柳亭市馬という逸材の「発見」【第35回】著:広瀬和生
広瀬和生『21世紀落語史』

21世紀早々、落語界を大激震が襲う。
当代随一の人気を誇る、古今亭志ん朝の早すぎる死だ(2001年10月)。
志ん朝の死は、落語界の先行きに暗い影を落としたはずだった。しかし、落語界はそこから奇跡的に巻き返す。様々な人々の尽力により「落語ブーム」という言葉がたびたびメディアに躍るようになった。本連載は、平成が終わりを告げようとする今、激動の21世紀の落語界を振り返る試みである。

 

僕は大学1~2年(教養学部)の頃、新宿末広亭の近くで飲むことが多く、それもあって当時は「何となく末広に入ってみる」ということが結構あったが、そこで得た教訓は「番組も見ずに寄席にフラッと入っても面白くない」ということ。まあ、運が悪かっただけなのかもしれないが、フラッと入って楽しかった経験はほとんどない。そのため、工学部に進学してからは(実験などで忙しかったこともあり)ナマの落語はホール落語か独演会が基本となり、就職してからはさらに「行くべき会」を厳選する傾向が強くなった。

 

そんな僕が足繁く寄席の定席に通うようになったのは2002年頃。きっかけは小三治や喬太郎、花緑、古今亭志ん輔といった「知っている落語家」を聴きたかったからだが、そこで僕は多くの魅力的な落語家と出会った。

 

中で最も衝撃的だったのは柳亭市馬という逸材の「発見」だった。

 

当たり前の古典落語を当たり前に演って面白い。『普段の袴』だとか『芋俵』だとか『雛鍔』だとか『高砂や』だとか、他愛のない噺を何気なく演って、上手さだけで笑わせることができる。

 

声が良くて、聴き心地も抜群にいい。上手いけれどもトボケたフラもある。追いかけてみると大ネタなども実に見事でスケールが大きい。

 

「こんな素敵な落語家がいたんだ!」と、僕は本当に驚いた。

 

だが後年『この落語家に訊け!』(アスペクト/2010年)という書籍のために市馬本人にインタビューしてみてわかったのは、僕が出会ったタイミングも良かったということ。当時、ちょうど市馬は「一皮むけた」時期だったのである。

 

市馬は1993年に真打に昇進している。師匠は五代目小さん。当時から「柳家の優等生」と目され、一門の中でも期待は高かったようだ。

 

1998年のムック『やっぱり落語が面白い!』(アスペクト)の「現代落語家名鑑」で取り上げられた東京の真打92人の中にも入っていて「古典の型というものを改変しないで高い境地の高座を展開している」「居心地のよい時間を約束してくれる」などと書かれているし、1999年のムック『落語35号 この人この芸この噺!』(弘文出版)でも東西合わせて184人紹介されている落語家の中の1人として登場、「その力量は王道を模索するにふさわしい」と評価されている。

 

ただ、それらのニュアンスは「古き良き柳家の伝統を守る優秀な若手」という域に留まり、それ以上の何かは感じられなかった。

 

僕が2002年以降追いかけた市馬はそうではない。もっと積極的に「ぜひこの落語家を聴いてほしい」と推されるべき輝きを見せていた。

 

そのギャップの大きさに僕は驚いたわけだが、その理由は市馬自身の変化であった。

 

市馬によれば、ポイントは2つ。1つは若手の台頭。もう1つは師匠小さんの死である。

 

2000年に人気者の林家たい平と柳家喬太郎が抜擢されて真打昇進、彼らに続く存在も次々に現われて、市馬は寄席の世界で「どんどん隅っこに追いやられていく」という危機感を覚えたという。

 

台頭してくる若手たちの落語を客観的に見て市馬が得た結論は「このままじゃダメだ、とにかく客にウケるためにいろんなことをやるべきだ」ということ。だが周囲からの「柳家の優等生」というプレッシャーが、それを許さなかった。

 

小さんは「若いうちはとにかく客をウケさせろ、ウケないうちは人物描写も何もない」と市馬に言っていたそうだが、周りは市馬に「小さん直系の噺家らしい落語」を求めた。今や市馬の得意技である「噺の中で歌う」ようなことも、「みっともないことをするな」と言われて師匠に迷惑を掛けてはいけないと思い、小さん存命中はやれなかったのだという。

 

だが小さんが2002年5月に亡くなったことで、市馬はプレッシャーから解放された。「重石が取れた」のである。

 

2003年以降の市馬はグングン面白くなり、落語ブームが到来する中でしっかりと存在感を示した。「市馬・喬太郎 ふたりのビックショー」や「市馬vs談春」といった落語ファンが注目する会を仕掛けるなど、市馬の実力を認める関係者の尽力も大きかったと思うが、やはり一番の理由は市馬が「化けた」こと。僕は、その「化けた市馬」を追いかけて寄席に通い、彼が出る落語会を見つけてチケットを買った。『この落語家を聴け!』の中で僕は「2007年に僕は市馬の高座を76席観た」と書いている。まさに僕にとって「旬の落語家」だった。

 

市馬は「地味な寄席の本格派」から脱皮して、完全に「東京を代表する噺家の1人」となった。そこには、僕が『この落語家を聴け!』の「いま、観ておきたい噺家達」という項で市馬を真っ先に取り上げて「平成の名人候補」と言い切ったことも、幾ばくかの貢献をしたのではないかと密かに自惚れている。

 

2010年、落語協会会長に小三治が就任すると、市馬は同協会理事となり、翌2011年に副会長、そして2014年には小三治の跡を受けて会長となった。2008年に『この落語家を聴け!』を出した頃には誰も想像できなかった展開だが、いずれそうなってもおかしくない風格が既に備わっていたのは確かである。

21世紀落語史

広瀬和生(ひろせかずお)

1960年生まれ。東京大学工学部卒。ハードロック/ヘヴィメタル月刊音楽誌「BURRN! 」編集長。落語評論家。1970年代からの落語ファンで、年間350回以上の落語会、1500席以上の高座に生で接している。また、数々の落語会をプロデュース。著書に『この落語家を聴け! 』(集英社文庫)、『落語評論はなぜ役に立たないのか』(光文社新書)、『談志は「これ」を聴け!』(光文社知恵の森文庫)、『噺は生きている』(毎日新聞出版)などがある。
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