第1回「見本日」
山口ミルコ『バブル』外伝

幻冬舎創業期を支えた元ベストセラー編集者山口ミルコ、ボスとの出会いから別れまで――。同時代を生きた異業種の女性たちの発言を織り込みながら自らの会社人生を綴った異色のストーリー『バブル』(9月17日発売・光文社刊)には、書けなかったこと、書かなかったこと。<記憶>のなかの大切な人たち、場所、ことがらについて。

 

『バブル』(9月17日発売・光文社刊)の見本が出来た。
「見本」とは、本の発売前に、関係者が受け取ることのできる商品のことであり、つまり刊行される本そのものなので、そういえば「見本」でもなんでもないのだが、出版界ではそう呼んでいる。

 

「見本」は版元と著者、装丁者など、その本で仕事をした人びとが、受け取る。
今回「見本」を受け取る『バブル』で、私は著者だ。
しかし以前も編集者だったので、「見本」はこれまでの人生で何度も受け取っている。
それでも「見本」の出る「見本日」というのは、何度経験してもいいものである。
「ああ、ようやくこの本が世に出るのだなぁ」としみじみ思う日。
そして、一緒に本を作った同志で、喜びを分かち合える日。
「見本日」は、そんな嬉しい日だ。

 

出来たばかりの見本を受け取る山口ミルコ  撮影・編集部

 

「見本日」はたいていの場合、嬉しい日となるのだが、そうでなくなることも、ある。
出来上がった本にミスが見つかったときなどには、全身の毛穴が開いて冷や汗が噴き出す。ひどく落ち込んで具合が悪くなるだけでなく、刊行が遅れそうな事態に陥った経験も、過去にはあった。その暗い思い出が、編集者をやめて10年経ったいまも、「見本日」を迎える私の胸に一瞬よぎる。
もういいかげん忘れたいことも多いのに、編集者時代における私の<記憶>はここへきて、より鮮明になってきている気がする。

 

会社をやめるとき、人は何も持って出られない。
が、<記憶>だけは、その人のものだ。
時間がたつほどくっきりと、繰り返し立ち上ってくる――<記憶>のふしぎ。

 

『バブル』は、私が見城徹氏のもとにいた編集者時代20年の回想録を軸にした、働く女性たちのドキュメントだが、この本を書いたことで、よりいっそう当時の<記憶>が生き生きしている。
せっかくなのでこの機会に思いきって、私は退社以来ずっと封印してきた<老後の箱>を開けてみることにした。
<老後の箱>とは、編集者時代の写真、作家からの手紙、自分が書いた作家への手紙のコピー、企画書・・・などを入れたダンボール一箱のことで、晩年まで開けないよう厳重に閉じて、クローゼットの奥に押し込んである。死ぬまぎわになったらそれを開け、青春時代を振り返ろうと思っていた。なぜ封印しなければならなかったかは、『バブル』を最後までお読みになった方になら、ご理解いただけるのではないかと思う。

 

今回この「本がすき。」の連載では、『バブル』には書けなかったこと、書かなかったこと、が、<老後の箱>を開けることによって、出てくるのかもしれない。
<記憶>のなかの大切な人たち、場所、ことがらについて、折々触れていけたらと思っている。
これからしばらくのあいだ週一回、お付き合いいただけましたら幸いである。

 

バブル
山口ミルコ / 著

illustration:飯田淳
毎週水曜日更新

ミルコの『バブル』外伝

山口ミルコ

(やまぐち・みるこ)
1965年東京生まれ。専修大学文学部英文学科卒業後、外資系企業勤務を経て、角川書店雑誌編集部へ。「月刊カドカワ」等の編集に携わる。94年2月、幻冬舎へ。幻冬舎創業期より編集者・プロデューサーとして、芸能から文芸まで幅広い出版活動に従事。書籍編集のほか雑誌の創刊や映画製作に多数かかわり、海外留学旅行社の広報誌の編集長等をつとめた。2009年3月に幻冬舎を退社。フリーランスとなった矢先、乳ガンを発症。その経験をもとに闘病記『毛のない生活』(ミシマ社、2012年)を上梓、作家デビュー。以降、エッセイ、ノンフィクションを執筆するほか、大学等で編集講義をおこなう。
公式HP:https://yamaguchimiruko.tanomitai-z.com/
Twitter:@MirukoYamaguchi
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