【第14回】美しさ 著:三砂ちづる
三砂ちづる『少女・女・母・婆 〜伝えてきたこと、つないできたこと、切れてしまったこと〜』

日本の助産師に憧れる、ヨーロッパの若い女性

 

ジュリアはスイスに住む若い友人である。母親はスペイン人、父親はスイス人。国際協力に携わる両親がカンボジアで仕事をしているときに生まれた。助産婦になりたいという。

 

いい仕事よね、助産婦。なぜ助産婦になりたいの、と聞いたら、「“玄牝(げんぴん)”を観たから」という。

 

『玄牝』は2010年に公開された河瀬直美監督の映画である。産科医、吉村正先生を追っている。ここは吉村正氏、と書くべきであるが、お産の分野で、ほんとうに本質を追いかけ、とことんまで女性とお産のあり方を追求し、産科医として唯一無二の存在であった吉村先生のことは、やっぱり、吉村先生、としか呼べない。

 

吉村先生は2017年に亡くなったのだが、この映画は、世界に発信され続けているのだ。

 

お産に関する活動やお母さんたちのグループに深く関わってきたから、日本国内では、映画『玄牝』は、一般公開後、さまざまな会で自主上映されているのを知っていた。

 

しかし、正直言って、ヨーロッパにいる若い女性が観るような映画になっていることは、知らなかったのだ。この映画を観て、ジュリアは助産婦になりたいと思い、日本を訪問したいとも思ってくれているのだ。

 

ジュリアは言う。お産ってね、こんなふうであり得るのね。ちょっと信じられなかった。わたしが知っているお産と全然ちがう。

 

看護婦になりたいから、スペインの産院でもインターンさせてもらったの。女性たちはみんな泣き叫んでいて、家族も大騒ぎしていて、大仰なドラマのような現場で、なに、これ? まるでアルモドバルの映画そのものじゃないの、って思った。

 

賑やかでうるさすぎる。なんかねえ、違うんじゃないかしらこれ、って思った。もっと静かなものだろう、って、直感で思っていたのね、お産って……。

 

『玄牝』を観て、ああ、これだよなあ、って、日本に行ったこともないのに、なんだかなつかしい気持ちになったのね。それで、看護婦じゃなくて助産婦になりたいと思うようになった。

 

助産婦になったら、ぜひ、日本にいらっしゃいね、とわたしは言う。吉村先生はもう亡くなってしまったし、メインストリームとしての日本のお産は、「なにかあったときのために」、「世界中そうしているから」(ほんとうじゃないけど)、「日本は遅れているから」(これもほんとうじゃないけど)、すべてのお産は第三次施設で行なうべきである、という、別に科学的根拠も何もない方向に進みつつあるものの、女性の産む力、赤ちゃんの生まれる力をできる限り生かそうとする開業助産所や規模の小さい産院も、健在である。

 

いくらマイノリティーになろうとも、お産の本質を追求するプロフェッショナルと場所が、日本にはまだ存在する。そういうところでお産をしたい、と思う女性がいなくならないかぎり。

 

ジュリアにそういう場所を見せてあげたいし、一般状況としてはなかなか苦しい中で、お産の本質を守ろうとしている日本の助産師に会ってもらいたい。

 

 

自然なお産をする女性の姿に魅せられ――産科医・吉村正

 

愛知県岡崎市にある吉村医院の院長であった吉村先生は、産科医としてはとにかく型破りな方ではあった。最先端の医療を、まずは志した方であったというが、その道すがら、出産をする女性の姿の見事さに魅せられてゆく。

 

自然な出産をする女性たちは本当に美しく、その姿は神々しい。性と生殖の営みの頂点に位置する出産は、女性を最も美しくするできごとでありうるのだ。

 

一人でも多くの女性たちがそういう自然で美しい出産ができるように、からだをととのえられるように、できるだけ古典的な薪割りなどの労働を産婦さんにすすめたし、落ち着いてお産をするための木造建築「お産の家」を計画してつくりあげたりした。

 

1990年代も終わりの頃だっただろうか、建設中の「お産の家」を見に行ったことがある。吉村先生と大工さんが、「ここにね、和服を着た女性が手をかけて外を覗くと美しいように、この窓は作ってあるから……」などとおっしゃっていたことを覚えている。

 

当時の私はブラジルの辺境に住み、毎日サンダルとTシャツみたいな格好で適当に過ごしていたのだが、その二人のつぶやきを聞いて、「お産の家の、この場所で、和服を着て、手をかけて外を覗いてみる」ような女になることが、人生の目標の一つになったのである。

 

10年に及ぶブラジル生活を経て、21世紀になって日本に帰国し、紆余曲折を経て、毎日和服を着て暮らすようになってすでに15年以上経つのだが、あの「お産の家」の窓に、たどり着けない。

 

たどり着けない、と言っているうちに吉村先生は亡くなってしまったし、いくら和服を着ていようが、還暦過ぎた女が「お産の家」の窓辺で外を覗いていいかどうか、というのは、それはそれで問題があるわけであって、あえて、訪問する勇気はなくなってしまって、今にいたる。

 

人が亡くなる、ということは、いろいろなきっかけや思いが、きっかけや思いのままに終わってしまうことを意味しているのだ。

 

「帝王切開とか気持ち悪いからやりたくない」などと、医者にはあるまじき言葉も吐く方でもあって、吉村先生の姿は産科医というよりも、産婆ならぬ産爺であった。

 

こんなドクターはまさに唯一無二、吉村正だけだった。

 

女性が好きで、美しい女性を見たい、だからとことんお産にこだわっていた。女性はもともと、本当に美しくあれるように、生まれてきている、と。

 

 

頭上運搬、その姿勢と所作の美しさ

 

この連載では、女性の「頭上運搬」、つまりは頭の上に物をのせて運ぶことを追っている。

 

なぜ頭上運搬を追うのか、というと、失われた身体技法を追いたいから、とか、女性の身体の使い方がどう変わってきたかを知りたい、などと、いろいろ言えるのではあるが、本当のところは、それが、女性の姿として美しいから、というのが一番大きな理由であり、きっかけであるように思う。

 

過酷な労働である頭上運搬を美しい、などと、今だから気楽に言えるのだ、とおっしゃるむきももちろんあろう。60キロのセメントを運んだ、などという女性たちの過酷な労働を繰り返させたいわけでは毛頭ない。

 

しかし、写真を見るたびに、あるいは、実際に頭上運搬してもらうたびに、思うことは、その姿勢と所作の美しさである。

 

頭上運搬では、頭上にのせているものは、あたかもまっすぐに地球の中心、重力の発生するところとつながっているかのように、言い方を変えれば、頭上にのせているものは、まるで、運ぶ者のからだは存在しなくて、地上に置かれているかのように、運ばれなければならない。

 

頭上運搬を可能にするからだに、かたよりやこわばりがあっては、荷物はあっというまに落ちてしまう。自らを地球の中心にそわせ、あたかも、存在しないかのように、頭頂から足先までをまっすぐにゆるやかにととのえる。

 

よくゆるみ、かたよりとこわばりのない状態と、自らを重力に任せるような意識がないと、のせることもできないし、ましてや歩くことはできない。歩くどころか、小走りで7キロ走るように運ぶ、と、沖縄糸満の女たちには伝えられていたではないか。

 

伊豆の、とある島では、男たちの目の多い夕刻の時間帯に、わざわざ頭上に水をのせて歩いて見せるようにしていた娘もいた、ということである。はたから見て美しいだけでなく、自分たち自身も、過酷ではありながら、その姿は美しい、という自覚も、おそらくはっきりとあったのではないのかと思われる。

 

頭上運搬ができる、ということは、一家の働き手として一人前である、というアピール以上に、女としてのからだのととのえ方において、自信と余裕を持っている、というあらわれであったとはいえまいか。

「少女・女・母・婆」

三砂ちづる(みさご・ちづる)

1958年山口県生まれ。1981年京都薬科大学卒業。薬剤師として働く傍ら、神戸大学経済学部(第二課程)、琉球大学保健学研究科修士課程卒業。1999年ロンドン大学にて疫学のPhD。ロンドン大学衛生熱帯医学院リサーチ・フェロー、JICAの疫学専門家として約15年間、疫学研究を続けながら国際協力活動に携わる。ブラジル北東部セアラ州に約10年在住。2001年より国立公衆衛生院(現・国立保健医療科学院)疫学部に勤務(応用疫学室長)。2004年より津田塾大学国際関係学科教授(多文化国際協力コース担当)。
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