「1回50ドル」ジャカルタ・スラム街ツアーの裏側で目にした光景【第5回】丸山ゴンザレス
丸山ゴンザレス『世界の危険思想~ヤバイ奴らの頭の中~』

 

プレゼントをもらってはしゃぐスラムの子どもたち

 

スラムを取材する側の悩みどころについて、少し紹介してみたいと思う。

 

インドネシアの最大都市ジャカルタを訪れたときのことだ。街の外れの方にスラムがあるという話を在住の友人から聞いた。コタ地区という風俗やクラブの集まる地元の人たちの繁華街のエリアからほど近い。スラムを取材するのはライフワークとなっているので、当然のように行ってみることにした。

 

町並みはいたって普通。中心部の高層ビル群とは違って低い建物が並ぶ。開発が追いついていない、あるいははこれからの場所なのだ。

 

事前にツアーガイドを予約した。待ち合わせに指定されたカフェの前にいたのは50歳ぐらいの男だった。英語を操り丁寧に挨拶をしてくれた。友達が気を回して手配してくれたのだが、いつも1人でスラムを好き勝手に歩いている身からすると、参加すること自体に居心地の悪さを感じる。ちなみに一人50ドルぐらいとられるが、そこに引っかかったわけではない。

 

それでも参加したのは、友人のせっかくの厚意に乗っておこうと思ったのが半分。あとの半分は、ツアーガイドがどのようにスラムを案内するのかが気になったからだ。

 

当日になって知ったのだが、スラムの子どもたちに何かしらのプレゼントを用意できるならして欲しいというリクエストがあった。あくまで「できれば」というリクエストだったので、別にいいだろうと友達と話し、気にしてもいなかった。

 

参加者は白人の熟年夫婦、白人の女性といった感じで外国人観光客が多かった。彼らとガイドと一緒に川沿いのスラムの入り口に向かう。

 

湿地帯の上に建てられた家は木造で、貧相な感じがした。住人たちの着古した感じの服装をしている人がほとんど。ただ、子どもたちが走り回っていて、貧しいながらも楽しく暮らしているような感じを受けた。各地のスラム街と変わらない光景だ。

 

いくつかの集落を回っていると、ガイドからふいに、「ここの家に子どもたちを集めるので、ここでおみやげを渡して欲しい」とひとつの建物に案内された。同行していた外国人観光客たちは、カバンから次々に文房具などを出して配りだした。その「思っていたよりも本格的なお土産」が配られる様子を見て、手ぶらできた私達はいたたまれない表情になってしまった。

 

(まずいな~)

 

内心、罪の意識で押しつぶされそうだった。実際、おみやげを貰った子どもたちは過剰に見えるほどに喜んでいた。あまりの居心地に悪さに、ガイドの目を盗んで家の裏に行ってタバコを吸って緊張を和らげようとしたが、箱の中は空っぽ。途中に売店があったのを思い出し、「スラムで売ってるタバコでも買っておくか」との軽いノリで、店を探しに行った。すると、なかなか見つからない。ようやく見つけて買って戻ると、今度は先ほど集められた家の真裏に出た。こういう“迷宮”感がスラムの面白さでもある。

 

家の真裏で予想外のものを見た。先ほどまで、子どもたちを紹介してくれていた親と思われる中年男性が、室内でハンモックに揺られながら、iPhoneを握って、iPadで読書をしていたのだ。部屋にはパソコンも置いてあった。

 

別に何も悪いところはない。ただ、文房具ひとつで喜んでいた子どもたちの家の人にしては、持ち物の階層が合わないように思った。

 

ツアー側の「仕込み」だったというわけではないだろう。おそらく、彼らは実際に貧しいだろうし、外国人からプレゼントをもらった子どもたちは素直に喜んだのだと思う。ただその喜びは、貧しいからではなく、子供ならではの異文化体験に対するものだったのかもしれない。家主の男にしても、今日明日食えないような貧乏人として紹介されたわけではない。

 

問題は見せる側ではなく、見る側にある。見学している側が「この人は貧しい人で大変な暮らしをしているんだ」と思ったに過ぎないのだ。相手に対して見たいものを投影して見ているだけなのだ。

 

震災の被災者像と同じ「フィルター」

 

「NPOフィルター」。ここで思い出したのは、この言葉だった。東日本大震災の際に取材者の間で使われることがあった。

 

なんでも必要だろうからと不用品を送りつけたり、「支援しに来たんだから宿にタダで泊まらせろ」と見返りを要求したり、被災者が元気だと「がっかりした」と平気で言ってしまうような人たちがいて、「モンスターボランティア」「押しかけボランティア」などと忌避された。このような自分たちの理想とする被災者像を押し付け、現実と乖離した支援を強要するという問題は、実感として記憶にある人もいるかと思う。

 

震災後も似たような現象をほかの場所でも耳にするようになった。支援する側が押し付けてくる期待やイメージ、それらを「NPOフィルター」と称するメディアなどがあった。もちろん個人の行動であって、NPOが絡んでいないこともあるし、そもそも立派なNPOが大半であって、一部の人達の行動でNPOの名誉が傷つけられている側面もある。私自身、NPOに対してマイナスな感情はない。

 

残念なことに震災支援の教訓などは、集合知として蓄積されにくいので、受け継がれにくい。こうした現象は、時間とともに薄れてしまう。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の典型のような現象だと思う。

 

話を戻すと、スラムで私が見たことも同じなのだと思う。ツアーガイドは、自分の見せたいところを見せ、それがフィルターとして作用する。ツアーガイドはプロなので、「正しいスラム」を見ることは可能だろう。それに、彼らが案内するスラムも本当の姿のひとつではある。だが、そこがスラムの実態なのかといえば、違うところだって出てくる。だからこそ、自分で見たものをもとに、自分で判断するべきだと思っている。

 

ただ、「人は見たいものを見たいように見る」ということを忘れないほうがいい。もしあなたがスラムツアーに参加したとして、心のどこかで悲惨な生活を見たいと思っていたら、ツアーガイドがどのように語ろうとも、あなたは集落の悲惨な場所をフォーカスしてしまう。たとえ、スラムの人がたまたま休日に家で寝ているだけだとしても、「ああ、仕事がなくて体力を使わないようにしているのか」と考えてしまうのだ。

 

さきほどのNPOフィルターの例もあるが、先入観を投影してしまうのは、誰にでもありえること。陥りがちな失敗である。優しい人の素顔が凶悪な強盗かもしれないし、素直な子供がドラッグの売人かもしれない。思い込みで本当の姿を見る目を曇らせてしまうのは、すぐに危険と断じることはできないが、状況によっては危険をもたらす引き金となりかねない。そのあたりは私にも言えることなので、自戒の念を込めるためにもここに語っておいた。

世界危険思想

丸山ゴンザレス(まるやま・ごんざれす)

1977年、宮城県生まれ。考古学者崩れのジャーナリスト・編集者。無職、日雇労働、出版社勤務を経て、独立。著書に『アジア「罰当たり」旅行』(彩図社)、『世界の混沌を歩くダークツーリスト』(講談社)などがある。人気番組「クレイジージャーニー」(TBS系)に危険地帯ジャーナリストとして出演中。
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