二ツ目時代から上手かった柳家三三【第69回】著:広瀬和生
広瀬和生『21世紀落語史』

21世紀早々、落語界を大激震が襲う。
当代随一の人気を誇る、古今亭志ん朝の早すぎる死だ(2001年10月)。
志ん朝の死は、落語界の先行きに暗い影を落としたはずだった。しかし、落語界はそこから奇跡的に巻き返す。様々な人々の尽力により「落語ブーム」という言葉がたびたびメディアに躍るようになった。本連載は、平成が終わりを告げようとする今、激動の21世紀の落語界を振り返る試みである。

 

二ツ目時代の柳家三三は、既に正統派の演者としての「上手さ」に定評があった。テクニックという面では、もう完成していたと言っていいだろう。その点では、二ツ目時代に「今と同じくらい上手かった」と橘家文蔵が評する立川談春と似ている。

 

2006年10月の「談春七夜」の第六夜<蛍>で三三と『乳房榎』のリレーを演ったとき、談春は「そもそも三三を最初に上手いなと思ったのは『鰍沢』を聴いたときでした」と語った。その『鰍沢』とはおそらく2004年の第1回「大銀座落語祭」の7月19日・ソミドホールでの「圓朝寄席2」で演じたものだろう。この会では三三が『鰍沢』を、立川ぜん馬が『死神』を、そして談春が『札所の霊験』を披露している。二ツ目がこういう起用のされ方をすることは異例としか思えないのが普通だが、三三に限ってはそれがまったく自然だった。真打昇進の2年も前に、既に三三は談春と同じ土俵に立って『鰍沢』を演っても不思議がないポジションにいたのである。

 

後年、二ツ目時代の春風亭一之輔が大活躍したのは、テクニックがどうこうではなく、何はさておきその圧倒的な面白さゆえだ。「面白いから客が来る」ことが彼を「スーパー二ツ目」たらしめた。

 

だが三三の場合、うるさ型の落語通や業界人、そして談春のような同業者からの「上手さに対する高い評価」が先にあった。21世紀に入って以降、現在に至るまで三三ほど話芸としての「上手さ」を高く評価された二ツ目は、他に1人もいない。

 

そして、三三が評価された「上手さ」とは、主にその端正な語り口そのものであったため、落語初心者にも高評価の理由がわかりやすかった。いわゆる「伝統芸能としての古典落語」に対して初心者が抱きがちな「格調の高さ」のようなものが、三三の語り口には確かにあった。高座態度は落ち着いていて風情があり、ルックスもスマート。この「スマート」という要素は彼の大きな武器でもあり、三三は落語ブームの高まりの中、女性ファンも数多く獲得していく。

 

2006年3月に5人同時の真打昇進を果たした三三の、寄席の定席での披露目に僕が足を運んだのは、3月29日の上野鈴本演芸場。このとき口上に並んだ師匠の柳家小三治は、こう言った。

 

「三三は、うちの一門でも期待されております。末が楽しみです。でも、まだまだこれからです。お客様の御贔屓が何よりの力になります。御贔屓と言っても、ご祝儀をくれたり着物を作ったりとか、そういうことをお願いするわけでは……まあ出来る方だけやっていただいて(笑)、高座に三三が出てきたら、少しでも大きな拍手をいただいたり、『お、こいつの真打昇進披露は居合わせたぞ』と縁を感じて注目してくださったり、そういうことが何より励みになります。『俺1人の拍手が大きくたって関係ねぇだろう』と、そんなことはないんです。必ず伝わるものです」

 

「真打になったということは『認められた』ということで、私自身も、入門したときは、何とか真打になりたいと目標にしたものです。でも、何もこれで終わりじゃない。確かに三三は期待されています。

 

でも、ここまでは評判が良かったとしても、そのままずっと順調に行くかというと、そう甘いもんじゃない。ここから先が、実は色々あるんです。真打になったというのは甲子園に出場したというだけで、そこからさらに勝ち抜いて準々決勝、準決勝と進んでいくには、まだまだ大変なことが待っているわけです。ここから先、行く末いかに、見事なものになっていくか。それを後押ししてくださるのは、一にも二にも、お客様です」

 

愛情に溢れた、素敵な口上である。

 

小三治の言うとおり、二ツ目で評判が良くても、そのまま順調にいくとは限らない。だが、三三は快進撃を続けた。

 

三三が日暮里サニーホール(サロン)で「月例三三独演」を開始したのは、既に翌年の真打昇進が決まっていた二ツ目時代の2005年5月。この月例独演会は2006年にお江戸日本橋亭、2007年には内幸町ホールへと会場を移し、2008年7月・8月・9月の紀尾井小ホール(座席数250)を経て2009年から国立演芸場(座席数300)に移転。さらに2012年8月から座席数500のイイノホールに移り、今に至るまで毎月チケット完売が続いている。(2009年8月・9月・10月・11月のみ座席数424の日本橋公会堂で行なわれている)

 

三三が昇進と同時に「人気真打」としてのロケットスタートを切ることができたのは、「上手い落語家」としての評価が固まっていたからである。折からの落語ブームの中で「正統派のホープ」としてあらゆるホール落語に顔付けされるようになった三三は、「将来の落語界を背負って立つ逸材」として誰もが認める存在になった。

 

二ツ目時代から順調に固定ファンも増え続け、業界での評価も高い三三は、真打昇進と同時に「上手い落語家」の代名詞にすらなった。まさに順風満帆である。

 

だが、そんな三三にあえて苦言を呈したのが、上野鈴本での昇進披露興行で愛情溢れる口上を述べた、師匠の小三治だった。

 

(この項続く)

21世紀落語史

広瀬和生(ひろせかずお)

1960年生まれ。東京大学工学部卒。ハードロック/ヘヴィメタル月刊音楽誌「BURRN! 」編集長。落語評論家。1970年代からの落語ファンで、年間350回以上の落語会、1500席以上の高座に生で接している。また、数々の落語会をプロデュース。著書に『この落語家を聴け! 』(集英社文庫)、『落語評論はなぜ役に立たないのか』(光文社新書)、『談志は「これ」を聴け!』(光文社知恵の森文庫)、『噺は生きている』(毎日新聞出版)などがある。
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