですよね。

 

その年の冬にとりあえず大学院入試に受かったんですけど、「どうしよう」って悩んでしまって、1か月ぐらい寝込んでいたら、母から「そんなに嫌なら好きなことやりなよ」って。母の影響で「手に職」って思っていたし、お金がすごくある家でもないから、長く安定して働ける仕事をって固定観念があったんですけど、そのときに考え方が変わりました。母も、私がやりたいことをやるのが一番だよと言ってくれて。

 

――それで就職を。

 

はい。すぐに就活を始めて、留年しないでベンチャーのウェブメディアに入りました。それまでとは全然違う文法、考え方の人たちと出会って世界が広がったなと思います。私は不真面目でできるだけサボりたいほうだったので、東大に合ってなかったのかもしれない。母は、真面目な人の多い東大で違和感なく暮らせるタイプなので、そこは母娘で違うんじゃないかなと思います。

 

――劇団雌猫のメンバーも社会人になってからの友達ですか?

 

そうですね。今は社会人になってからできた友達のほうが多い。ネット友達と旅行に行くって言うと母は驚くけれど、それで止められたりはしないです。私が書いている有料のnoteも購読しているそうです。お小遣いをあげているつもりで中身は読んでないと言ってましたが、本当に読まないでほしい……(笑)。

 

――ほど良い距離感で付き合っているのかなと感じます。

 

自分が離婚をしているからか、「早く結婚しなさい」と言われることもなく、「もしお嫁さんを連れてきても気にしないよ」って言われたりするっていう、楽な感じですね。

 

【ひらりささんプロフィール】
1989年東京生まれ。東京大学法学部を卒業後、数社を経て現在はIT企業勤務。アラサー女性4人のサークル「劇団雌猫」で同人誌『悪友』シリーズを編集。2017年8月に発売した『浪費図鑑―悪友たちのないしょ話―』がヒットし、『シン・浪費図鑑』『まんが浪費図鑑』(以上、小学館)、『だから私はメイクする 悪友たちの美意識調査』(柏書房)を次々に刊行。最新作は2019年3月発売の『一生楽しく浪費するためのお金の話』(イースト・プレス)。@sarirahira

 

『一生楽しく浪費するためのお金の話』イースト・プレス

私たちの母の話

小川たまか

ライター
主に性暴力、働き方、教育などを取材・執筆。
性暴力被害当事者を中心とした団体、一般社団法人Springスタッフ、性暴力と報道対話の会メンバーとしても活動。
初の単著『「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を』(タバブックス)が発売中。
関連記事

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitterで「本がすき」を

RANKINGランキング