「私たちは台湾人」 訴え続けた革命家が残したもの――池袋「新珍味」(2)
下川裕治「アジア」のある場所

BW_machida

2020/12/25

コロナ禍で海外旅行に出られない日々が続きます。忙しない日常の中で「アジアが足りない」と感じる方へ、ゆるゆる、のんびり、ときに騒がしいあの旅の感じをまた味わいたい方へ、香港、台湾、中国や東南アジアの国々などを旅してきた作家の下川裕治が、日本にいながらアジアを感じられる場所や物を紹介します。

 

日本のレバニラとは一味違う、珍珍味のレバニラ炒め(写真/阿部稔哉)

 

 池袋にある一軒の中華料理店「新珍味」。高級な中華料理店ではない。人気のターローメンや餃子などの料金は500円から1000円の間に収まっている。客によっては、単なるラーメン屋と思っているかもしれない。

 

 しかしこの店が抱える歴史はちょっと深い。
 この店をつくったのは史明(しめい)という台湾人だった。昨年、台湾で死亡した。100歳だった。史明はこの店を拠点に、台湾人のアイデンティティを叫び続けていた。
 史明は台湾で蒋介石の暗殺を企て、失敗する。日本に密入国し、最終的には亡命が認められた。そこでつくったのは「新珍味」だった。
 それまでの経緯は前編で伝えている。これからの話を読む前に、できれば前編に目を通してほしい。めまぐるしく変わった彼の半生は、説明するだけで、かなりの分量を割いてしまうのだ。

 

 史明がいま、台湾で評価が高まっている。香港で一国二制度を事実上、反故にした中国共産党の政策に反応し、「私たちは中国人ではなく台湾人だ」と口にする台湾の人々が増えている。それは現在の蔡英文政権の支持率に直結している。
「私たちは台湾人」
 そう訴え続けていたのが史明だった。その手法は少し過激だったが。
 中国人ではなく台湾人……。その台湾人アイデンティティをさまざまな人が論考している。その多くが戦後の台湾事情を分析しているのだが、先日、ひとりの台湾通日本人からこんな話を聞いた。
「台湾人アイデンティティは、もっとそれ以前の漢民族と先住民の混血のなかで生まれたのではないか」

 

 台湾の先住民は、山のなかに暮らす人々が知られている。タイヤル族やブヌン族などだ。しかしかつては平地にも多くの先住民が暮らしていた。平埔(へいほ)族と呼ばれる。ともにフィリピンやインドネシアの人々に似た顔立ちの民族だ。
 明代から清代にかけ、大陸から多くの漢民族が台湾に移住した。台湾開拓民とも呼ばれる。清は男性の移住のみ許した時期があり、台湾では漢民族と平埔族の結婚が定着していく。現在、平埔族はほとんどいないが、漢民族との混血のなかで消えていったといわれる。台湾人のアイデンティティはそのあたり……。大陸の漢民族と違い、台湾の漢民族は先住民との融合のなかで生まれたのかもしれない。

 

 僕が気になるのは、史明や今年、生涯を閉じた李登輝らのなかに流れる日本である。ふたりとも日本教育を受け、日本の大学を卒業している。
 史明が生前、なぜ中国に渡り、中国共産党の解放区に向かったのかという質問にこう答えている。
「子供の頃、周囲にいた日本人は、日本という国に命を捧げるという考え方だった。そういう教育を受けた。大学を卒業してどうしたらいいか。私は中国人。中国のために命を捧げようというのは自然と湧きおこった感情だった。大学時代はマルクス主義に傾倒していたから、大陸の中国共産党の解放区へ向かったんだ」

 

 中国に長く暮らす日本人がよくいう言葉がある。
「中国人はばらばら。おにぎりのようにひとつには固まらない。それが日本人との大きな違いですよ」
 そういう発想からすれば、史明は日本人的なアイデンティティをもった男だった。彼に会ったことがある日本人がこんな話をしてくれた。
「史明さんは、とにかく魚の食べ方がうまかった。食べ終わると、きれいに骨だけが残る。学生時代、日本に暮らして、魚の食べ方をしっかり身に着けたといっていました」
 史明はそういう男だった。

 

新珍味の上階に残る、史明の仕事部屋。まだその息遣いが残っているようだ(写真/阿部稔哉)
書棚に残る、史明の蔵書(写真/阿部稔哉)

 

 いまの「新珍味」を切り盛るのは、大陸からやってきた金田豊さんだ。出身は瀋陽。すでに日本国籍をとっている。
「中国でコックを10年近くやって日本にきました。中国の店というものは、料理のつくり方をいっさい教えない。傍で見ながら盗むというか、覚えるんです。ところが史明さんはすごく丁寧に教えてくれた。日本的なんです。ターローメンもね。中国にもあるけど、この店のオリジナルメニューですから」

 

水餃子と鍋貼(焼き餃子)も美味(写真/阿部稔哉)
台北のルーウェイ(滷味)店(写真/阿部稔哉)

 

 やはり史明は、日本を体のなかにとり込んだ台湾人だった。
 李登輝のなかに流れているのも日本だった。日本統治時代、彼が目にしたのは、植民地台湾を発展させるために身を粉にして働く日本人の姿だった。彼が描いた国家のイメージは、そんななかで育まれた可能性が高い。

 

 李登輝は台湾より日本の方が、評価が高い。台湾人の多くは彼をバランサーと見ている。中国国民党内部の人間として彼は総統になる。そして一気に民主化を進めるが、それは台湾人の意識を敏感に感じとっていたからだ。ロシアのゴルバチョフやミャンマーのテイン・セインによく似ている。それは卓越した能力だが、台湾人アイデンティティとは一線を画している。彼のなかに日本を感じるのは、民主化というより、評価を得るための政策の内容である。
 史明と李登輝はともに民主化を訴え、実現させていった。日本にいた史明は、台湾人アイデンティを池袋から叫び続けることしかできなかったが。
 その拠点が「新珍味」。繁華街のなかにしっかりアジアが生きている。

 

「アジア」のある場所

下川裕治(しもかわゆうじ)

1954年松本市生まれ。旅行作家。『12万円で世界を歩く』(朝日新聞社)でデビュー。おもにアジア、沖縄をフィールドに著書多数。『「生きづらい日本人」を捨てる』(光文社知恵の森文庫)、『世界最悪の鉄道旅行』(新潮文庫)、『10万円でシルクロード10日間』(KADOKAWA)、「週末ちょっとディープなベトナム旅」(朝日新聞出版)、「ディープすぎるシルクロード中央アジアの旅」(中経の文庫)など著書多数。
YouTube下川裕治のアジアチャンネル

<撮影・動画協力>
阿部稔哉(あべ としや)
1965年岩手県生まれ。フォトグラファー。東京綜合写真専門学校卒業後、「週刊朝日」嘱託カメラマンを経てフリーに。

中田 浩資(なかた ひろし)
1975年、徳島市生まれ。フォトグラファー。97年、渡中。ロイター通信社北京支局にて報道写真に携わる。2004年よりフリー。旅行写真を中心に雑誌、書籍等で活動中。
https://www.nakata-photo.jp/
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