第7回「アレックスと私」
山口ミルコ『バブル』外伝

ryomiyagi

2020/10/28

会社を辞め、乳ガンを経て振り返った、自らの会社人生。そのストーリーを軸にして、「バブル」という同時代を駆け抜けた異業種の女性たちの、声にならない声を綴った『バブル』(9月17日発売・光文社刊)。名物編集者だった著者が、本編には書けなかったこと、書かなかったこと、<記憶>のなかの大切な人たち、場所、ことがらについて。

 

著者のアイリーン・M・ぺパーバーグ氏と。千葉県我孫子市のジャパンバードフェスティバルにて(2012年)。

 

『バブル』最終章――ボスとの別れのシーンに、『アレックスと私』(アイリーン・M・ぺパーバーグ著・佐柳信男訳)という本が出てくる。女性科学者が研究対象である<ヨウム>との30年にわたる交流と研究成果を綴った回想録だ。
2008年の秋(リーマンショックの時)に私がニューヨークの出版社を訪れた話は『バブル』の第16章「転職前夜」に書いたが、その出版社=ブロックマン社との付き合いは、もっと前にさかのぼる。
『キュリアス・マインド』(ジョン・ブロックマン編・ふなとよし子訳)を出したあと、「日本版はこんな本になりました~!」とブロックマン氏へ本を持って報告しに、訳者のふなとさんとニューヨークへ行った。そのとき、「次はこの本を日本で出さないかい?」とすすめられたのが、『ALEX and Me』だったのだ。
これが、私の幻冬舎に残した最後の本となったのだが、十年の時をこえて、早川書房で文庫化されるという朗報が舞い込んできたのは、『バブル』を校了中のことだった。このころ何かとたいへんだったので、翻訳者の佐柳さんからのアレックス文庫化の知らせにはほんとうに救われた。

 

佐柳信男氏は山梨英和大学で教えている、心理学の専門家である。彼の情熱と才能がなければ、アレックスの日本語版は出ていない。というのも当初私はブロックマン氏から『ALEX and Me』を預かったものの、翻訳で少々てこずっていたのだ。
アレックスが話す、鳥語?のニュアンスがむずかしい。科学者の本なので専門用語もけっこう出てくる。どうしたものかと困っていたところ、佐柳さんが目の前に登場したときは、天国のアレックスが佐柳さんを私のところへ運んでくれたのだと思った。そのちょっと前に私は路上に倒れていた鳥を助けたので、そのお礼なのかもしれなかった。
「ぜひ、ぼくに翻訳をさせてください」と名乗り出たあと、あっというまに見事な翻訳原稿を、佐柳さんは上げてきた。
あんな鮮やかな仕事を目にすることは、めったにない。それまで「?」だらけだったものがすごく読みやすい日本語になっていて、私は彼をベタホメした。そのときの図を浮かべると、場所はたしか神保町のスタバで、私たちは背の高いスツールに坐っていたと思う。
ご自身が研究者であること、心理学に精通しておられること、はもちろんあったと思うが、佐柳訳の巧さのヒミツを私はその場で解明した。
英語→日本語、の一方通行ではなく、日本語→英語→日本語→英語・・・と、このひとの体内では二つの言語が行ったり来たりということがフツーに行われるのだ。そう思って読むと、鳥語がすんなり入ってくるのも腑に落ちた。

 

自分が会社をやめたあと、本が時をこえてよみがえることなど考えもしなかった。
版元がどうのとか、担当編集者がどうのとか、そういうことから離れた場所へあの作品が行ったのは、アレックスの意向にちがいない。
ああ私はもう編集者ではないのだなぁと、いまは素直に清々しい気持ち。ありがとうアレックス。

 

バブル
山口ミルコ / 著

illustration:飯田淳
毎週水曜日更新

ミルコの『バブル』外伝

山口ミルコ

(やまぐち・みるこ)
1965年東京生まれ。専修大学文学部英文学科卒業後、外資系企業勤務を経て、角川書店雑誌編集部へ。「月刊カドカワ」等の編集に携わる。94年2月、幻冬舎へ。幻冬舎創業期より編集者・プロデューサーとして、芸能から文芸まで幅広い出版活動に従事。書籍編集のほか雑誌の創刊や映画製作に多数かかわり、海外留学旅行社の広報誌の編集長等をつとめた。2009年3月に幻冬舎を退社。フリーランスとなった矢先、乳ガンを発症。その経験をもとに闘病記『毛のない生活』(ミシマ社、2012年)を上梓、作家デビュー。以降、エッセイ、ノンフィクションを執筆するほか、大学等で編集講義をおこなう。
公式HP:https://yamaguchimiruko.tanomitai-z.com/
Twitter:@MirukoYamaguchi
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