「落語ブームって、ホント?」【第1回】著:広瀬和生
21世紀落語史

bravotaro

2018/03/22

21世紀早々、落語界を大激震が襲う。
当代随一の人気を誇る、古今亭志ん朝の早すぎる死だ(2001年10月)。
志ん朝の死は、落語界の先行きに暗い影を落としたはずだった。しかし、落語界はそこから奇跡的に巻き返す。様々な人々の尽力により「落語ブーム」という言葉がたびたびメディアに躍るようになった。本連載は、平成が終わりを告げようとする今、激動の21世紀の落語界を振り返る試みである。

 

昨今、マスコミなどで「落語ブーム」と言われることが増えた。

 

本当にブームならば、テレビで毎日のように落語が放送され、落語会は1,000人規模の会場で連日各地で行なわれて超満員、誰もが何人もの落語家の名を得意演目と共に挙げることができる、という状況でなければおかしい。あの漫才ブームの時に、日本中がツービートやB&B、紳助・竜介、ザ・ぼんちのネタを熟知していたように。

 

だが実際には、道行く人にいきなり「誰の落語が好きですか?」と尋ねて明確な回答が得られる確率は限りなくゼロに近い。一般人が知っている落語家と言えばまず『笑点』メンバーと春風亭小朝、笑福亭鶴瓶、桂文枝あたり。もちろん日本一の観客動員数を誇る立川志の輔の知名度は抜群だが、それは必ずしも『徂徠豆腐』や『百年目』を得意とする落語家としてではなく、一般的には「ガッテン!」の司会者としてだろう。あとは嵐の二宮和也がドラマで演じた立川談春、NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」に出た春風亭一之輔、情報バラエティの辛口コメンテーターとして知名度を上げている立川志らく……。

 

そもそも、なぜマスコミは「落語ブーム」と言うのか。

 

それは、いまだに落語を「年寄りのための古臭い娯楽」もしくは「歌舞伎や能狂言みたいな古典芸能」と思っているマスコミ人が多いからだ。

 

今のこの程度の状態を「落語ブーム」と騒ぐ人は大抵、落語をほとんど知らない。だから、若者が渋谷の落語会に詰めかけていると聞くと驚く。「落語なんて古臭いモノが若者にウケてる!? ブームか!」と思うわけだ。言ってしまえば単なる無知。勉強不足なのである。実際、「落語ブームだから」と出演や執筆をオファーしてくる人たちの「勉強不足」には驚かされることが多い。

 

ただ、ここでハタと気づくことがある。

 

「勉強不足」という言葉だ。

 

これだけマスコミが「落語ブーム」と騒ぐと、「それならちょっと聴いてみようかな」と思う人は出てくる。でも、そういう人たちの少なからぬ割合が、ある種の「敷居の高さ」を感じてしまうらしい。

 

「ちゃんと勉強してから寄席に行かないと恥ずかしい」もしくは「勉強しないと落語がわからない」、みたいな。

 

落語というのは、演者が同時代の観客に語りかける大衆芸能だ。だから本来、落語を楽しむために「落語とは何か」を勉強する必要はまったくない。

 

「勉強しなきゃ楽しめない大衆芸能」なんてあるわけがない。

 

ただし、演者と観客側の共通認識がないと楽しめない、ということはあるだろう。それは漫才やコントでも顕著だ。あるあるネタとか、パロディとか。「〇〇かよ!」というツッコミで笑えるか笑えないかは、まさにその「共通認識」の問題だ。

 

そう考えると落語は、初心者にとって演者との共通認識を持つまでのハードルが若干高いかもしれない、という気もする。

 

そして実は、落語の愉しみのひとつに「特殊な認識の共有」という要素はある。立川談志は「落語には、落語通にとって堪らないフレーズがキラ星のごとくある。わからない奴にはわからない」と言っていた。この「落語はフレーズだ」という感覚を共有できるかどうかが「落語通」かどうかの境目になる、というのだ。

 

その感覚はよくわかる。談志は文楽、志ん生、三木助といった昭和の名人たちを引き合いに出し、「家元(=談志)にもそれがある」と言っていたが、今の優れた演者たちにも「堪らないフレーズ」がある。落語ファンは、たとえ意識せずとも必ずその感覚を共有しているはずだ。

 

談志は晩年、落語の将来を案じていた。

 

落語は大衆芸能だ。だから、観客と価値観を共有することが前提となる。では、どちら側から歩み寄るのか。談志にとっては「落語の世界に観客が引き寄せられる」ことが大事だった。すると、そこにハードルを感じる大衆も出てくる。

 

現代の大衆に合わせるためにそのハードルをまったくなくしてしまうと、それはもはや落語ではなくなってしまう。晩年の「落語は江戸の風が吹く中で演じる芸」といった発言の真意はそこに集約される。五代目柳家小さんは「落語はわかる奴のためのものだ。大衆に合わせるとダメになる」と言っていたと聞くが、それも同じことだ。

 

とは言うものの、落語におけるハードルはそんなに高くない。わりと簡単に越えられる。その「意外に簡単にハードルを越えられた」ことに喜びを見出す若者が増えたこと、それがすなわち今の「落語ブーム」の正体なのだろう。

 

この記事を書いた人

21世紀落語史

広瀬和生(ひろせかずお)

1960年生まれ。東京大学工学部卒。ハードロック/ヘヴィメタル月刊音楽誌「BURRN! 」編集長。落語評論家。1970年代からの落語ファンで、年間350回以上の落語会、1500席以上の高座に生で接している。また、数々の落語会をプロデュース。著書に『この落語家を聴け! 』(集英社文庫)、『落語評論はなぜ役に立たないのか』(光文社新書)、『談志は「これ」を聴け!』(光文社知恵の森文庫)、『噺は生きている』(毎日新聞出版)などがある。

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