赤シャツ派の一大拠点となった、タイ人が集う寺――西日暮里「タンマガーイ寺院」(1)
下川裕治「アジア」のある場所

ryomiyagi

2021/01/15

コロナ禍で海外旅行に出られない日々が続きます。忙しない日常の中で「アジアが足りない」と感じる方へ、ゆるゆる、のんびり、ときに騒がしいあの旅の感じをまた味わいたい方へ、香港、台湾、中国や東南アジアの国々などを旅してきた作家の下川裕治が、日本にいながらアジアを感じられる場所や物を紹介します。

 

 話は2011年前に遡る。突然、日本にいるタイ人から電話がかかってきた。それも次々と。その数はざっと10人。誰もが同じことを口にした。
「タクシンが日本にやってきます。荒川区にあるタンマガーイ寺でタムブンを行います。私たちもタムブンに向かうので、それに招待します」
 タムブンというのは徳を積むことで、寺でタムブンとなれば寄進ということになる。そのイベントに僕を招待してくれるというのだ。

 

 タクシンというのは、タクシン・チナワット。タイの元首相である。2006年のクーデターでタイを追われた。タイには入国できない状態だったが、日本政府は彼へのビザを出した。
 当時のタイは揺れていた。赤シャツ派と黄シャツ派の対立といえば、記憶に残っている人もいるかもしれない。赤シャツ派がタクシン元首相を支持するグループである。黄シャツ派はそれに反対する勢力で、富裕層や中間層、バンコクのエリート層が多いといわれていた。
 両派の対立は激しかった。黄シャツ派によるスワンナプーム空港の占拠では僕も苦労した。バンコクに飛行機で入ることができず、チェンマイから入国し、陸路でカンボジアに抜けて帰国したこともあった。
 続いて赤シャツ派のバンコク中心街占拠へと発展した。最後には非常事態宣言が発令され、軍が鎮圧に乗り出した。2000人以上の死傷者が出、「暗黒の土曜日」ともいわれた。それが2010年のことだった。
 路上占拠は終わり、バンコクは正常化に向かっていったが、対立が解決したわけではなかった。
 そんな時期にタクシンが日本に来た。

 

集結するタクシン派(写真/下川裕治)
赤シャツ派の路上占拠(写真/下川裕治)

 

「アジア」がいる場所──。日本の場合、中国、韓国、台湾は長く、深いつながりがある。台湾料理や韓国料理を口にできるといった表層的な「アジア」もその一部かもしれないが、日本に根を張ったアジアの人々の存在がある。そこには戦争や植民地も絡んでくる。
 いや、それ以前のこれらの国との交易や人の動きも、日本という国を形づくる要素でもある。
 しかしタイとなると、その関係は少し変わってくる。歴史的なつながりは、中国、韓国や台湾よりは薄い。
 その関係に変化が生まれたのは、30年ほど前のことではないかと思う。日本で働くタイ人が急増するのだ。その多くが不法滞在だった。男たちは人手不足の工場で働くことが多かったが、女性たちは夜の世界に紛れ込む。タイ人スナックという言葉が生まれた。
 そのあたりはフィリピン人とよく似ていた。
 不法滞在の問題は、単に出入国管理法や経済問題で片づけられることではなかった。日本の土を踏んだタイ人は、血が通ったアジア人だった。それはいまの技能研修性にもいえることだ。こうしてアジアは日本に根を張っていく。
 タクシンのタムブンに僕を招待してくれたタイ人たち。彼らの日本とのつながりの発端は不法滞在だった。そしてその存在が、日本をタイの政治問題に巻き込んでいくことになる。
 その話は次回で伝えようと思う。
 まずはタクシンのタムブンである。

 

 当日、最寄駅の常磐線三河島駅に降りると、数人のタイ人が僕を待っていてくれた。皆、赤いTシャツ姿だった。なかには赤いハチマキ姿の女性もいた。
「まだ仲間がくるから、少し待ってて」
 日本語でそういわれた。それから30分ぐらい待っただろうか。次々にタイ人が集まってきた。久しぶりに会った人もいるのだろうか。笑顔がこぼれる。その集団は数十人に膨らみ、中心メンバーを先頭に歩道を歩きはじめた。そのうちに、タクシンを支持するかけ声が響きはじめた。その姿は、タムブンというよりデモに参加する集団だった。そのなかにいる僕は完全にタクシン支持派、つまり赤シャツ派の日本人になってしまった。
 しばらく進むとタンマガーイ寺の前に出た。タイ風の寺院を想像していたが、そこは一棟のビルだった。寺の前の車道には、何台ものバスが停車していた。長野県や福島県からやってきたバスだった。日本全国のタクシン支持派がツアーバスを仕立て、ここまでやってきたのだ。いましがた到着したバスからは歌声が響く。皆、ノリノリだった。タイ人に促されて寺のなかに入る。
 化粧のにおいにむせそうになった。女性の多くがスナックで働いているのだろう。ママ風の人が多い。妙に色っぽい。

 

日本全国から集まったタクシン支持者たち(写真/下川裕治)
女性陣に囲まれるタクシン。まるでアイドル?(写真/下川裕治)

 

 ごった返す寺のなかでタイ風の食事がふるまわれる。
 日本にはいくつかのタイの仏教寺院がある。それぞれ宗派が違う。タンマガーイ寺はタクシンに近い寺といわれていた。
 2016年になるが、バンコク近郊のタンマガーイ寺を警察がとり囲んだことがあった。そのときの政権は反タクシン派。タンマガーイ寺の僧侶にマネーロンダリングの疑いがあるというのがその理由だった。しかしその情報を知った信者たちが寺に集まり、警察が境内に入ることを阻止した。結局、警察は逮捕を断念している。反タクシン派にとって、タンマガーイ寺は鬱陶しい存在なのだ。
 2時間ほど待っただろうか。タクシンが現れた。皆、その姿をひと目見ようと近づこうとする。寺のなかは大変な騒ぎになった。タクシンは、日本にいる中年タイ人女性のアイドルのようだった。
 日本はタクシン派の海外一大拠点になっていることを知らされた。
 そのタンマガーイ寺を訪ねた。タクシンのタムブン以来である。あのときの喧騒は嘘のような静けさだった。タンマガーイ寺は瞑想で知られるようになっていた。
 本堂に入ると、タイ人たちが座り、僧侶の説法に耳を傾けていた。静かな時間が流れていた。(後半につづく)

 

「アジア」のある場所

下川裕治(しもかわゆうじ)

1954年松本市生まれ。旅行作家。『12万円で世界を歩く』(朝日新聞社)でデビュー。おもにアジア、沖縄をフィールドに著書多数。『「生きづらい日本人」を捨てる』(光文社知恵の森文庫)、『世界最悪の鉄道旅行』(新潮文庫)、『10万円でシルクロード10日間』(KADOKAWA)、「週末ちょっとディープなベトナム旅」(朝日新聞出版)、「ディープすぎるシルクロード中央アジアの旅」(中経の文庫)など著書多数。
YouTube下川裕治のアジアチャンネル

<撮影・動画協力>
阿部稔哉(あべ としや)
1965年岩手県生まれ。フォトグラファー。東京綜合写真専門学校卒業後、「週刊朝日」嘱託カメラマンを経てフリーに。

中田 浩資(なかた ひろし)
1975年、徳島市生まれ。フォトグラファー。97年、渡中。ロイター通信社北京支局にて報道写真に携わる。2004年よりフリー。旅行写真を中心に雑誌、書籍等で活動中。
https://www.nakata-photo.jp/
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