談志、最後の落語。そして、死【第56回】著:広瀬和生
広瀬和生『21世紀落語史』

21世紀早々、落語界を大激震が襲う。
当代随一の人気を誇る、古今亭志ん朝の早すぎる死だ(2001年10月)。
志ん朝の死は、落語界の先行きに暗い影を落としたはずだった。しかし、落語界はそこから奇跡的に巻き返す。様々な人々の尽力により「落語ブーム」という言葉がたびたびメディアに躍るようになった。本連載は、平成が終わりを告げようとする今、激動の21世紀の落語界を振り返る試みである。

 

2010年後半、談志は『ぞろぞろ』(9月)や『へっつい幽霊』(11月)、『短命』(12月)などを披露してファンを喜ばせたが、声は酷く掠れていて、正直『芝浜』のような大ネタをダイナミックに演じるのは無理そうだった。

 

だから、かつて「談志が『芝浜』を演る会」として知られていた「リビング名人会」(よみうりホール)が、2010年には「談志の『芝浜』を映画で観る会」として企画されたことにも、驚きはなかった。

 

昼の部で2007年の『芝浜』と2006年の『文七元結』のビデオを大スクリーンで上映、夜の部は2007年の『芝浜』上映後に談志がトークで出演する。これが2010年12月23日の「リビング名人会 立川談志スペシャル」だった。

 

だが談志は突然、企画を覆した。

 

夜の部でのビデオ上映を取りやめ、前半のトークの後、後半は高座に上がって『落語チャンチャカチャン』『権兵衛狸』に続き『芝浜』を自ら演じたのである。

 

抑揚の乏しい掠れた声で淡々と演じる『芝浜』には、「この声でもできること」を示そうとする談志の執念を感じたし、その枯れた味わいには感動をも覚えた。

 

そして、僕が談志の『芝浜』をナマで聴くのは、これが最後となった。

 

年が明けて2011年、僕は談志の落語を4席観ることになる。

 

談志の逝去後に長男の松岡慎太郎氏がマスコミに発表したところによると、この時期、咽頭ガンの進行により、談志は医師から声帯除去手術を勧められていたという。だが「プライドが許さない」とそれを拒絶、高座に上がり続けた。

 

2011年、最初に観た談志の高座は1月18日の紀伊國屋ホール。2010年4月の談志復帰のドキュメントを収めたDVDブック「談志が帰ってきた夜」の刊行記念落語会で、談志はトリで『羽団扇』 を演じている。

 

次が1月25日、練馬文化センター大ホールでの「談志一門会」。ここで談志は何と『子別れ』を「上(強飯の女郎買い)」から「下(子は鎹)」まで通しで演じた。談志が『子別れ(下)』を演るようになったのは2005年にCDボックス「談志百席」用にスタジオ収録して以降のことで、「通し」は僕が知る限りこのときだけ。掠れて抑揚の出せない声を絞り出すようにして演じた談志の姿が忘れられない。

 

そして最後が3月6日、新百合ヶ丘の麻生区民ホールで開かれた「談志一門会」で仲入り後に続けざまに演じた『長屋の花見』『蜘蛛駕籠』の2席。苦しそうな息遣いで出される極度に掠れた声をピンマイクで拾い、なんとか聞き取れるレベルにまで増幅したこの2席が、談志が客前で演じた最後の落語となった。

 

3月下旬、談志は窒息を避けるために気管切開をして管を喉に通す手術を受け、ほとんど声が出せない状態になったが、その事実は、世間には伏せられていたので、僕はあの『長屋の花見』『蜘蛛駕籠』がそのまま「談志最後の落語」になるとは、この時点では知る由もなかった。

 

だが、8ヵ月の闘病を経て11月21日に談志が亡くなり、そうした経緯を知ったとき、僕は「談志はあの3月の一門会が落語人生最後の高座になると予感していたのではないか」と思うようになった。

 

『長屋の花見』と『蜘蛛駕籠』は、どちらも師匠の五代目小さんが得意にしていた落語だ。しかも『蜘蛛駕籠』は談志が二ツ目の「柳家小ゑん」時代に安藤鶴夫(評論家)に誉められた、思い出深い演目。1956年の第1回「東横落語会」の開口一番は小ゑんの『蜘蛛駕籠』だった。

 

談志は、最後に落語家としての原点に戻ったのだろう。

 

談志の死は、マスコミで大々的に報じられた。その取り上げられ方は、あの衝撃的な「志ん朝の死」を遥かに凌駕した。志の輔や談春、作家でもある談四楼といった発信力のある弟子の存在も大きかったが、何といっても「立川談志」の一般的な知名度は圧倒的だった。

 

だが、「談志の死」は、単なる「有名人の死」では終わらなかった。

 

当初は談志ならではの破天荒なエピソードばかりがマスコミに取り上げられる傾向があった。それはまさに「大物タレント」としての扱いだった。だが亡くなって月日が経つにつれ、次第にその強烈なキャラクターの向こう側に隠れていた「談志の落語」そのものが注目されるようになっていくのである。

 

「天才落語家」談志の存在感は、亡くなってなお一向に衰えなかった。むしろ「談志の落語」に対する世間の注目度は、亡くなってからのほうが大きいとさえ言える。生前、その強烈な言動ゆえ毀誉褒貶相半ばした「落語界の風雲児」は、死後ようやく正当な評価を受けるようになったのだ。

 

今なお新たな発掘音源の商品化や書籍の文庫化などが続き、テレビで特番が組まれる「伝説の落語家」立川談志。彼の主張した「落語は作品を語るのではなく、己を曝け出すものだ」というあり方は、今の落語界の主流となっている。若き日に危惧した「落語が能のようになる」という事態を全力で阻止した、見事な人生だった。

21世紀落語史

広瀬和生(ひろせかずお)

1960年生まれ。東京大学工学部卒。ハードロック/ヘヴィメタル月刊音楽誌「BURRN! 」編集長。落語評論家。1970年代からの落語ファンで、年間350回以上の落語会、1500席以上の高座に生で接している。また、数々の落語会をプロデュース。著書に『この落語家を聴け! 』(集英社文庫)、『落語評論はなぜ役に立たないのか』(光文社新書)、『談志は「これ」を聴け!』(光文社知恵の森文庫)、『噺は生きている』(毎日新聞出版)などがある。
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