「SWA(創作話芸アソシエーション)」の結成 【第20回】著:広瀬和生
広瀬和生『21世紀落語史』

21世紀早々、落語界を大激震が襲う。
当代随一の人気を誇る、古今亭志ん朝の早すぎる死だ(2001年10月)。
志ん朝の死は、落語界の先行きに暗い影を落としたはずだった。しかし、落語界はそこから奇跡的に巻き返す。様々な人々の尽力により「落語ブーム」という言葉がたびたびメディアに躍るようになった。本連載は、平成が終わりを告げようとする今、激動の21世紀の落語界を振り返る試みである。

 

「六人の会」の発足から1年後の2004年、もう1つのグループが始動した。春風亭昇太を中心に、三遊亭白鳥、柳家喬太郎、林家彦いち、神田山陽(講談師)が結成した創作話芸集団「SWA(創作話芸アソシエーション)」だ。これは、それぞれ自分で新作落語(山陽は新作講談)を創作してきた彼らが、集団でのブレインストーミングで新作を練り上げ、共通の持ちネタとして演じようという趣旨で結成されたもので、2003年末に白夜書房の演芸専門誌『笑芸人』(高田文夫責任編集を謳ったムック/実際の編集人は田村直規氏)のVol.13誌上で旗揚げを宣言、2004年に始動した。

 

発起人の春風亭昇太によれば、SWAは単に創作落語のネタ下ろしの会ではなく、総合的に創作落語にとって有意義なことを何でもやる集まりで、(1)新ネタの創作(2)過去のネタのリニューアル(3)作品を共有することによってネタを練る、を三本柱に、あくまで「パッケージとして有意義な会」を目指したもの。2007年2月をもって神田山陽が脱退して以降は昇太、白鳥、喬太郎、彦いちの4人体制となった。(2005年、2006年も山陽抜きの公演がほとんどで、山陽の実質的な在籍期間は極めて少ない) 当初は2〜3年の活動を念頭に置いていたようだが、スタート当初から人気爆発、2011年12月の活動休止まで8年間続いた。

 

「SWA」の客層は若者中心、それも女性が多く、それまで「落語ジャンクション」(SWA発足の切っ掛けとなった新作落語ネタ下ろしの会)他でごく一部にマニアックに支持されていた新作落語をメジャーな存在にしたこと、および従来の落語ファンとはまったく異なる若い層を新たに落語の世界に誘った功績は大きい。

 

初めて行われたSWAの公演は2004年6月5日に新宿・明治安田生命ホール(客席数342)での「SWAクリエイティブツアーVol.1」。このチケットは発売して数時間で完売。この結果はSWAのメンバーにとって意外だったという。もともと昇太の独演会は毎回女性が大半を占める「昇太ファン」で大盛況、喬太郎にもすでに女性を中心とする熱烈な「追っかけ」たちがいたので、そうしたファン層が「SWA」に殺到した、ということも言えるだろうが、それだけではない。それまでSWAと同様の顔合わせで落語会を開いても、それほどのチケットの売れ行きはなかったのだから。

 

ではどうしてSWAを結成した途端、人気が一気に爆発したのか。「SWAという名称のユニットを組んだ」という事実が大きかった。人は「ユニット名」という「わかりやすさ」に敏感に反応し、興味を持つ。小朝の「六人の会」然り、後年の「成金」(落語芸術協会の二ツ目が2013年に結成したユニット)も然りである。

しかもSWAは昇太、喬太郎、白鳥、彦いちといった曲者たちが「新作落語ブームが来た!」「昇太爆笑革命」(『笑芸人』Vol.13見出しより)といった煽り文句と共に派手に打ち上げた、スペシャル感満載な企画である。これはファンでなくても「何かが起こる!」と期待せずにはいられない。

 

「六人の会」発足から1年、「落語ブーム前夜」の2004年に、既に人気のあった昇太や喬太郎が今までにないタイプのユニットを旗揚げしたことは、落語ブーム勃発の「もう1つの起爆剤」となったのである。

 

そんな「スペシャルなイベント」SWA公演のチケット争奪戦は激烈を極めた。当時、明治安田生命ホールで毎月行なわれていた「志の輔らくご 21世紀は21日」は「発売開始と同時に完売」が当たり前だったが、SWAもそれと並ぶ激戦区となった。発売時刻にPCでサイトに入ろうとしても「アクセスが集中しています」と表示され、そのうち「枚数終了」となってしまう危険性が高いので、ファンは皆、色々な方法で挑んだものだ。僕は「志の輔らくご」は「チケットぴあのカウンター前に早朝から並ぶ」方式で入手していたが、SWA公演は「ローソン店内の発券機Loppiの前に発売開始時間よりかなり前から陣取る」派だった。店に遠慮して20分前くらいに行くと別の誰かが陣取っていたりするので、40〜50分前くらいに行くことが多かったが、それでも先客がいて慌ててタクシーで別のローソンへ、なんてこともあった。

 

今「志の輔らくご」を例に挙げたが、SWAで昇太が目指したのは、志の輔がパルコ公演で体現したような「公演そのもののエンターテインメント化」だった。「落語会に来てもらう」のではなく、「SWAというエンターテインメントを観に来てもらう」という発想だ。

 

昇太は前掲の『笑芸人』Vol.13において「落語は東京や上方の地域芸能じゃなくて全国芸能になっている」「ライヴのチョイスの1つとしてきている人が増えていて、落語のビッグネームがありがたがられる時代じゃなくなった」「要は、いかに自己プロデュースして、チョイスされる落語家になるかっていうこと」と発言している。

 

その文脈で言うならば、SWAは、落語の伝統の中ではマイナーに見られがちな新作落語を、マイナーであることを逆手に取って、従来の落語とは一線を画す新鮮なエンターテインメントとして見せる「自己プロデュース公演」なのだ。

 

「六人の会」は、春風亭小朝がプロデューサーとしての腕を存分に奮って「マスを動かして落語にスポットを当てる」ための基盤だった。一方SWAは、プレーヤーであり脚本家であり演出家でもある春風亭昇太が、同じ志を持つ仲間と力を合わせて「集団プロデュース公演」を提供するために考案したシステムであり、目指したのは「エンタメ好きで好奇心に満ちた人々」へのアプローチだった。

21世紀落語史

広瀬和生(ひろせかずお)

1960年生まれ。東京大学工学部卒。ハードロック/ヘヴィメタル月刊音楽誌「BURRN! 」編集長。落語評論家。1970年代からの落語ファンで、年間350回以上の落語会、1500席以上の高座に生で接している。また、数々の落語会をプロデュース。著書に『この落語家を聴け! 』(集英社文庫)、『落語評論はなぜ役に立たないのか』(光文社新書)、『談志は「これ」を聴け!』(光文社知恵の森文庫)、『噺は生きている』(毎日新聞出版)などがある。
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