なぜそこで改行?パート(1)~「ソノ単語ジャナイ」編
間違ってないのに間違って伝わる日本語

 

最近、「なぜそこで改行?」というまとめサイトが面白くてハマっています。おかしな位置で改行したせいで、その文やフレーズで実際使われていない単語が読み取れてしまう例です。文法的には何も間違ってない。のに、 改めて考えるとなんかおかしな意味にとれてしまう日本語ってありますよね。それを心理言語学的に考察してみようというのがこのシリーズですので、さっそく今回のネタにしてみました。

 

ここでは一定のレベルを超えてお下劣なものは自粛しますが、「なぜそこで改行?」で検索するとたくさんまとめサイトがヒットしますので遠慮なく個人でお楽しみください。

 

では、(比較的お下劣でない)「なぜそこで改行?」事例4連発。

 

事例1.

 

↑「ダイニングバーサン」!?

 

↑イメージはこんな感じ!?

 

事例2.

※リンク切れにより元画像のイメージを掲げます

 

↑上手な発表のレクチャーするはずが日本中で笑われています。ちなみにこれよりもっとお下劣なものもありましたが、ここでは取り上げていません。

 

事例3.

↑「ブラ」と「インド」でブラインド、ってその発想なかったわ。たぶんこの図書館長にもなかったと思いますが。

 

事例4.

 

引用元:https://ima.goo.ne.jp/column/article/2311/index.html

 

↑高級寿司点で華麗に言ってみたい台詞。カッパでなく、かんぴょう巻きでもなく、威風堂々と「うにお願いします」と。

 

さて、どうしてこんなおかしなことになっているのかは皆さんわかりますよね。ズバリ、変なところで改行しているからです。これらの例ではわざわざ単語の途中で改行していますが、だいたいそんなことしていいのでしょうか?

 

例えば英語だと、語の途中で改行されることは普通ありませんし(ワープロソフトで文書作成するとそのようなことがないように行間が調整されます)、やむなく改行する場合は、それでもある程度の秩序のもと、つまり音節と音節の境界でのみ行われ、次の行に渡った単語のカケラには「単語の途中ですよ」ということを示すハイフンがつきます。

 

そういえば日本語では、文章の分量をはかる目安として文字数を使いますね (英語だと単語数で示す)。ポピュラーなのが「400字詰め原稿用紙x枚分」。原稿用紙のひとマスが分量をはかる単位として機能しているので、段落を変えない限りひとマスひとマスきちんと使っていく訓練を我々は受けています。

 

結果、語の途中で改行しないようにという動機は、我々一般の書き手にはないわけです。原稿用紙の決まり通りに書いていく以上、語の途中で改行することにも比較的抵抗がないから、改行位置を適切にコントロールするという意識は薄いのかもしれません。

 

ところで、ヘンな改行がなければどうなるでしょうか。

 

事例1(改行なし)
ダイニングバーサンセットハウス

 

事例2(改行なし)
スライドに書いたことを全て読み上げるのではなくその中でも要点を話す

 

事例3(改行なし)
職員以外はブラインドを操作しないこと

 

事例4(改行なし)
ゴミを流さないようにお願いします。

 

「ダイニングバーサン」のインパクトが強すぎて、私なんか事例1はもう普通に読めない体になってしまいましたが、初見ではいずれも違和感がないように思いませんか? 事例2においても、「はなくそ」が浮き上がって見えることも辛うじてない…ような気がする…。そう見える人がいたとしてもクレヨンしんちゃんくらいでしょう(と言っておこう)。事例3,4はほぼ問題なさそうに思いましたが皆さんいかがでしょう。

 

「変なところで改行してないから当たり前」だと思いますか? しかし、もし、「どれも普通に読めたよ」というなら逆に不思議です。我々はそもそもどのように、適切な区切り場所が難なく一瞬でわかるのでしょうか。

 

事例1~4の画像が我々に示してくれたことは、普段我々が文やフレーズを読む際、ヒントなしに単語を区切って脳内の辞書を検索することは単純な作業に思えてもちょっとしたきっかけで暴走してしまうこと。特に日本語では語と語の間にスペースを置きませんので、この作業のヒントはもとより乏しいはず。そこへもってきてのおかしな改行はいかに罪が重いかがわかります。

 

いったん区切り方を間違えたとして、その結果残った文字列がたまたま意味をなしてしまったため、即座に間違いに気づいて修正することが難しい場合もあります。仮に事例1を「ダイニングバーサン」で区切ってしまっても、その後の「セットハウス」は、意味不明だけどそういう語もあるといわれたらあり得そうです(ダイニングバーサンがアリならそれもアリだろ)。事例2も、「はなくその中でも要点を話す」というフレーズ、意味不明なことに目をつぶれば構文を与えることは辛うじてできそう。また事例3「ブラインド」を無理矢理「ブラ」で切ってもここでは「インド」でたまたま意味をなす片割れができますね。事例4に至っては、前半と後半が完璧に別々の文としても成り立ってしまうという。つまり「そこで切ったら絶対オカシイやろ」というヒントは、必ずしも常に期待できるわけではないことがわかります。

 

我々が普段無意識に行っている、文字列や音の連続からリアルタイムに単語を拾い出すこの作業については、例えば厳密に左から右、または上から下に前方一致の検索のみが関わっているのか否か、あるいは前後の文脈、もしくはある文字とある文字が隣同士に現れる確率などを含む「ふつうこう来れば続きはこうだろ」的な情報はどのように関与しているのかなど、研究者の間でもさまざまな観点から意見が分かれています。我々がそれを普段(明らかに紛らわしい改行でもされない限り)簡単にやっているように感じられたとしても、そのしくみを理論的に説明するのは決して簡単なことではないのです。

 

「なぜそこで改行?」次回も続きますのでお見逃しのないよ
うにお願いします。

間違ってないのに間違って伝わる日本語

広瀬友紀(ひろせ・ゆき)

ニューヨーク市立大学にて言語学博士号(Ph.D.in Linguistics)を取得。電気通信大学を経て、東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻教授。研究分野は心理言語学・特に言語処理。『ちいさい言語学者の冒険――子どもに学ぶことばの秘密 』岩波書店 こちらも読んでね『私は女性差別の被害者になったことはありません。:上野千鶴子氏の祝辞に思う』
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