「古今亭右朝の死」【第7回】著:広瀬和生
広瀬和生『21世紀落語史』

21世紀早々、落語界を大激震が襲う。
当代随一の人気を誇る、古今亭志ん朝の早すぎる死だ(2001年10月)。
志ん朝の死は、落語界の先行きに暗い影を落としたはずだった。しかし、落語界はそこから奇跡的に巻き返す。様々な人々の尽力により「落語ブーム」という言葉がたびたびメディアに躍るようになった。本連載は、平成が終わりを告げようとする今、激動の21世紀の落語界を振り返る試みである。

 

ところで、志ん朝の死を乗り越えて落語界が繁栄期に向かう道のりを振り返る前に、その志ん朝より4ヵ月早く亡くなった弟子について触れておきたい。古今亭右朝。あの談志をして「あいつは天下を取る」と言わしめた逸材だったが、2001年4月29日に肺ガンのため52歳の若さで亡くなった。

 

1948年生まれで、日大芸術学部の落語研究会では高田文夫氏と同期。在学中から寄席文字の橘右近に師事し、橘右朝と名乗った。1971年に大学を卒業後、紆余曲折を経て1975年に志ん朝に入門。2年の見習い期間を経て1977年に古今亭志ん八で前座、同名で1980年に二ツ目昇進。メキメキと頭角を現わした志ん八は1985年のNHK新人落語コンクール最優秀賞とにっかん飛切落語会努力賞を皮切りに1986年、1987年と連続でにっかん飛切落語会奨励賞、1987年には国立演芸場花形若手演芸会新人賞金賞など二ツ目対象のあらゆる賞を獲得した。評論家の保田武宏氏はCD「古今亭右朝1」(2011年/キントトレコード)のライナーノーツで「この頃の志ん八は他を圧倒していた」と書いている。

 

その志ん八がまさかの「真打試験不合格」となったのが1987年5月のこと。落語協会では1980年から真打認定試験制度を導入、1983年に立川談四楼、立川小談志が不合格となったことが師匠談志の落語協会脱退の引き金になったことはよく知られている。この1987年には「林家こぶ平が合格して志ん八が不合格」という結果に落語ファンからブーイングが起こり、マスコミも「疑惑の判定」と騒いだが、寄席の席亭たちからも協会に対して抗議の申し入れがあったため、協会はすぐに追試を行なって志ん八を含む前回の不合格者3人の昇進を認めた。これを最後に真打認定試験制度は廃止。志ん八改め古今亭右朝の昇進披露興行は翌年5月1日から6月10日まで一枚看板で行なわれ、志ん朝は40日間欠かさず口上を述べた。

 

聴き心地の好い軽妙な語り口で古典落語の魅力を見事に引き出した右朝。ネタ数も豊富で、2002年に有志により自主製作された3枚組CD「追善古今亭右朝」のブックレットに記載されたネタ帳には202席の演目が書かれていた。加えて仲間内でも落語博士と異名を取るほどの博識ぶりで、落語界屈指の理論派として知られ、後輩からの人望も厚かったという。

 

そんな右朝が90年代の落語界においてそれほど存在感を発揮しなかった最大の原因は、寄席を中心とする落語界全体の低迷にあったとは思うが、当人の「今は実力を蓄える時期」という思いもあったのではないだろうか。録音エンジニアで落語研究家の草柳俊一氏はCD「古今亭右朝1」のブックレットでこう書いた。

 

「真打になってから、どこか妙におとなしく感じられた。もっと表へ出て行けばいいのに、独演会も開いたらいいのに、と思ったファンも多かったのではないか。そう言うといつも決まって言うのが、『もうちょっと待ってください』だった」

 

右朝の逝去直後、30年来の付き合いだった立川談四楼は雑誌の連載コラムで「落語界は本当に惜しい男を失った」とその死を悼み、故人を「落語一筋であえてマスコミに背を向ける傾向にあった男」「ガツガツしたところは少しもなかった」と評した。夥しい数の弔問客でごった返す通夜の場で誰もが右朝の芸を讃え、数々のエピソードが披露されるのを聞いていた談四楼の脳裏に浮かんだのは「決して人にこびへつらうことのない、右朝の胸を反らした姿だった。そして『実力をつけるのが先です。人気やマスコミはあとからついてきます』という彼の自信にあふれた言葉だった」という。

 

21世紀に入ると共に亡くなった右朝は、本来、21世紀の落語界を牽引すべき男だった。落語ブームで大量の「新たな落語ファン」が寄席の世界へと流れ込んできたとき右朝がそこにいたならば、間違いなく彼に「人気やマスコミがついてくる」時代がやってきたはずだ。たとえば作家の色川武大氏はかつて「談志は60代の高座をターゲットにしている」と言ったというが、右朝が生きていたなら60歳になるのは2008年。彼の言う「もうちょっと」が「60歳になる頃」だったと仮定するなら、それはまさに落語ブーム真っ只中ということになる。

 

右朝の通夜で悲しみに暮れ、ガックリと肩を落としていた志ん朝の姿が忘れられない、と関係者は口を揃える。4ヵ月後、その志ん朝も亡くなってしまうわけだが、古今亭の一門にとっては、それに先立ち志ん朝の信頼厚かった右朝をも失っているということが、ダメージを何倍にもしたことだろう。

 

右朝と同じ1948年生まれの現役落語家には柳家さん喬、五街道雲助がいる。柳家権太楼は1歳上の1947年生まれ。「今、右朝がいたら……」 在りし日の彼を知る人間はいまだにそう嘆く。もしも志ん朝亡き後の落語界に右朝がいたならば、その勢力図はだいぶ違っていただろう。談志の予言した「右朝が天下を取る日」を、ぜひともこの目で見たかった。

 

21世紀落語史

広瀬和生(ひろせかずお)

1960年生まれ。東京大学工学部卒。ハードロック/ヘヴィメタル月刊音楽誌「BURRN! 」編集長。落語評論家。1970年代からの落語ファンで、年間350回以上の落語会、1500席以上の高座に生で接している。また、数々の落語会をプロデュース。著書に『この落語家を聴け! 』(集英社文庫)、『落語評論はなぜ役に立たないのか』(光文社新書)、『談志は「これ」を聴け!』(光文社知恵の森文庫)、『噺は生きている』(毎日新聞出版)などがある。
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