真打昇進で一気に花開いた白酒(喜助)【第68回】著:広瀬和生
広瀬和生『21世紀落語史』

bw_manami

2019/07/04

21世紀早々、落語界を大激震が襲う。
当代随一の人気を誇る、古今亭志ん朝の早すぎる死だ(2001年10月)。
志ん朝の死は、落語界の先行きに暗い影を落としたはずだった。しかし、落語界はそこから奇跡的に巻き返す。様々な人々の尽力により「落語ブーム」という言葉がたびたびメディアに躍るようになった。本連載は、平成が終わりを告げようとする今、激動の21世紀の落語界を振り返る試みである。

 

1995年6月に二ツ目に昇進した五街道喜助(後の桃月庵白酒)と1996年5月に二ツ目に昇進した柳家三三。この2人が「近日真打」という月例の二人会を始めたのは2003年12月のことだった。当初は落語協会の2階での勉強会の形を取っていたが、後に新宿末廣亭の深夜枠に移っている。白酒の著書『白酒ひとり壺中の天』(白夜書房)によれば、これは「三三と二人会をやりませんか」と落語協会が持ちかけてきた企画だという。

 

会のタイトルが示すように、この時期彼らは近々真打になるだろうと見られていた。実際に喜助が桃月庵白酒と改名して真打になるのは2005年9月、三三の真打昇進は2006年3月で、2人とも特に「抜擢」されることなく香盤順に何人かまとめて二ツ目を真打にしていく協会の通例に則って「5人同時真打昇進」に組み込まれたが、例えば2000年3月に林家たい平と柳家喬太郎の2人が抜擢で真打になったように、2004年あたりに「2人抜擢昇進」となっていてもおかしくなかった。

 

もっとも、三三が既に二ツ目としては異例なほどの人気を得ていたのに比べ、当時の喜助は人気という面では三三に遠く及ばなかった。三三は既に「客を呼べる落語家」で、白酒は当時を振り返り「二人会の客はみんな三三のファンだった」と言う。

 

若手の勉強会などをマメにチェックする落語通からの評価は高かった喜助だが、僕自身が喜助の高座を意識して観るようになったのは遅く、2004年から2005年に掛けての頃だったと思う。当時、僕は柳家一琴を追いかける中で、彼が出演する「五人廻しの会」という落語会に通うようになっていた。定員100人の日暮里サニーホール・コンサ−トサロンで隔月のペースで開かれるレギュラー制の定例会で、当時の出演者は入船亭扇好、三遊亭萬窓、柳家一琴、五街道喜助、柳家三三。喜助と三三のみ二ツ目だが、2人ともすぐに真打で通用するレベルの演者だったと記憶している。

 

ただ、僕は喜助時代の高座で強烈な印象を受けたものはない。それは、喜助が日頃の寄席でウケていたネタに、たまたま僕が遭遇する機会がなかったからなのかもしれない。だが真打昇進と同時にいきなり人気真打としてロケットスタートを切った白酒の目覚ましい活躍ぶりを見ると、やはり彼は真打昇進で「化けた」のだという気がする。

 

今となっては信じられないことだが、二ツ目時代の前半の喜助の高座は「暗い」と言われたそうだ。そんな喜助が大きく変化したのは「二ツ目勉強会」で志ん朝に「面白さがお客様に伝わるように努力しなきゃプロじゃない」とアドバイスされたからだ、と前掲の著作に書かれている。今の白酒の芸風はそこが出発点だった、と。

 

以降、「自分の落語」を練り上げていく中で、喜助は「上手くて面白い二ツ目」としてのポジションを獲得する。だが彼は「今は二ツ目だから使ってもらえる。でも真打になってから使ってもらうためには、噺をもっと鍛えないと」と自覚していたという。ここが一番大きなポイントではないだろうか。二ツ目としての評価に甘えることなく「真打になってから」のことを考えて努力を続けた喜助時代の蓄積が、いざ真打となったときに大きく物を言ったのだろう。白酒になってから遭遇した高座はすべてケタ外れに面白く、僕は「こんな凄い演者だったのか!」と衝撃を受けた。本人の意識の中では何ひとつ変わっていないのかもしれないが、「二ツ目」から「真打」へと立場が変化したことが、彼の中の何かを開放して、一気に花開いたのだと僕には思える。

 

真打昇進後の数ヵ月で、白酒は僕の中で柳亭市馬、柳家喜多八、橘家文左衛門(現文蔵)らと並ぶ、「寄席で追いかけたい落語家」になった。そして実際、白酒は寄席に出ずっぱりで、トリもよく取った。

 

2005年以降の落語ブームの波の中で、白酒は独自の演出による「新鮮な古典」の演者として脚光を浴びた。だがそれは独演会によってではなく、寄席の定席がメインだった。今でこそ白酒は大きな会場での独演会やホール落語に頻繁に出演する落語家として認識されているが、2008年頃までの白酒は、決してそうではなかった。もちろん各種落語会に引っ張りだこではあったし、自主公演の勉強会「白酒ひとり」(お江戸日本橋亭で開始/2009年に内幸町ホール、2011年に国立演芸場に移転)も常に満員ではあったが、白酒はあくまで「とにかく寄席にいつも出ている」落語家だった。そして実は、ここに大きな意味がある。

 

当時、古典の世界に現代のギャグを大胆に取り入れる白酒のような演者は、立川流以外の「寄席の世界」にはほとんどいなかった。あえて言うなら、柳家喬太郎と林家たい平には時にそれがあったが、喬太郎は「新作と古典の二刀流」、たい平は「林家だから」と自虐的に口にするなど、2人ともかなり特殊な立ち位置にあり、古典の中の現代ギャグの「違和感」を、あえて前面に出していた。

 

だが白酒は見た目も語り口もすべて「バリバリの古典派」。なのにマクラは尖ってるし、古典に現代語は入れるし、ギャグはブッ飛んでる。そして、それは何の違和感もなく寄席の雰囲気に馴染んでいる。「新しい古典」が立川流のような特殊な落語会で提供されるのではなく、寄席という日常的な空間で当たり前に提供される。この影響力は実に大きかった。「こういう落語は特殊じゃない、ごく当たり前なんだ」という認識が、白酒の「日常的な高座」により、ごく普通の落語ファンの間に根付いたのである。後に春風亭一之輔も「現代のギャグを取り入れた古典」で人気を博すが、その土壌は白酒が耕したと言っていい。志らくや談春といった立川流の演者による「新しい古典」はそれぞれの演者のファンを増加させ、それぞれの独演会に人を集めたが、白酒が何食わぬ顔で飄々と提供する「新しい古典」は、寄席の常識を変えた。「大銀座落語祭」が2008年に終了し、「落語ブーム」という言葉が使われなくなっていく中で、白酒が示した「落語の面白さ」は日常的に提供され続け、落語ファンを飽きさせなかった。

 

2005年頃に起こった「落語ブーム」以降、落語界の活況が衰えることなく今に至っている要因の一つが、先鋭的な「新しい古典」を肩ひじ張らず当たり前に提供する白酒の活躍だったと僕は見ている。

21世紀落語史

広瀬和生(ひろせかずお)

1960年生まれ。東京大学工学部卒。ハードロック/ヘヴィメタル月刊音楽誌「BURRN! 」編集長。落語評論家。1970年代からの落語ファンで、年間350回以上の落語会、1500席以上の高座に生で接している。また、数々の落語会をプロデュース。著書に『この落語家を聴け! 』(集英社文庫)、『落語評論はなぜ役に立たないのか』(光文社新書)、『談志は「これ」を聴け!』(光文社知恵の森文庫)、『噺は生きている』(毎日新聞出版)などがある。
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