花見のたしなみ【第8回】
辛酸なめ子『新・人間関係のルール』

bw_manami

2019/04/10

過去の記憶をたどってみると・・・・・・

3月下旬になると、ニュース番組でさかんに桜の開花状況について報じられ、お花見に行かなければならないような圧を感じます。そして、年々誘われなくなっているという現実に薄々気付かされます。花見という風習はもうなくなっているのでは? と思いたくなるほど誘われません。

 

しかし、過去に参加したお花見がすごい楽しかったかというと微妙です。過去の日記をさかのぼり、お花見についての記録を探しました。

 

2004年の花見 ―― 一抹の孤独感

例えば2004年の、女子校時代の友人とのお花見。29歳で、まだ中高の同級生とよく会っていた頃です。

 

最初に乾杯したとき自分のグラスが誰とも触れ合わなかった、というところに一抹の孤独感を覚えた宴の席。

 

ちょうどキラキラしている同級生にコンプレックスを感じる時期だったのですが、生徒会長で東大から外資系コンサルタント会社に入った同級生が公園で偶然会った外国人の上司と英会話をしている姿に圧倒されました。

 

そして「トリビア大会」が始まり、一人一つトリビアを発表することに。

 

「山口県のガードレールはみかんにちなんで黄色」「カボチャの語源はカンボジアから来ている」「ウーパールーパーはメキシコの首相が日本にプレゼントするため急遽名前を付けた」「キリンはハトを食べる」「タイ語で『キレイ』というのは、美人でもブスでもないという意味」と、次々と同級生からトリビアが出てくるので驚きました。

 

私が言ったトリビアは「水前寺清子の動物占いはチータ」という、他の人と比べると薄い情報でした。

 

劣等感を覚えたお花見の思い出でしたが、何か企画があると間が持つのは良いです。20代の頃は皆元気で、お花見の企画を考える気力があったのでしょう。しかし大人になると花見といえば、ダラダラと続けるというものがほとんどです。

 

2009年と2010年の花見――さらなる孤独とアウェイ感

2009年のお花見は、去年まで誘われていた花見の会に、自分だけ呼ばれなかったことを誰かのブログで知り、ショックを受けました。

 

「誰も来ない孤高の姥桜  目黒川は簡単に渡れても  人と人の間に流れる川は超えられない……」といったポエムをブログに書いた黒歴史が。

 

SNSの時代は、さらに自分が呼ばれていない花見の楽しげな写真をフィードで見せられることになりそうです。

 

2010年の同級生とのお花見は、自分以外お子さん連れだったのでアウェイ感に浸りました。一緒に写真を撮ったらかなりさびしい感じに写ってしまいました。桜の下で写真を撮るとなぜか顔色が悪く写ってしまいがちです。天候が曇り気味だとなおさらです。

 

野外で気温が低いということも影響しているのでしょう。あとから写真を見返して切なくなります。

 

お花見は、実は難易度が高い宴会なのかもしれません。コミュ力不足な私にとって、花見のデメリットはというと……。

 

・帰るタイミングがわからない

 

行ったはいいけれど、顔を出してすぐ帰るわけにはいかず、手持ち無沙汰のまま居続けてしまいます。途中で帰ると後片付けをしない人みたいなイメージを与えてしまいそうで……。

 

ただ10人以上の大人数の花見なら、他の参加者と入れ替わりでさりげなく帰れます。

 

・手土産に気を使う

 

安すぎても高すぎてもいけないし、手作りの料理が喜ばれるのか、スナック菓子がいいのかも、その場の空気を見てみないとわからないです。

 

以前の上野公園で若者グループが花見の精算をしていたのですが、「俺は唐揚げ三個しか食べてないから!」と主張したりして、若干モメていました。

 

見ていないようで誰が何を持ってきたとか、どのくらい食べたとかチェックしている人がいるのかもしれません。

 

・寒い

 

3月はかなり寒いし、4月もまだ油断できない気温です。2019年はとくに「令和」という言霊のせいでかなり冷え込んだような……。

 

こうなると、着いた瞬間から早く帰りたいという気持ちが心を占めることになります。

 

きっと自分だけでなく他の人も同じでしょう。解散しようか、とか、場所を変えませんか、と誰かが言い出すのを皆待っています。

 

お酒を飲めば暖かくなるのかもしれませんが、その後公園で寝入ったりしたら命の危険が……。

 

いっぽう花見に誘われない人は、寒ければ寒いほど、(花見の人は大変だろうな……)と同情したり、心の中で安堵したりします。

 

・そもそもたどり着けない

 

代々木公園でのお花見に参加しようとしたら、何万人も人がいて結局、知人がいる場所にたどり着けなかったことがあります。

 

公園内は目印がほとんどなくて、こんなにたくさん人がいても知り合いが見つからない厳しい現実に直面。

 

そんな中、やっと巡り会えたら、奇跡的な思いで友情が盛り上がりそうです。

 

令和の時代の宴

お花見に誘われないけれど、誘われたら誘われたでどうしていいかわからない、そんな人にとっておすすめのスタイルは「歩き花見」です。

 

例えば東京の目黒川沿いは、桜の木がずっと植えられていてかなりの名所ですが、立ち止まったりシートを広げて宴会する場所はありません(店に入れば別ですが)。

 

そのため目黒川は、食べ歩きするか、ただ歩いて桜を観賞する歩き花見になります。それがなかなかストイックで、時間もそこまでムダにしないという利点が。

 

目黒川以外に、六義園や皇居の乾通りなど、美しい公園を散策しながら花見、というのもおすすめです。シートに座って宴会するのだけが花見ではありません。

 

「花見をしている人々をカフェから眺める」というのは今年はじめてやってみた新たな花見です。寒かったのでカフェに避難しただけなのですが、冷たい風の中、果敢に花見をする人々の姿を眺めました。

 

隣の老夫婦も同様に、暖かいカフェから若者の花見姿を観賞しているようでした。花見の現場に行き、アウェイ感を覚えたり、会話に入れなさそう、と思ったら、近くのカフェから花見に間接的に参加するのも良いでしょう。

 

そして「令和」という時代が、花見に変化をもたらすかもしれません。万葉集に書かれた「梅花の宴」にちなんでいるそうなので、新しい時代は花見といえば桜よりも梅、という風潮になってきそうです。

 

梅の季節といえば2月前後で極寒です。物好きな人か、遺伝子的に寒さに強い人でないとお花見できません。ついにお花見の同調圧力や、誘われない悩みから解放される時がくるのでしょうか。

 

【今月の教訓】
宴会している人にも、ぼっちの人にも、桜の花は平等に咲いてくれている。(ひとり公園で桜を眺めている時に桜から受信した言葉です)

 

新・人間関係のルール

辛酸なめ子(しんさんなめこ)

1974年東京都生まれ。埼玉県育ち。漫画家、コラムニスト。女子学院中学校・高等学校を経て、武蔵野美術大学短期大学部デザイン科グラフィックデザイン専攻卒業。恋愛からアイドル・スピリチュアルまで幅広く執筆。著書に『女子校育ち』(ちくまプリマー新書)、『大人のコミュニケーション術』(光文社新書)、『辛酸なめ子と寺井広樹の「あの世の歩き方」』(マキノ出版)など多数。
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