デーブのジョークを言語学してみた
間違ってないのに間違って伝わる日本語

 

先日、こんなツイートがあることを教えてくれた人がいました。(※)

 

 

デーブさん相変わらず面白いですね。どこが面白いんだって? 彼のことだからジョークに決まっているわけですがどうしてこれがジョークとして成り立っているのでしょう。これを今日は言語学的に考察してみましょう。これまでは「日本語ならではの誤解、読みにおける早とちり」などを多く取り上げてきましたが、今回はどちらかというと「日本語限定でない言語一般の特徴」に関わる話です。なのでとっかかりとしてデーブさん適任!

 

さて一般的にジョークの多くは、「話の流れ的に聞き手が普通期待する意味」と、「実はこういう意味にもとれるけど何か?」というギャップにより成立します。

 

では常識的な解釈として、ここで登場するトランプの言いたいことは? 「アメリカでは一市民でも為政者に対し、それも極めて近い位置から、堂々と批判する自由が保証されてるがお前達には同じことはできないだろう。」つまり、「同じことはできないだろう」=「中国に置き換えたら(←ここが大事)、中南海(中国政府の中心地区)で習近平の批判をする自由なんてないだろう」ってことですよね。

 

一方、習近平の応答における「同じこと」とは、あくまで「『トランプ政権はサイテー』と言うこと」との解釈です。あえて中国の場合に置き換えることをせず、「意図されてる解釈じゃないけど厳密にはそれもアリ」というほうの狭い解釈を選ぶことで相手をカウンター批判。「中国には言論の自由ないんだろ?」ってマウントをとろうとする挑発をスルーし、「サイテーって、世界中の誰にとっても当然トランプのことでしかあり得ませんよね?」と神経逆なで返しです。この応酬、実話ではないでしょうが、考えてみれば日本語に限らず英語でも中国語でも、つまり個別の言語の文法や語彙の決まりにかかわらず成り立ちそうですね。

 

そう考えると、何語に限らずコトバってもの自体がやはり曖昧な解釈を許すものだなと感じられますね。でも、ただ単に曖昧模糊としているわけではありません。この二種類の読み方には、意味の解釈における言語一般の特性が表れたものとしてちゃんと名前がついています。もう少しわかりやすい例を挙げてみましょう。

 

A: I admire my mother. 私、母のこと尊敬してるの。
B: I do, too. ぼくも。

 

「ぼく(Bくん)」が尊敬してるのは誰? 彼自身の母親? それともAさんの母親? 日本語でも英語でも同じ曖昧さが生じます。おそらく他の言語の多くにも当てはまるでしょう。

 

ここで、“do”によって置き換えられた(省略された)部分は“admire my (=A’s) mother”だよ、という解釈をstrict reading(厳密な読み)といいます。My motherというのはAのお母さんを指すことに限定されています。言うならば「ご指名済み」です。

 

一方、省略された部分は“admire one’s mother (oneのところには話し手に応じた人物を入れよ)”という読み方もできます。この場合、省略せずに示せば“I admire my mother, too.”となり、つまりこの文を発したBさんにとっての母親です。臨機応変に誰の母か読み替え可能なこの解釈は、sloppy reading (緩い読み)と呼ばれます。

 

冒頭のジョークでは何が省略されているのかというと表面的にはわかりにくいですが、両者のセリフの間に「同じことが中国でできるか?」と補えば、「同じこと」が何をさすかによってstrict reading(厳密な読み=「トランプ政権がサイテーだと発言すること」)か、sloppy reading(緩い読み= 「母国の政権がサイテーだと発言すること」)かの違いだということがわかるでしょう。

 

上のイラストのように“I love you. ”, “Me too.”というやりとりは、普通は「僕たちお互い愛し合ってるんだ」という、いわばsloppy reading(緩い読み)を意図するにきまってますが、理屈の上では「あなたを愛してるわ」「ボクもボクを愛してる」というstrict reading (厳密な読み)も可能ですので、たとえ自分の愛情が冷めていても抵抗なく“Me, too.”とか言えちゃうんだなこれが!

 

それにしてもこのstrict/sloppy readingの違い、悪用しようと思えば、逆手に取って「ウソつかずに相手に事実と異なる認識を持たせる」ことができちゃうんですね。

 

「私その晩は自分のアパートにいました」「僕もです」
「私のチームに違反者はいないと認識しています」「私もです(別チームの監督)」

 

ただし例外的に意味が同じになる場合もあります。

 

「お前の母さんデベソ~ デベソの息子~」「お前もじゃ~」(兄弟げんか)

 

ちゃんちゃん。

 

(※)神戸松蔭女子学院大学 郡司隆男先生 ありがとうございました

 

間違ってないのに間違って伝わる日本語

広瀬友紀(ひろせ・ゆき)

ニューヨーク市立大学にて言語学博士号(Ph.D.in Linguistics)を取得。電気通信大学を経て、東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻教授。研究分野は心理言語学・特に言語処理。『ちいさい言語学者の冒険――子どもに学ぶことばの秘密 』岩波書店
こちらも読んでね『私は女性差別の被害者になったことはありません。:上野千鶴子氏の祝辞に思う』
関連記事

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitterで「本がすき」を

RANKINGランキング