解釈が一対二に分かれた新聞見出し。不明7日の男性が何を見つけた!?
間違ってないのに間違って伝わる日本語

 

 

文法的には何も間違ってない。のに、 改めて考えるとなんかおかしな意味にとれてしまう日本語ってありますよね。それを心理言語学的に考察してみようというのがこのシリーズです。私達が文を読んだり聞いたりする際にどのように文法知識を使いこなしながら情報を処理している(文理解)のか、また読み手、聞き手にとって日本語はどんな特徴を持つ言語なのか。今回題材にするのは数年前に見かけたこんな新聞記事。

 

ヒグマ調査の職員、見つけたのは不明7日の男性

2014年08月25日 Yomiuri onlineより

 

私はこれを読んで、「ええっ? 自分自身が行方不明でさまよう中、ヒグマ調査の職員を偶然発見しちゃいました、みたいな?」という実際以上に珍しい話だと思ってしまいました。調査員も遭難してたんかい!と一瞬驚いたわけです。それは完全な誤解で、実際の記事の内容は以下の通りです。

 

「ヒグマ調査の職員が24日、知床連山で行方不明となって7日の男性を発見した。右足のかかとの骨が折れているものの、命に別条はないという。食料がなくなり、24日は地図を頼りに自力下山を試みたと話している。」

 

私は発見した方とされた方をわざわざ逆に解釈していたわけですが、そんな特異な状況をあえて想像した私がよほどオカシイのでしょうか? 試みに、SNS友達の皆さんにインターネット上で二択のアンケートを行い、直感で最初に思いついた解釈を尋ねてみたところ(回答数62件)、以下のような結果に。大方、記事を書いた人の意図通りの解釈で回答してくれていましたが、約三分の一の人が私と同様の「へ?」を経験したようです。少数派と言えど、この割合は無視できませんね。

 

 

さてこの見出し「ヒグマ調査の職員、見つけたのは不明7日の男性」は、厳密にいうと両方の解釈を許してしまいます。つまり多義性があるというわけですが、そこには二つの理由がからみあっています。一つ目にまず、「主題化(または話題化)」と言って、「これからこのことについて話す」という「主題・話題」にあたる部分を文頭に持ってくることができる仕組みがからんでいます。この時、「主題」として文頭に持ってこられたのがもともとの主語であれば見た目の語順に変化はありませんが、文頭に移動したのが本来の目的語であったなら、語順の倒置が起こることになります。新聞の見出しでは実によく使われています。今、手元で主要な新聞のサイトのトップを見ただけでも多数がそうした見出しです。

 

南海トラフ「前兆現象」で避難、震源域に促す(Yomiuri online, 2018.12.11)
気候変動、スポーツ界が新枠組み(朝日新聞デジタル 2018.12.11)
紛失令状、逃走男が利用の車内で見つかる (デジタル毎日 2018.12.11)

 

よく見たら、それぞれの文頭のフレーズには格助詞がついていませんが文として成立しています。「ヒグマ調査の職員、見つけたのは不明7日の男性」についても、肝心のこの主題である「ヒグマ調査の職員」が、「見つけた」の主語なのか目的語なのかを本来示してくれるはずの格助詞がなくてもちゃんと成り立ってしまうのです。

 

そういうわけで、「ヒグマ調査の職員、見つけたのは不明7日の男性」は、のっけから「ヒグマ調査の職員」と「見つけた」の関係がよくわからないまま始まってしまう。上に挙げたいくつかの見出しの例でわかるように、こうした倒置文は普通、読み手がその関係を誤解しようがない場合に使用されますが、残念ながら「ヒグマ調査の職員、見つけたのは不明7日の男性」に関しては、読者の約三分の一が誤解しております。何か他にも、スムーズな理解を妨げる要素がこの見出しにはあるのでしょうか。

 

「ヒグマ調査の職員、見つけたのは不明7日の男性」という表現を構造として見ると、「~したのはxxxだ」という文型になります。これは「分裂文」と呼ばれる強調構文です(英語なら”It is xxx that ~”という、いわゆるit ~that~構文にあたります)。分裂文は関係節と共通点があり、前半の「~したのは」の部分の意味上の主語もしくは目的語(それら以外の要素の場合もあります)が表面上削除され、そこには後半の「xxx」の内容を補って理解することになります。こんな具合に。

 

 

 

 

どちらも、言わんとしていることはイラストと対応していますが、強調されているのがアリスなのかウサギなのかが異なるというわけです。

 

アリスとウサギの例では、[ ~~ ]の中に、動詞と一緒に「が」のついた主語(アリスが追いかけているのは)、または「を」のついた目的語(ウサギを追いかけているのは)がちゃんと存在するので、この中で表面上削除されている青字部分にどのような情報が補われるのかを誤解することはないでしょう。

 

一方、例のヒグマの記事の見出しでは、[ ~~ ]の中に本来位置していた主語と目的語の両方が表面上削除されています。片方は、主題化により文頭へ移動してしまい、もとの位置からは削除(しかし移動先では助詞が落ちているので、元主語なのか元目的語なのかはわかりません(泣))、もう片方は分裂構文のお約束で表面上削除、ただし意味上は「不明7日の男性」。だけど問題は、どっちがどっちかわからない。下記のように、組み合わせで二通りの解釈が存在してしまう。前回とりあげた「好きな人」問題と共通した悩みですね。

 

 

(主語分裂文。「不明7日の男性が、ヒグマ調査の職員を見つけた」の意味になる)

 

 

(目的語分裂文。「ヒグマ調査の職員が、不明7日の男性を見つけた」の意味になる)

 

このように、文法的にはどちらでも解釈できてしまって手がかりがない場合、我々はしばしば意味や文脈、はたまた「通常どっちのパターンのほうがより頻繁に見られるか」など、いろんな情報を無意識に利用していると考えられます。

 

この見出しを、「ヒグマ調査の職員が、不明7日の男性を見つけた」という本来の書き手の意図した内容通りに解釈した人が三分の二という多数派であった理由も、そちらのほうがより常識に合致した状況だという判断が効いていた可能性もあるでしょう。特に「ヒグマ調査の職員」という冒頭のフレーズだけで、「この職員の仕事はヒグマを探すことだよな」という了解ができあがるとともに、「なのに違うものを見つけちゃったんだよな」という流れができやすかったという面があると思います。

 

そのような「意味的にそっちのほうが自然」「常識に合致する」といったバイアスがない場合、主語分裂文と目的語分裂文のどちらが人間にとって処理コストが低いのか、そして優先される解釈と言えるのか、という問題については立派な心理言語学研究の対象になっており、その答えは?というと、前回ご紹介した主語関係節vs.目的語関係節の問題と同様、研究者の間で意見が分かれているようです。

 

それにしても…もしかしてこの見出し、最初から一定割合の読者をギョッとさせ、思わず内容を読ませる意図で書かれていたとしたら、一本とられたと言わざるを得ませんな。新聞なだけに、折り込み済み?

間違ってないのに間違って伝わる日本語

広瀬友紀(ひろせ・ゆき)

ニューヨーク市立大学にて言語学博士号(Ph.D.in Linguistics)を取得。電気通信大学を経て、東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻教授。研究分野は心理言語学・特に言語処理。『ちいさい言語学者の冒険――子どもに学ぶことばの秘密 』岩波書店
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