高座で演じる三三は消えてしまっていい【第71回】著:広瀬和生
広瀬和生『21世紀落語史』

bw_manami

2019/07/25

21世紀早々、落語界を大激震が襲う。
当代随一の人気を誇る、古今亭志ん朝の早すぎる死だ(2001年10月)。
志ん朝の死は、落語界の先行きに暗い影を落としたはずだった。しかし、落語界はそこから奇跡的に巻き返す。様々な人々の尽力により「落語ブーム」という言葉がたびたびメディアに躍るようになった。本連載は、平成が終わりを告げようとする今、激動の21世紀の落語界を振り返る試みである。

 

「公開小言」から1年後、再び小三治が観客を前にして三三の芸について言及する場面があった。2007年7月27日、両国・江戸東京博物館ホールでの「柳家小三治一門会」だ。この日、三三は仲入り前に『笠碁』を演じた。

 

トリの高座に上がった小三治はマクラで「師匠と弟子」についてあれこれ語った。主に自分の師匠である五代目小さんとの話だったが、「小さん師匠は、弟子が失敗しようがどうしようが、まったく心配しない人だった。私は、なかなかそうはいきません。弟子の高座を観るのは楽しいものですが、私はどうしても、いろんな心配をしてしまう」と言って、三三に触れた。

 

「三三が最近評判がいいのは嬉しいんですが、私は『この程度でいいのか?』と思ってしまう。でも……改めます。あの程度でいいです。あとはお客さんにいろんなことを言われる中で、自分で考えればいい。私はお客さんの意見はよく聞きます。正直、取るに足りない意見ばかり。(笑)でも、その取るに足りない意見が逆に何かの引っ掛かりになって、役立つことがある。ですから、三三には何か言ってやってください」

 

ちょっと突き放したような、でも温かいトーンでの物言いだった。鍵は「自分で考えればいい」という一言。小三治が見たところ、「噺の中に三三という人間が出てこない」というのは、おそらく変わっていなかった。「それでいいのか、自分で考えろ」ということなのだろう。

 

三三が「自分で考えて」変わったのは、それから数年後のことだった。2012年8月に僕は北沢タウンホールでの「この落語家を聴け!」という落語会でインタビューを行なったのだが、そこで僕が紀尾井小ホールでの「公開小言」について尋ねると、三三はこう言った。

 

「落語をきちんと、一生懸命やろうとしているのはわかるけど、その中に人間が出てこないんだよ、と言われて、正直な話をすると、その頃の自分には、師匠が何を言ってるんだかよくわからなかった。落語の中に三三が出てきたってしょうがねえだろ、それぞれの登場人物、八っつぁんは八っつぁん、熊さんは熊さん、ご隠居さんはご隠居さんがきちんと出てこなくちゃ、っていう風に、その時は思ってました」

 

当時の三三は「情景をきちんと浮かび上がらせて、噺の構造を観客にちゃんと伝えよう」ということだけを考えていたという。

 

「だから『三三は一生懸命きちんとやってるんだけど』っていう、その“けど”って言われることが、よくわからなかった。つい最近まで」

 

だがその後、考えが変わった。自分が思い描いた情景を言葉で正確に表現するなんてできないし、それを聴いた側に自分が描いたとおりに受け取って想像してもらおうというのは思い上がりだ、と。

 

「なので、自分は最大限、誠意をもって喋りますけど、そこから先はどう想像してもお客様次第。僕の喋った言葉を素材にして面白いと思ってくださったらそれでいい。この2~3年、そう思って演るようになりました」

 

小三治の指摘についての解釈はこうだ。

 

「噺の中に三三が出てこなくちゃいけないっていうのは、登場人物がみんな三三の感覚で動け、っていうのとは違うと思うんです。自分を登場人物に投影するとか、落語を使って自己表現するとかではなく、自分がその落語をこう面白いと思ったのを、素直にそう喋ってみる、ということ。『自分はこう面白いと思った』という時点で、それはオリジナルなんですよ。それをそのまま素直に、自分の感覚じゃなくて、その登場人物がたまたまこういう風に喋ってしまいました、こっちの人はそれに対してたまたまこういう風に答えてしまいました、それでこういう風に続いていったら、たまたま今日はこういう噺になりました、っていう感覚」

 

それはまさに小三治が常々言っていることである。落語の登場人物は、その日の出来事に初めて遭遇する。だから演者も、そのつもりにならなければいけない。演じながら「それからどうなるの?」と思えたら最高だ、と。

 

三三は夏目漱石の『三四郎』での有名な「三代目小さん礼賛」に触れた。

 

「夏目漱石が言いましたね。圓遊が演るとどの登場人物も圓遊になるが、小さんが演ると小さんが消えて噺だけがそこにあるのだ、って。それを聞いた時に、以前の僕は、それじゃあその人が演ってる意味がないんじゃないかと思ったんですけど、今はその感覚がよくわかります。落語を演ってる僕のことは忘れていただいて、その噺が起こっている空間に、お客さまも一緒に、隅の方にいるっていう錯覚に陥ってもらえたらいいな、と今は思います」

 

小三治の言わんとしたのは、これだろう。「噺に三三という人間が出てくる」とは「高座に三三が見える」ことではない。むしろ演じる三三は消えてしまっていい。その考えに三三は「自分で」到達した。

 

三遊亭圓朝と同時代にライバルとして活躍した柳派の頭取・談洲楼燕枝の長編人情噺『嶋鵆沖白浪(しまちどりおきつしらなみ)』を三夜連続口演でネタ下ろしする「三三談洲楼三夜」が紀尾井小ホールで開かれたのは2010年11月のこと。このインタビューで言う「2~3年前」とは、その少し前くらいだろうか。当時、三三が「一皮むけた」という印象を受けたのを思い出す。

 

その後、三三は2013年3月から4月にかけて「47日間で47都道府県を廻る」全国ツアーを敢行、翌年にも47都道府県を廻った他、不惑(40歳)になったのを記念して「男、四十にして…惑う」と題した二夜連続独演会(7月26・27日)を東京グローブ座で行ない、初日は柳家喬太郎の『ハワイの雪』、二日目は三遊亭白鳥の『任侠流山動物園』を披露した。

 

『任侠流山動物園』は渡世ブタの豚次など動物たちが活躍する噺で、三三は白鳥との二人会「両極端の会」で2010年10月にネタ下ろししている。白鳥は2013年、この『任侠流山動物園』を核とする豚次シリーズの連作を、全十話の長編『任侠流れの豚次伝』として完成させ、2014年9月中席の池袋演芸場で十日間通し口演を行なった。

 

自作の続き物で寄席のトリを取るとはさすが「圓朝の直系」と言える偉業だが、翌2015年9月、今度は白鳥がトリを取るだけでなく、10人の日替わりゲスト(市馬、歌武蔵、一琴、喬太郎、扇辰、彦いち、白酒、三三、百栄、一之輔)を招いて全話をリレーするという企画興行が、同じく池袋演芸場で行なわれた。

 

このリレー公演をきっかけに三三は自ら『豚次伝』全十話の通しに挑戦しようと思い立ち、2017年に横浜にぎわい座での『豚次伝』全十話の10ヵ月連続口演を敢行。2018年には「またたびさんざ四都市五ヶ月連続独演会」と題して『豚次伝』全十話を名古屋・大阪・広島・福岡で1回2話ずつ5ヵ月連続で口演した。

 

三三はこの前年、大阪・名古屋・福岡の3都市で『嶋鵆沖白浪』を6ヵ月連続口演している。まさか、あの「正統派のホープ」三三が、『豚次伝』を『嶋鵆沖白浪』と並ぶ十八番にするとは……。

 

でもこれがまた、実によく似合っているのである。

21世紀落語史

広瀬和生(ひろせかずお)

1960年生まれ。東京大学工学部卒。ハードロック/ヘヴィメタル月刊音楽誌「BURRN! 」編集長。落語評論家。1970年代からの落語ファンで、年間350回以上の落語会、1500席以上の高座に生で接している。また、数々の落語会をプロデュース。著書に『この落語家を聴け! 』(集英社文庫)、『落語評論はなぜ役に立たないのか』(光文社新書)、『談志は「これ」を聴け!』(光文社知恵の森文庫)、『噺は生きている』(毎日新聞出版)などがある。
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