「立川流四天王」【第39回】著:広瀬和生
21世紀落語史

21世紀早々、落語界を大激震が襲う。
当代随一の人気を誇る、古今亭志ん朝の早すぎる死だ(2001年10月)。
志ん朝の死は、落語界の先行きに暗い影を落としたはずだった。しかし、落語界はそこから奇跡的に巻き返す。様々な人々の尽力により「落語ブーム」という言葉がたびたびメディアに躍るようになった。本連載は、平成が終わりを告げようとする今、激動の21世紀の落語界を振り返る試みである。

 

立川流の扱いかたという点で『この落語家を聴け!』の最大の特徴は、「志の輔・談春・志らく」の売れっ子3人に立川談笑を加えて「立川流四天王」と決めつけたことだろう。これは、1977年に川戸貞吉氏が「談志・志ん朝・圓楽」に月の家圓鏡(後の八代目橘家圓蔵)を加えて「四天王」と称したことがヒントになっている。

 

もっとも川戸氏の言う「四天王」は、矢野誠一氏が若き日の志ん朝・圓楽・談志・柳朝を「若手四天王」と称したことを踏まえつつ、「月の家圓鏡論」の中であえて「柳朝ではなく圓鏡」と提唱したもの。一方、立川流において志の輔・談春・志らくを「三羽烏」と見ることはあっても、「四天王」は存在しなかった。「立川流四天王」というのは僕が初めて用いた言い方だ。

 

僕は川戸氏の「圓鏡を四天王に」という主張を著書『現代落語家論〈上巻〉』(弘文出版)で知った。それは、まさに「目からウロコ」だった。当時、圓鏡の芸は「邪道」と言われることが多く、評論家などからは低く見られがちだったが、僕は彼の先鋭的な爆笑落語が大好きだった。落語という大衆芸能において「邪道」云々という発想はおかしい、「面白い落語」は正当に評価されるべきなんだ、という僕の価値観は、川戸氏の「圓鏡論」に大いに影響を受けている。

 

僕が談笑を追いかけ始めたのは2003年。まだ二ツ目で「談生」と名乗っていた。きっかけが何だったのか思い出せないが、上野広小路亭という小さな小屋でやっている「月例独演会」に行って、僕は彼の「改作落語」に魅了された。古典の時代設定を現代に置き換えるなど大胆な演出を施す改作は一見「邪道」だが、実は「落語を現代に通用させる」ための論理的アプローチだった。談生の「初心者を爆笑させ、マニアを唸らせる」改作にすっかりハマった僕は、全席自由の「月例」で最前列を確保するため、毎回早くから出かけて先頭で並んだ。

 

彼が「談笑」と名を改めたのは、僕が毎月の常連客になって間もない2003年7月のことだった。

 

当時、談笑は「月例」終演後、常連客たちと近所の居酒屋で打ち上げを行なっていて、そのうち僕も参加するようになった。談笑は「あの噺のここはこう、あれはこう」と、演目論を僕たちと語り合うことが常で、そこからアイディアが練り上げられていくこともあったように思う。

 

毎回斬新な改作で常連客を爆笑させる談笑の勢いには目を見張るものがあり、僕たちは「もう真打になるべきだ」と盛り上がった。そうした声に応えるように談笑は2004年7月から5ヵ月連続の「真打トライアル」を敢行する。会場は銀座ガスホール。7月は鶴瓶、8月は志の輔、9月は昇太、10月は小朝をゲストに呼び、毎回談志も登場。11月のファイナルで談志から真打昇進のお墨付きをもらった。各回の演目は次のとおり。

 

●7月1日:談笑『時そば』『粗忽長屋』(鶴瓶『長屋の傘』/談志『浮世根問』)

 

●8月26日:談笑『蟇の油』『片棒・改』(志の輔『買い物ぶぎ』/談志『鉄拐』)

 

●9月21日:談笑『金明竹』『らくだ』(昇太『人生が二度あれば』/談志『鮫講釈』)

 

●10月22日:談笑『堀の内』『抜け雀』(小朝『越路吹雪物語』/談志『小猿七之助』~『落語チャンチャカチャン』)

 

●11月19日:談「猿のゆめ』『寿限無』『黄金餅』(談志『六尺棒』)

 

もちろん僕も毎回通い、ファイナルで「合格」したときには大喜びしたが、実を言うとこのトライアルで最も印象的だったのは、志の輔ゲストの回で仲入り後に高座に上がった談志の『鉄拐』の出来があまりに素晴らしく、トリで談笑が登場することも忘れて談志が会を締めそうになったことだったりする。

 

談笑の真打昇進披露パーティーは2005年10月2日に東京會舘で開かれ、僕も出席した。後に談笑の代表作となる『シャブ浜』が「今年限定のネタ」として初演されたのはこの年の12月24日の「月例」でのことだ。

 

この頃になると「月例」の客層が広がり、良い席を確保しようと開演前に並ぶ観客の数も飛躍的に増え、最前列確保のためにはかなり早くから並ばなくてはいけなくなった。上野広小路亭は繁華街にあるため行列は近隣の迷惑になる。2007年1月から「月例」の会場をより広いお江戸日本橋亭に移した理由の1つは、それだったかもしれない。

 

『この落語家を聴け!』で僕は「談笑は、キャリアから見て本来、志の輔や談春、志らくと同列に語られるべきではない。それでもあえて僕は、談笑を彼らに続く存在として『立川流四天王』と呼ぶ。(中略)近い将来必ず談笑は志の輔・談春・志らくに続く『立川流の鬼才』として確固たる地位を築くはずだ」と書いた。

 

そして、それは現実となる。

 

2009年3月、「談笑月例」の会場はお江戸日本橋亭から客席数300の国立演芸場へ移り、毎回チケットは完売。2009年3月からは新たに虎ノ門のJTホールで月例の「J亭落語会 談笑独演会」も始まった。

 

談笑の活躍の場が広がると共に、僕が勝手に決めつけた「立川流四天王」という言い方が、ごく当たり前に用いられるようになった。今では、僕が言い出したとは知らない人も多いのではないだろうか。

21世紀落語史

広瀬和生(ひろせかずお)

1960年生まれ。東京大学工学部卒。ハードロック/ヘヴィメタル月刊音楽誌「BURRN! 」編集長。落語評論家。1970年代からの落語ファンで、年間350回以上の落語会、1500席以上の高座に生で接している。また、数々の落語会をプロデュース。著書に『この落語家を聴け! 』(集英社文庫)、『落語評論はなぜ役に立たないのか』(光文社新書)、『談志は「これ」を聴け!』(光文社知恵の森文庫)、『噺は生きている』(毎日新聞出版)などがある。
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