小三治が六代目小さんを継がなかった理由【第64回】著:広瀬和生
広瀬和生『21世紀落語史』

bw_manami

2019/06/06

21世紀早々、落語界を大激震が襲う。
当代随一の人気を誇る、古今亭志ん朝の早すぎる死だ(2001年10月)。
志ん朝の死は、落語界の先行きに暗い影を落としたはずだった。しかし、落語界はそこから奇跡的に巻き返す。様々な人々の尽力により「落語ブーム」という言葉がたびたびメディアに躍るようになった。本連載は、平成が終わりを告げようとする今、激動の21世紀の落語界を振り返る試みである。

 

2006年9月、五代目小さんの実子である柳家三語楼が、六代目小さんを襲名した。

 

五代目が亡くなったのは2002年5月16日。孫の花緑が売れてきていたこともあり、当時から「将来は花緑が六代目小さんを継ぐのではないか」という声はあった。五代目が花緑を可愛がっていたことは周知の事実だったからである。

 

さらに2005年、小朝の「六人の会」の全面バックアップで九代目正蔵襲名イベントが大々的に行なわれると、花緑がその「六人の会」の一員でもあったことから、一層「花緑が小さんになる」という見方は強まった。

 

だが2006年9月発売の著書『ぜいたくな落語家』(うなぎ書房)で当代小さんが明かしたことによると、実はその正蔵襲名イベントが行なわれた2005年春、三語楼の六代目襲名は既に決まっていた。

 

同書によれば、五代目没後に鈴々舎馬風門下に入っていた彼は、馬風から「小さんはどうするんだ?」と訊かれ、「世間では六代目を小三治、七代目を花緑が継ぐと思っていて、三語楼の名は挙がらない。ならば立候補するしかない」という結論に達して「小さんを継ぎたい」と意思表示をしたところ、馬風が小三治を訪ねて小さん襲名の意向の有無を問い質し、次いで小三治が三語楼を呼び出して「協力しよう」と言ったのだという。

 

僕は小三治の小さん襲名はないと思っていたが、花緑ではなく三語楼が継ぐとは意外だった。単に落語ファンとして「花緑が小さんを継げば盛り上がる」と思っていたからだ。

 

だが『ぜいたくな落語家』によれば、馬風と小三治は花緑の母(五代目の娘)を訪ねて「三語楼が小さんを継ぎたいと言っている」と相談し、すぐに決まったという。三語楼の六代目小さん襲名記者会見は2005年6月7日、池袋演芸場で三遊亭圓歌(落語協会会長)、馬風、小三治、三語楼の4人が同席して行なわれている。

 

六代目小さん襲名披露興行は2006年9月下席(夜)の上野鈴本演芸場、10月上席(夜)の新宿末廣亭、中席(昼)の浅草演芸ホール、下席の池袋演芸場と都内4軒の寄席で行なわれた後、11月には3日の京都・南座を皮切りに全国を廻っている。

 

鈴本での余一会「第57回柳家小三治独演会」が行なわれた10月31日は、都内での大千秋楽の翌日。まさに旬の話題とあって、この日の「お尋ね下さい お答えします」のコーナーでは、小三治が六代目小さん襲名を断わった経緯についての質問が出た。

 

質問者が「馬風師匠が色々言ってますけど真相を教えてください」という言い方をしてるのに対し、小三治は「馬風が何を言ってるのか私は知りませんが、それはたぶん本当です」と答えると、「小三治」という名跡について語り始めた。

 

「私が小三治になって37年ぐらいになりますが、小三治は私で十代目です。初代から100年くらいの間で、空白期間もある中で私以外に9人いて、私は37年も名乗っている。ということは他の人たちは皆、短かった。私の師匠も小三治を名乗っていたのは2年くらいでしょうか。つまり、落語の歴史で『小三治』といえばもう、私のことなんです」

 

そして、「小三治は小さんになる名前と言いますが、本当に小三治から小さんになったのは3人だけなんです」と話をした後、年齢について語った。

 

「私はもう67歳です。私がこの先も元気でいると思ってくれるのはありがたいことですが、現実にはそうじゃない。そんな私が今さら小さんになってどうするんですか」

 

つまり、それが真相だということだろう。

 

この「お尋ね下さい お答えします」で明かされたように、長年続いた上野鈴本演芸場での「柳家小三治独演会」は、翌2007年をもって終了となった。最終回は10月31日の第59回。プログラムには小三治の一席目が『百川』、そして二席目は『おはなし』としてあった。『百川』は圓生十八番だが師匠小さんが小三治の口演を聴いて「圓生さんより面白ぇ」と言ったという演目だ。

 

では、最後を飾る演目は……?

 

三遊亭圓朝作『鰍沢』だった。

 

歴代の名人が手がけたこのサスペンス落語を、小三治は1986年2月に本牧亭「三人ばなし」(入船亭扇橋、桂文朝との三人会)でネタ下ろしして以来、一度も演じていなかったという。

 

この日、僕は真ん中ブロック前から二列目の至近距離で観ていた。トリの高座に登場した小三治は、独演会が終わることには一切触れず、「宗論はどちらが勝っても釈迦の恥」と、宗教の話題に入った。それが「日蓮宗はお題目、浄土真宗はお念仏……」と続き、「身延山久遠寺、あのあたりは山また山で」から「夏はまだしも、冬などは雪深く、その中を進むのは、それは難儀だったことでしょう」と進む流れはどう考えても『鰍沢』へと導いている。だが小三治は近年意図的にこの手の噺は避けていた。「まさかね」と思いながら期待が膨らむ。

 

そして遂に『鰍沢』に入ったとき、僕は心の中で特大のガッツポーズを取ったのだった。

 

この年の12月、小三治は都内4ヵ所で立て続けに『鰍沢』を演じ、僕はそのうちの3席を観た。観るたびに、物語にグイグイと引き込まれた。登場人物の描写は実にリアルで、目の前でドラマが展開されているようだ。毒を飲まされた旅人が必死に逃げ、それを女が追う場面は、雪の中のスリリングな光景が映像として迫ってくる。小三治の情景描写の上手さを堪能させる名演だった。

 

だがそれ以降、小三治は『鰍沢』を一度も演じていない。

21世紀落語史

広瀬和生(ひろせかずお)

1960年生まれ。東京大学工学部卒。ハードロック/ヘヴィメタル月刊音楽誌「BURRN! 」編集長。落語評論家。1970年代からの落語ファンで、年間350回以上の落語会、1500席以上の高座に生で接している。また、数々の落語会をプロデュース。著書に『この落語家を聴け! 』(集英社文庫)、『落語評論はなぜ役に立たないのか』(光文社新書)、『談志は「これ」を聴け!』(光文社知恵の森文庫)、『噺は生きている』(毎日新聞出版)などがある。
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