第十回 柳家小三治「ま・く・ら」
関取花の 一冊読んでく?

ryomiyagi

2021/04/02

もうすっかり春の陽気ですね。私が今住んでいる家の近くには川が流れているのですが、川を挟むようにして左右から桜がアーチを作っていてとても綺麗です。最近は暇さえあれば散歩に出かけてぼんやり眺めています。桜っていいですよね。春風に吹かれながらちょっとそこらへんに腰掛けて見上げているだけで、とても穏やかな気持ちになる。コンビニで買ったコーヒーも美味しく感じるし、道ゆく人々の顔にも笑顔の花が満開です。もうこれくらいの時期ですとボチボチ散り始めていたりもしますが、それはそれでまた美しい。コンクリートの隅に集まった、少し時間が経って所々茶色くなった花びらたちには憂いがあります。彼らが土に還ることでまた来年も花が咲く。刹那的だけどちゃんとその先に希望を感じられるところも大好きです。

 

しかし、こうやって毎年桜を見てはたしかに心を揺さぶられているはずなのですが、私の場合、時期が過ぎると正直すっかり忘れてしまいます。というか、次のことを考えてしまうんです。夏の気配を感じれば海が見たいと思うし、秋口からは葉っぱの色の移り変わりに目を凝らし、ちょっと冬の匂いがし出す頃には雪を心待ちにしている自分がいる。本当に単純だなあと思います。

 

でもだからこそ、毎年まるで初めて見るような感覚で桜を眺めることができるんです。「あれ、こんなに桜って綺麗だったっけ」って冗談抜きで毎年思います。忘れるとか振り出しに戻るって、基本的にそこから生まれるものがないというか、あんまりいいことはないイメージですけど、こればっかりはこの忘れっぽい性格のおかげでなんだか得している気がします。

 

桜に限らず、私は基本的に忘れっぽいです。恥ずかしい話、一度見た映画の内容も、時間をかけて書いた歌詞も、本の中身も、すぐに忘れます。ただ、なんとなく「あれよかったなあ」とか「なんかあんな感じだったなあ」という蜃気楼みたいな記憶は残り続けてはいて、運が良ければまた巡り巡って思い出す機会に恵まれたりする。この連載で本を紹介している時なんてまさにそれです。いただいた質問を読みながら、薄らとした記憶を頭から引っ張り出して、たしかこの本は……と思い出しながら、毎回もう一度読み返しています。

 

その度にやっぱり思うんです。「あれ、こんなにこの本って面白かったっけ」って。もちろん読みながらオチを思い出したりもするのですが、それでもそう思います。初めて読んだ時の感情が蘇るんですよね。いちいち思い出さなきゃいけないから手間はかかるので、やることに追われている時は割と厄介ではありますが、好奇心や感動が何度も味わえるという意味では、愛すべきめんどくささと言うか、自分のこういうところは割と好きなところだったりします。今年も桜を眺めながら、なんとなくそんなことを思いました。

 

さて、そんな春といえば何かと始まりの季節。ポジティブな内容がいいなと思い、先月はこんな質問をさせていただきました。

 

関取花の今月の質問:「自分の好きなところはどこですか?」

 

何かと控えめな我々日本人ですから、あまり普段自分からは言わないことだと思います。それでもたくさんの回答をいただきました。みなさん本当にありがとうございます。その中から今回も一つご紹介させていただきます。

 

お名前:ぶたぶたくん
めっちゃくちゃムカついて怒ってても寝たら次の日には忘れるところ!!

 

……あなたは私か?(笑) ぶたぶたくん、きっと私たちはいいお友達になれる気がします。先にも述べた通り、私はとても忘れっぽいです。でも、だからこそ救われることって結構あるんですよね。あれこれ引きずらないおかげで乗り切れていることってめちゃくちゃある気がします。そして忘れるにはやっぱり睡眠が一番! どうしようもなく落ち込んでしまった時は、すべてを放棄して寝るに限ります。とにかく現実から目をそらす。物理的に目を閉じて、シャットダウンする。

 

真面目な人や責任感が強い人ほど、嫌なことって引きずりやすい気がします。なぜそうなってしまったか、どうすればそれを防げたのか、いろいろ考え込んでしまう。でも、過ぎ去ったことは考えたって仕方がないんです。頭で分析し過ぎてしまうと、いざ行動に移す時、逆に腰が重くなってしまったりする。それよりだったらなんとなくの感覚で、「まあ次は気をつけよう」「とりあえずめっちゃムカついたわ」くらいの感じにしておいて、一度眠ってクールダウンして、記憶の片隅にえいっと追いやる。完全になくすでもいいけど、ちょこっと残しておくくらいが自分は理想です。そうすることで、いつかまた同じような嫌なことに直面した時に、ふと思い出して何かしらの信号を出してくれたりしますからね。

 

ムカついたり怒ったりした原因となったものからは一旦距離を取る。近くにあると当然考えてしまいますから、逃げるんです、とにかく。逃避です。でもいいんですよ、逃げている間に忘れられるならそれでいいじゃないですか。そうすることで、始めは逃げるために走り出したはずの道が、いつしか次の新しい未来に繋がるんですから。そう、すべてのことは次の出来事への序奏に過ぎないのです。

 

というわけで、今回皆さんにぜひご紹介したい本はこちらです。柳家小三治さんの「ま・く・ら」。

 

「ま・く・ら」
柳家小三治/著
1998年、講談社文庫

 

落語では、本編に入る前にする小咄の「枕(まくら)」と言われるものがあります。いわば本編のイントロ、序奏ですね。落語家さんにもよりますが、本編より枕の方が全然長いなんてこともあります。一聴すると関係なさそうな世間話などをしながら、徐々にお客さんの心を引きつけ、本編に入りやすいように誘導する。私もライブのMCをする時は、落語の枕を参考にして、なるべく次の曲に繋がるように話をすることを心がけています。そうすることでお客さんが次の曲により深く入ってくれるし、自分自身の心も自然に持っていきやすいからです。

 

柳家小三治さんは、「まくらの小三治」と言われるほど枕が面白いことで有名な落語家さんです。(枕だけをまとめたCDボックスも出ています)小三治さんの枕は、時節柄のことや最近の世間話、身の上話など、聴いていて思わず共感してしまったりなるほどなと思うような話題が多く、本当に面白いです。海外に留学した時の話、こだわっているお塩の話、駐車場での出来事など、好奇心旺盛で多趣味な方なので、バラエティーも豊か。この本はそういった枕の部分だけをまとめた一冊になっています。

 

その中でも私が特に好きだったのが「玉子かけ御飯」の話です。どんな一年だったかを振り返る中で、今年の夏は特に暑かったという話から、夏バテの時でも食べられるものとして玉子かけご飯を挙げます。そして、玉子かけご飯には相当強いこだわりがあるという話に。

 

小三治さんが生まれたのは昭和14年。子供の頃はまだ食べるものがない時代で、大人も子供もみんな揃って「お腹が空いたねえ」といつも言っていたそうです。普段はお芋などを食べることが多かった中、年に一度か二度、運が良ければ回ってきたのが生玉子。そうは言っても、もちろん家族全員のぶんなんてありません。家族7人で、たった1個の生玉子を分け合うんです。じゃあどうしたかというと、まずはお醤油で量を倍にする。そのあとはこうです。

 

で、これね、かき回すんです。よーくかき回すんです。玉子はよくかき回さないととんでもないことになりますからね。しかも七人で食べるんですからね。茶碗を七つ並べておいて、少しっつ、少しっつかけるんですけど、よくかき回さないで少しっつというのは、生玉子の場合、非常に難しい(笑)。
最初の一人にね、ちょっとだけかけようかなと思っても、ズルウーッ! っていった日にゃあ、もうそれでおしまいでございますから(笑)。

 

もうこれだけでめちゃくちゃ情景が浮かびますよね。玉子ってたしかによくかき混ぜないと白身が固まったままで、ムラになってしまう。相当時間をかけてかき混ぜていたんだろうなあとは思いましたが、なんと20分もかけてかき混ぜていたそうです(笑)ほぼ水みたいな状態にして、それを7人で分け合っていたと。そうすることで一家団らん、家族の平和を保っていたそうですよ。そしてそれ以来、いつの日か玉子をたっぷりかけた玉子かけご飯を食べたいと強く願い続けてきたそうです。

 

そして大人になり、思う存分に玉子かけご飯を食べられるようになった小三治さん。たっぷりの玉子を食べられるようにはなりましたが、昔の名残でいつもしっかりかき混ぜてご飯にかけていました。しかし割と最近になって、本当に美味しい食べ方と言うのを教わったそうです。早い話が、玉子をかき混ぜない。ご飯をよそった上にそのまま生玉子を落として、ほんのちょっと黄身を崩したら、ご飯を掘り返すような感じで2、3回。そうすることで、白身が固まった部分、黄身が固まった部分、白いご飯だけの部分、お醤油とご飯だけの部分、もちろんそれぞれの組み合わせもありますし、一杯の玉子かけご飯で何種類も、何十種類もいろんな味を楽しめるんだとか。そして最後にこう締め括ります。

 

たった一つの玉子でも、「なんだ、こんなもんか!」と思わずに、そんなふうにこだわっていただくってぇと、とてもおいしい味わい方ができる。そんなことも食欲のわかない夏に発見をいたしましたよ。
これはちょっとね、あたくしの大きな収穫でございましたね。

 

もうめちゃくちゃ美しくないですか? 本当にただの世間話みたいなところから、ちゃんとそこから得た学びに着地するという。小三治さんの枕は、どのお話も笑いを織り交ぜながら人情や粋の心、教訓などを教えてくれます。そのおかげで構えず自然にその後の落語本編に入ることができる。いやあ、本当に素晴らしいです。

 

個人的にこの本を読んでいると、すごく頭がほぐれます。すべての出来事は次に起こる出来事の序奏でしかない、とあらためて思えるんですよね。苦い思い出も、とんでもない怒りの感情も、やり場のない悲しみも、その後の私の人生をより面白くするための、より深く感じるためのイントロでしかない。そう思うと大抵のことはたいしたことないなって思えるし、まあこれはこれとして、次! ってまたすぐ一歩踏み出せる。だから私は何か嫌なことがあった時は、この本を読んでから寝るようにしています。朝起きたら大体ケロッとしていますよ。しかも私の場合忘れっぽいので、何回読んでも初めてのような感覚で読める。こういうコスパがいいところも、自分の好きなところです(笑)

 

 

この連載の感想や私への質問は、

 

#本がすき
#一冊読んでく

 

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皆さんからのメッセージやエピソード、お待ちしております。

 

関取花

関取花

1990年生まれ 神奈川県横浜市出身。
愛嬌たっぷりの人柄と伸びやかな声、そして心に響く楽曲を武器に歌い続けるソロアーティスト。
NHK「みんなのうた」への楽曲書き下ろしやフジロック等の多くの夏フェスへの出演、ホールワンマンライブの成功を経て、2019年ユニバーサルシグマよりメジャーデビュー。ちなみに歌っている時以外は、寝るか食べるか飲んでるか、らしい。
ラジオと本をこよなく愛する。
神奈川新聞と、いきものがかり水野良樹さんのウェブマガジン「HIROBA」にてエッセイも執筆中。 2020年11月、初の著書となるエッセイ集『どすこいな日々』(晶文社)を上梓。
2021年 3月、 メジャー1stフルアルバム「新しい花」発売。

関取花ホームページ https://www.sekitorihana.com/
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