高学歴ミャンマー人、浅草に寿司屋を開く――「寿司令和」奮闘記(1)
下川裕治「アジア」のある場所

ryomiyagi

2020/09/25

コロナ禍で海外旅行に出られない日々が続きます。忙しない日常の中で「アジアが足りない」と感じる方へ、ゆるゆる、のんびり、ときに騒がしいあの旅の感じをまた味わいたい方へ、香港、台湾、中国や東南アジアの国々などを旅してきた作家の下川裕治が、日本にいながらアジアを感じられる場所や物を紹介します。

 

 浅草に寿司令和という寿司屋がある。ラカイン人だけで切り盛りする寿司屋だ。
 ラカイン人──。ミャンマーの南東部からバングラデシュ南部にかけて暮らす民族だ。かつてこの一帯にラカイン王国を築いていた。植民地時代、彼らの土地を分断するように、イギリスは国境線を引いた。ラカイン人の激しい抵抗を抑えるためだった。それがいまのミャンマーとバングラデシュの国境である。
 彼らの国籍はミャンマーとバングラデシュにわかれる。ミャンマー側のほうが人口は多いが、どちらの国でも少数民族に数えられている。
 僕は長く、バングラデシュ南部のコックスバザールで、小学校の運営にかかわってきた。ラカインの子供たちに教育の場を与えることが目的だった。その関係で、バングラデシュ側のラカイン人留学生の世話もしてきた。

 

写真/中田浩資

 

 そのひとり、トエエモンから連絡が入ったのは2019年の1月だった。寿司屋をはじめたいという唐突な話だった。彼は東京農工大学の博士課程を終え、IT企業に就職していた。そんな彼がなぜ寿司屋を? 彼は自分でつくったバランスシートを前にこう説明した。
 ミャンマー側から日本にやってきたラカイン人の多くは飲食店、とくに寿司屋で働いている。店長やマネージャークラスも3人いた。彼ら10人がひとり100万円ずつ出資し、会社をつくり、寿司屋を開くプランだった。
 皆と会うことになった。そのなかにラシュイとニイニイサンがいた。彼らを中心に寿司屋を開くという。このふたりが店長クラスだった。そのとき、ニイニイサンがいった言葉が気になった。
「最近、なにかつまらない」
 優秀なラカイン人たちだった。席数が30を超える寿司屋の店長までのぼり詰めたが、そこで壁にぶつかっていた。経営側には入れないのだ。トエエモンも同じ思いを抱いていた。国立大で博士課程を終えても、IT企業でバグをみつけるような日々が続いていた。

 

 不動産屋とのつきあいがはじまった。彼らの希望は新宿や池袋といった繁華街。月の家賃は70万円、80万円になる。そんな物件に彼らは興味を示す。
「私鉄沿線の安い物件から寿司屋をはじめるという方法もあるんじゃないかな」
 店を開いても客の入りが悪く、借金を抱えて店をたたんだ知人を何人も知っていた。しかし、彼らは僕の言葉に聞く耳をもっていなかった。なんて強気なんだ……。僕の不安は広がっていった。
 物件探しは難航した。不動産屋が間に入り、話は進むのだが、大家に拒絶されてしまうのだ。理由は外国人……。それだけだった。

 

写真/中田浩資

 

 断られた物件は5軒を超えた。ようやく大家が首を縦に振ってくれたのは、浅草だった。仲見世に近いビルの2階。落語のライブが楽しめるカフェを居抜きする形だった。浅草という土地を彼らは知らなかった。しかしようやく借りることができた店で話が盛りあがる。
「浅草で大丈夫かな。浅草六区のホッピー通りとは違うんだよ。仲見世界隈は夜が早い。10時ぐらいには人通りが消える。そういうエリアだよ」
 僕の忠告はまたしても一蹴された。なんて強気なんだ……。僕は内装工事がはじまっていない店舗のなかで天井を仰いでいた。

 

 順調とはいえなかったが、内装工事も終わり、寿司屋は2020年の5月にオープンした。ちょうど5月から元号が令和になった。彼らはつけた店名は、「寿司令和」だった。外国人らしい発想だと思った。
 一軒の店のオープンに、これだけかかわったことはなかった。経験があれば、どんと構えていたのかもしれないが、やはり気になる。知人に頼んでネットの記事を書いてもらったり、テレビ局の知り合いに番組でとりあげてくれないかと打診することになる。上海から知人のグループがやってくると、その飲み会を寿司令和にしてもらい、中国人向けサイトにアップしてもらったりした。台湾人に頼み、中国語のメニューもつくってもらった。

 

 一軒の店がどういう流れで軌道に乗っていくのか……という肌感覚が僕にはない。資金もあまりない。浅草の店舗の家賃は月45万円もした。権利金などを含めて最初に払う金額や内装費などで1000万円の資金は大方消えていた。費用がかからない宣伝方法はないだろうか。いろんな人に訊いた。
 浅草界隈でゲストハウスを経営するオーナーにもきてもらった。浅草には人力車があり、彼らが客に寿司令和を紹介してくれるという宣伝手段もあると聞いた。しかしすべて手数料がかかる。
 しかしなぜなのかわからないが、少しずつ客がくるようになっていった。ラカイン人たちは、かなり安い値段をメニューに載せた。650円の寿司ランチ、100円台のアナゴ寿司、サワー類のアルコールは190円。「回転寿司より安い」と客は手を叩いたが、僕は心配だった。これで採算がとれるのだろうか。
 そして寿司令和はコロナ禍に巻き込まれていくことになる。(つづく)

 

「アジア」のある場所

下川裕治(しもかわゆうじ)

1954年松本市生まれ。旅行作家。『12万円で世界を歩く』(朝日新聞社)でデビュー。おもにアジア、沖縄をフィールドに著書多数。『「生きづらい日本人」を捨てる』(光文社知恵の森文庫)、『世界最悪の鉄道旅行』(新潮文庫)、『10万円でシルクロード10日間』(KADOKAWA)、「週末ちょっとディープなベトナム旅」(朝日新聞出版)、「ディープすぎるシルクロード中央アジアの旅」(中経の文庫)など著書多数。
YouTube下川裕治のアジアチャンネル

<撮影・動画協力>
阿部稔哉(あべ としや)
1965年岩手県生まれ。フォトグラファー。東京綜合写真専門学校卒業後、「週刊朝日」嘱託カメラマンを経てフリーに。

中田 浩資(なかた ひろし)
1975年、徳島市生まれ。フォトグラファー。97年、渡中。ロイター通信社北京支局にて報道写真に携わる。2004年よりフリー。旅行写真を中心に雑誌、書籍等で活動中。
https://www.nakata-photo.jp/
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