五代目三遊亭圓楽の死と「七代目圓生問題」【第57回】著:広瀬和生
広瀬和生『21世紀落語史』

bw_manami

2019/04/18

21世紀早々、落語界を大激震が襲う。
当代随一の人気を誇る、古今亭志ん朝の早すぎる死だ(2001年10月)。
志ん朝の死は、落語界の先行きに暗い影を落としたはずだった。しかし、落語界はそこから奇跡的に巻き返す。様々な人々の尽力により「落語ブーム」という言葉がたびたびメディアに躍るようになった。本連載は、平成が終わりを告げようとする今、激動の21世紀の落語界を振り返る試みである。

 

立川談志の逝去より2年前に、五代目三遊亭圓楽が亡くなっている。

 

僕は五代目圓楽が好きで、全盛期の80年代にはかなり追いかけたが、21世紀に入ってからは一度も彼の落語をナマで観ていない。

 

圓楽は1985年、自ら率いる「落語圓楽党」(1990年に「圓楽一門会」と改称/現在は「五代目圓楽一門会」)の弟子たちのため、私財を投じ巨額の借金をして東京都江東区東陽町に「若竹」という寄席を建てたが、経営難などを理由に1989年11月25日をもって閉鎖。圓楽の自伝『圓楽 芸談 しゃれ噺』(白夜書房/2006年)によれば、寄席の建築費は6億円。閉鎖の段階で3億円の借金が残っていたという。

 

80年代に落語家として大きく花開いた圓楽は、その借金返済のために90年代のほとんどを日本全国を廻っての講演活動に費やし、落語の高座からは遠ざかることになった。

 

持ち前の話術を活かした講演『戦争と平和』は大人気だったというが、1932年12月29日生まれの圓楽にとって90年代とは50代の終わりから60代。談志が「黄金時代」を迎えた年代だ。その時期を圓楽が講演に明け暮れて過ごしたことは、彼自身にとって残念なことだっただけでなく、落語界にとって大きな損失だったと言える。

 

ようやく借金返済のメドが立った1999年、圓楽は腎不全を発症して、週3回の人工透析を続ける身体となる。講演に奔走せず落語をやれる見込みが出てきたら、今度は体調の問題で、思うように落語ができなくなったのである。それでも地方では独演会をやってはいたが、21世紀に入ってからの東京で圓楽の落語を観る機会は滅多になかった。(2004年11月11日に「東西落語研鑽会」で『浜野矩随』を、2005年5月31日には新宿末廣亭の余一会で『中村仲蔵』を演じたが、僕はどちらも観ていない)

 

腎不全を患ってからも『笑点』の司会は続けていた圓楽だが、2005年10月に脳梗塞の症状が出たために番組を休養。その後、一時的に復帰したものの、結局2006年5月14日放送分をもって正式に大喜利の司会から勇退することになる。

 

さらに2007年2月25日、「国立名人会」で久々の高座復帰を果たした圓楽は『芝浜』を演じたものの、「もう思うように落語を喋れない」と、終演後に引退を表明した。

 

これによって圓楽は表舞台から姿を消す。

 

もっとも、圓楽党の総帥としての重みは失われていなかった。

 

2007年11月に胃ガン、2008年3月に肺ガンの手術を受けた圓楽は、朝日新聞の取材に応えて「師匠圓生の名跡を鳳楽に継がせ、楽太郎に圓楽の名を譲るつもりだ」と発言した。(2008年5月2日付朝日新聞掲載)

 

これが「七代目圓生問題」の発端である。

 

圓楽から楽太郎への名跡継承には何の異論も出ず、2010年春に六代目圓楽が誕生することは五代目存命中に決まったが、七代目圓生は、そうはいかなかった。(詳しくは後述する)

 

圓楽は2009年5月に肺ガンと脳梗塞が再発。その後闘病生活を送り、同年10月29日、逝去。享年76。

 

圓楽は、21世紀の落語界においては「圓楽党のトップ」としての重みはあっても、談志のように落語そのもので存在感を発揮することはなかった。世間での知名度は圧倒的に高かったが、それは専ら『笑点』の司会者としてのもので、没後の取り上げられ方も『笑点』に傾きがちだった。

 

「志ん朝、談志らとともに四天王と呼ばれた」という報道もあったが、大々的な「追悼特集」が組まれることはなかった。

 

80年代まで圓楽とは一種の盟友関係にあった談志も、21世紀になるとごく稀に「どうして圓楽はあんな風になっちゃったのか」「圓楽の失敗は俺と離れたこと」などと言うことはあっても、もはや現役の落語家と見なしてはいないように見えた。没後の反応も、ごくあっさりとしたものだったし、そもそも「志ん朝の死」のときのように談志のコメントを求めるメディアもなかった。(もっともその時期は談志も長期休養中だったが)

 

だが80年代までの圓楽は、間違いなく志ん朝、談志と並んで落語界をリードする存在だった。好事家の間では評価が低かったが、「昭和の名人」の弟子の世代を代表する存在として、志ん朝や談志と共に「現代に通用する古典落語」の確立に貢献した圓楽の功績は実に大きい。

 

今、改めて圓楽の音源や映像に触れてみると、その豪快で骨太の芸風がいかに貴重な存在だったか、よくわかる。志ん朝や談志とは異なる大衆性で落語の魅力をアピールし続けた圓楽は、唯一無二の存在だった。志ん朝や談志がそうであったように、もうああいう落語家は出てこないだろう。

 

2009年11月27日から29日までの3日間、国立演芸場で開かれた「圓楽一門落語会」は圓楽のトーク出演も予定されていたが、結果的に圓楽追悼の会となり、翌年春に六代目を襲名することが決まっていた楽太郎は、初日のトリで五代目の十八番『浜野矩随』を演じている。

21世紀落語史

広瀬和生(ひろせかずお)

1960年生まれ。東京大学工学部卒。ハードロック/ヘヴィメタル月刊音楽誌「BURRN! 」編集長。落語評論家。1970年代からの落語ファンで、年間350回以上の落語会、1500席以上の高座に生で接している。また、数々の落語会をプロデュース。著書に『この落語家を聴け! 』(集英社文庫)、『落語評論はなぜ役に立たないのか』(光文社新書)、『談志は「これ」を聴け!』(光文社知恵の森文庫)、『噺は生きている』(毎日新聞出版)などがある。
関連記事

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitterで「本がすき」を

RANKINGランキング