林家こぶ平の九代目林家正蔵襲名【第26回】著:広瀬和生
21世紀落語史

21世紀早々、落語界を大激震が襲う。
当代随一の人気を誇る、古今亭志ん朝の早すぎる死だ(2001年10月)。
志ん朝の死は、落語界の先行きに暗い影を落としたはずだった。しかし、落語界はそこから奇跡的に巻き返す。様々な人々の尽力により「落語ブーム」という言葉がたびたびメディアに躍るようになった。本連載は、平成が終わりを告げようとする今、激動の21世紀の落語界を振り返る試みである。

 

 

2005年、芸能ニュースで大きく取り上げられて世間に「伝統芸能としての落語」を強く印象付けたのが、林家こぶ平の九代目林家正蔵襲名だった。

 

こぶ平が「2005年春に」正蔵を襲名すると正式発表されたのが2003年3月だったことは前にも触れたが、実は2002年8月には既に「3年後に」こぶ平が正蔵襲名する、ということは公になっていた。

 

当時、落語ファンや一部の評論家から「こぶ平が正蔵なんて!」という批判が噴出したが、僕は「やっぱりこぶ平は正蔵を襲名するのか」と思っただけだった。八代目が「一代限り」として海老名家から譲り受けたとされ、1980年に林家三平(初代)が亡くなった時にその八代目が海老名家に名跡の返上を申し出て自らは彦六と名乗った以上、三平の長男が正蔵を継いでもおかしくない。

 

後に「笑芸人」Vol.16で正蔵自身が語ったところによると、この襲名はそもそも上野鈴本演芸場の席亭から持ちかけられた話で、母(海老名香葉子)は当初それを渋ったものの、こぶ平が春風亭小朝に相談したところ襲名を強く勧められ、2001年に「東京人」で対談したときの志ん朝の励ましの言葉も思い出して正蔵襲名を決意したのだという。

 

2002年8月にその発表があってから、小朝は「こぶ平が正蔵を襲名するので鍛えている」ということを盛んにマスコミで発言するようになった。なので僕は「六人の会」にこぶ平が名を連ねていても、「正蔵襲名のイベントを盛り上げるための下地を整えるんだな」と、むしろ当然のことのように感じた。

 

八代目正蔵の孫弟子である小朝が1988年に三平の娘である泰葉と結婚した時、「これで小朝は正蔵を継げる」という穿った見方をする向きもあったが、三平の長男と次男が落語家である以上それは難しいだろうし、小朝自身にとってもさほどメリットのある話ではない。ただ、たまたま海老名家の身内になったことで、こぶ平の正蔵襲名への仕掛けを自らの手で行なえる立場になったことは大きかったに違いない。

 

大名跡ということに関連して言うと、小朝は当時「鶴瓶は八代目松鶴を継ぐのに相応しい人材」という発言をしていた記憶がある。また、2006年に六代目小さんを柳家三語楼(五代目の実子)が襲名するまでは、孫の花緑が小さんを継ぐのではないかという見方が強かった。そういう観点で「六人の会」のメンバーを眺めると興味深い。

 

「六人の会」の仕掛けは当たり、旗揚げから2年間で落語に対する世間の注目度は格段にアップしていた。そして迎えた襲名披露イベント。2005年2月27日にマスコミ向けに発表されたそれは、まさに前代未聞だった。3月13日、正蔵は石原プロの全面バックアップのもと、10億円の保険を掛けて、上野と浅草で特大車両7台を使った大々的なパレードを実施。さらに寛永寺と浅草では歌舞伎役者ばりに「お練り」も行なったのである。寛永寺のお練りは開山以来初、浅草のお練りは120人以上の史上最高人数。「六人の会」や林家木久蔵(現・木久扇)、舘ひろしも参加して上野鈴本演芸場から出発し浅草演芸ホールまで続いたこのパレード&お練りの見物人は14万人! しかも当日の午後は雪がパラついていたのに! 当然、マスコミはこぞってこのニュースを大きく取り上げた。

 

実は当時、このパレード&お練りが大きな話題になったのには伏線があった。この年の1月22日、人気俳優の中村勘九郎が、3月の十八代目中村勘三郎襲名を控え、浅草雷門から浅草寺までのお練りを行なっていたのである。当然のことながら、これは大々的にマスコミが取り上げた。その余韻の中、今度は落語家がお練りを行なうというのだから、インパクトは絶大だ。

 

落語ファン以外にとっては「林家正蔵」が「江戸時代から続く大名跡」であるということだけが重要であり、代々の芸風やこぶ平の力量は関係ない。むしろこぶ平は知名度のあるタレントである、ということのほうが重要だったりする。しかもこの名跡には「一代限りで譲り受けた先代が海老名家に返した」というストーリーがある。この流れから、「正蔵襲名」は「勘三郎襲名並みに凄いこと」だという印象を受ける一般人は多いはずである。要するに「箔が付いた」ということだ。

 

このパレード&お練りを「こぶ平がここまでやるか」と批判する落語ファンもいたが、「ここまでやる」からこそマスコミが騒ぎ、無関心だった人々を振り返らせることができたのである。そしてまた、それを可能にした政治力は尋常ではない。

 

実際に勘三郎襲名のお練りに便乗したのか、それとも偶然重なったのか、本当のところはわからない。ただ、落語が「伝統を継承する日本の文化」であるという側面を強調したことが、『タイガー&ドラゴン』とは別の意味で「落語ブーム」に大きく貢献したことは確かだ。事実、僕の知っている範囲でも、それまで落語に全く関心がなかったのに「勘三郎に続いて正蔵がお練り」というのに食いついて「正蔵の落語を聴いてみようか」と思った人たちは実在する。

 

2005年3月発売の「笑芸人」Vol.16は「エンタの大真打 落語」と銘打って『タイガー&ドラゴン』と「正蔵襲名」を特集した。そして同年7月には「笑芸人」編のムック「落語ファン倶楽部」Vol.1が出版され、「笑芸人」本体はVol.17をもって休刊、代わって「落語ファン倶楽部」が不定期で刊行されていくことになる。さらに言えば、「落語、いいね!」という特集を2001年に組んで志ん朝とこぶ平の対談を掲載した「東京人」は、2005年9月号で「落語が、来てる!」と銘打って「ここ数ヵ月突如大ブームとなった落語」(リード文より)を特集している。

 

2005年、マスコミにより落語は「ブーム」として語るべきものと認定されたのだ。

この記事を書いた人

21世紀落語史

広瀬和生(ひろせかずお)

1960年生まれ。東京大学工学部卒。ハードロック/ヘヴィメタル月刊音楽誌「BURRN! 」編集長。落語評論家。1970年代からの落語ファンで、年間350回以上の落語会、1500席以上の高座に生で接している。また、数々の落語会をプロデュース。著書に『この落語家を聴け! 』(集英社文庫)、『落語評論はなぜ役に立たないのか』(光文社新書)、『談志は「これ」を聴け!』(光文社知恵の森文庫)、『噺は生きている』(毎日新聞出版)などがある。
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