ロックの「再発見」から歴史の終わりへ――7分でわかるロックの歴史(後編)【番外編・コラム】
川崎大助『究極の洋楽名盤ROCK100』

bw_manami

2019/03/15

戦後文化の中心にあり、ある意味で時代の変革をも導いた米英のロックミュージック。現在我々が享受する文化のほとんどが、その影響下にあるといっても過言ではない。つまり、その代表作を知らずして、現在の文化の深層はわからないのだ。今を生きる我々にとっての基礎教養とも言えるロック名盤を、作家・川崎大助が全く新しい切り口で紹介・解説する。

 

 ロックの復活はイギリスから始まる。ザ・ビートルズを筆頭とする若きバンドたちの台頭、いわゆる「マージー・ビート」の大ブームが、60年代初頭、新しい聴衆にロックンロールを「再発見」させる。50年代のティーンエイジャー、ロック・ファンの第一世代は、このころは大学生ぐらいになっていた。アメリカにおけるこの層は「フォーク・リヴァイヴァル」ブームに親しむ者も多かった。この波のなかにボブ・ディランもいた。ディランとビートルズが邂逅したことから、60年代のロックは一気に「成長」していく。そして、しのぎを削るライバルたちとともに、大きく渦を巻いて、ロックは「20世紀後半の新しい芸術の中心軸」となる。あらゆる文化的事象を引き寄せる磁場として機能し始める。

 

 この潮流が頂点にまで高まったのが、レビューのなかで幾度か触れた「サマー・オブ・ラヴ」だ。1967年の夏、ロック音楽を中心に置く「カウンターカルチャー(対抗文化)」のムーヴメントが、米英の主要都市を覆いつくす。戦後自由主義陣営社会の「それまで」が、不可逆的に変貌していく瞬間がここだった。

 

 この時期の前後「ポップ(Pop)」という言葉が米英で流行する。「ポップ音楽(Pop Music)」という呼称も、徐々に定着していく。日本ではこの「ポップ」が、「ポピュラー(Popular=人気がある)」の略語だとする誤解が広く信じられているが、これは正しくない。ここでの「ポップ」とは、アンディ・ウォーホルを始めとする「ポップ・アート」と同じ言葉だ。破裂音を指す擬音的な英語の名詞として、そこから転じた動詞としての「ポップ」がこれであって「ポピュラー」とはなんの関係もない。そしてこのころ、ロックに影響を受けた流行音楽の全般が「ポップ音楽」と呼ばれ始める。

 

 さらに60年代の後半あたりから、ロックンロールの略称である「ロック」という言いかたが、メディアそのほかで使用される頻度が増えてくる。ここを、ときに日本では「違う種類の音楽へと変化(進化)した」かのようにとらえる人もいるらしい。だがしかし、それも完全なる誤解だ。「ロック」は「ロックンロール」の略でしかない。「カントリー&ウェスタン」の略称が「カントリー」となって定着したように。

 

 70年代、ロック音楽のあらゆる領域が「発展」し、商業的にも「巨大化」する。これを先導したのが、激動の60年代をくぐり抜けた「ロック・ジャイアンツ」たちだ。彼らは20世紀後半の資本主義社会における王侯貴族にも等しい存在となっていた。

 

 だから、それに反発し「異を唱える」革命児も多数登場してくる。パンク・ロッカーたちだ。そして皮肉なことに、これら「権威への挑戦者」たちのアクションそのものが、ロック音楽の再・再生、全面刷新のような効果をもたらす。そして「権威者」と「挑戦者」の双方がその恩恵にあずかって、80年代の未曾有の「爛熟」へと突入していく。 

 

 なにもかもが揃っていた――それが80年代だった、のかもしれない。もっとも、マドンナもビースティ・ボーイズも冷遇する〈ローリング・ストーン〉には、「なにもなかった10年間」呼ばわりされてしまったのだが……しかしこのときはまだ、高く高く投げ上げられたボールが、地表に落っこちてくる前だったことは間違いない。山なりの軌道で、ひとまずそれは、依然として中空にあった。来るべき崩壊の序曲は、80年12月8日の、ジョン・レノン射殺からすでに静かに鳴り始めていたのだが。

 

 この「爛熟」の時代、大きく伸張したのが、黒人音楽の領域にいた人々だ。「ロカビリー」の時代からつねに、「黒い」音楽は白人側に剽窃されたり、模倣される対象だった。ところがこの時代、「それそのもののままで」広い大衆へと直接的に到達できる回路が、飛躍的に増殖する。マイケル・ジャクソンの達成が大きい。さらには、ヒップホップ音楽、ラップ・ソングの興隆もあった。ハウスやテクノといったダンス音楽も、ソウルやファンク、ディスコ音楽の延長線上にあるものだ。これらが占拠する陣地の割合が、「ポップ音楽」のなかで目に見えて増えてきた時代が80年代だった。

 

 そして90年代、ニルヴァーナの突然の大ブレイクによって、「最後の」ロック・バンド・ブームが起こる。オルタナティヴ・ロックが「流行る」という、ほとんど語義矛盾のような事態が米英を覆いつくす。学生気分の抜けないバンドが、全盛期のレッド・ツェッペリンのように売れてしまって――そして一気に鎮火する。ニルヴァーナのフロントマン、カート・コベインの自殺の影響は大きかった。

 

 ヒップホップ界にも死の激震は走った。96年に2パックが、97年にはノトーリアスB.I.G.が、それぞれ「何者かに」射殺される。斯界からは東西のギャング抗争に巻き込まれた、との見方が示された。才能あふれるスターだった、このふたりのラッパーが若くして殺されてしまうという惨劇が、ヒップホップ音楽の歴史に与えた影響は大きい。躍進に次ぐ躍進だったこの新興音楽ジャンルに、決して解けない呪いが――ちょうど、59年のロックンロールのように――かけられた瞬間がここだった。

 

 だが、間一髪でヒップホップ音楽は死をまぬがれる。なんとか持ちこたえて、商業空間のなかで地歩を固める。そして90年代終盤、ポップ音楽の中心域を、若者文化の流行地帯のど真ん中を支配するに至る。この大進撃が、「そのほかのジャンル」の衰退を補って余りある実績を残す。ヒップホップや最新鋭のR&Bが、あるいはラップを取り入れたロックやDJ文化が、「グランジ」ブーム崩壊後のポップ音楽界を全滅から救った。ひいてはロックも、かろうじて延命を図ることができた。

 

 そして20世紀が終わり、21世紀はただその延長線上に、かつてのロックと「すこしだけ似た」新しい音楽を含む、ポップ音楽のシーンが淡々と継続している。今日、凪の日ばかりが続く平坦な大洋のような仮想現実空間の上に、「これまでのポップ音楽」そのすべてが等価のものとして、整然と並べつくされようとしている。

 
次回も番外編として、コラム「7分でわかるロックの定義とその概念(前編)」を掲載いたします。お楽しみに!

 

この100枚がなぜ「究極」なのか? こちらをどうぞ

究極の洋楽名盤ROCK100

川崎大助(かわさき・だいすけ)

1965年生まれ。作家。88年、音楽雑誌『ロッキング・オン』にてライター・デビュー。93年、インディー雑誌『米国音楽』を創刊。執筆のほか、編集やデザ イン、DJ、レコード・プロデュースもおこなう。2010年よりビームスが発行する文芸誌『インザシティ』に短編小説を継続して発表。著書に『東京フールズゴールド』『フィッシュマンズ 彼と魚のブルーズ』(ともに河出書房新社)、『日本のロック名盤ベスト100』(講談社現代新書)がある。

Twitterはこちら@dsk_kawasaki

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