【第5回】アフリカ研究者 著:三砂ちづる
三砂ちづる『少女・女・母・婆 〜伝えてきたこと、つないできたこと、切れてしまったこと〜』

人類学者はまず、村人からバケツを頭にのせられる

若いアフリカ研究者である女性の友人2人に会った。若いといっても30代後半から40くらいの方々なので、世間的にはそんなに若いとはいえない。しかし研究者という業界は、30代とか40代初めとかいう年齢は、まだまだ若いのである。

 

研究をやりたいなどという人は、研究をやっているのが楽しいからやっているのであって、そのことでいつお金が稼げるようになるのか、皆目わからない、というヤクザな世界である。1990年代以降、文科省の方針で、大学院生がどんどんと増え、旧帝大系の大学では、学部生と同じくらいの大学院生がいたりするようになった。

 

もともと、研究を志して大学院に行っても、職があるかどうかわからない、というのが研究者の世界であった。人数が少ない時代でも職があるかどうかわからなかったのに、どんどん大学院生が増え、どんどん博士号を持つ人が増えてくれば、研究職に就ける人が減るのも当然である。

 

最短で修士号、博士号を取れば、20代で博士になれるわけだが、20代の若さで研究職に就いたり大学で働いたりし始めることができる人は極端に少ない。30代になっても仕事を探し続けて、運が良ければ30代でポストが見つかる、運が悪ければ40代になっても職が決まらない、などというのは珍しいことでもない、実にハイリスクな世界である。

 

だから、「若手の研究者」というのは、30代くらいのことで、40近くても40少々過ぎていてもこの業界では若いのである。この優秀な2人はすでに大学に職を得て、ばりばり働いている。

 

生態人類学を専門とする彼女たちは、アフリカに深く関わるフィールドワーカーである。女性の人類学者は、結果としてフィールドでも、現地の女性たちと一緒に行動し、女性たちのことを記録して、研究していくことが多くなる。

 

この2人のうち、1人、フミさんは、初めてのタンザニアでのフィールドワークに出かける時、指導教官から、「調査をしなくていいから、まず、生活してこい」と言われたのだという。だから、調査とかなんとか考える前に、村で「生活」するようにした。

 

女性研究者は、村の女性たちと行動を共にして、女性たちと生活を共にする。村の女性たちの仕事は、まず、何はさておき、水汲みであるらしい。近くない水場まで出かけ、水を汲んでバケツに入れて、頭にのせて運ぶ。

 

もちろん、フミさんは生まれてから一度も、頭にものをのせて運んだことなどなかったが、そこは、頭上運搬ができて当たり前の村。「思えば、スパルタ式でした。はい、って頭にバケツをのせられるので、運ぶしかないんですね」。教えてもらうとか、やり方を習うとか、そんな悠長なことではないのである。

 

女性たちについていくと、あんたも運びなさい、ということで頭にバケツをのせられるのだ。最初はうまくできなくて、村に帰り着いたら、ほとんど水は残っていなかったり、肩がびしょ濡れになったりしていたが、とにかく初回のフィールドワーク中に、できるようになった。やるしかないのである。頭にのせられるんだから。うーん、20キロは重いかな。10キロはいけるかな、とか、のたまう。大したものである。

 

 

女性研究者たちの得意技

もう一人のハルさんは、タンザニアの別の村でフィールドワークをしているが、彼女の経験も似たようなものである。最初に村に入りました、女性たちについて行きました、そうしたら、まず、仕事は水汲みなので、頭にバケツをのせられました。20キロは無理ですねえ。でも、最初のフィールドワーク期間中には運べるようになりました……。おっしゃることは、ほとんど同じである。

 

彼女も教えてもらったわけでも、習ったわけでもない。2人は別の地域で研究しているのだが、この頭上運搬の容赦なさに関しては、話がぴったりと合っている。

 

そうよねー、軽いと出来ないわよね。そうそう、軽いと無理。ちょっと重さがないとできないよね。それでね、現地の女性は、両手を離して、平気で頭にバケツをのせて悠々と歩いているけど、私たちは片手を添えてないとできないんですよね。だから、水場からずっと運んでいると、手を添え続けているので、手がだるくなってしまうよね……。実感のこもった言葉である。

 

どうやらこの2人が特別、ということでもないらしい。アフリカにフィールドワークに入る女性人類学者たちは、だいたいみんな、頭上運搬ができるようになるらしい。ハルさんが、日本国内で、仲間の人類学者たちと山に行った時、「アフリカ研究者の女性たちはみんな、荷物を頭にのせてました。だってその方が楽ですから」。

 

手で持つより背中に背負うより、頭にのせる方がずっと楽だというのだ。手で持つ、ということは、荷物を、重力に逆らって、上に上げないと運べないけれど、頭にのせる、ということは、重力に逆らって持ち上げているわけでもなくて、いわば「体重が増えているだけですからね」。

 

頭上運搬では、体重が増えるだけ……。けだし名言ではなかろうか。

 

平らなものを頭にのせるときは、タオルとか手ぬぐいみたいなものを巻いたものをまずのせて、その上に運ぶものをのせるようにしないと、落ちますね。米とかそういう、袋に入っていて、頭の形に沿うものは運びやすいです。日本で練習ですか? うーん、枕がいいんじゃないかな。あと、ジャガイモの袋とか……。

 

頭の形に沿うようなもので練習をしてみよ、と彼女は言う。誰でもできると彼女は思っていて、今、職場の大学のそばの小学校などから「アフリカを経験する」みたいな体験授業の講師として呼ばれたりしても、小学生に、バケツの中に水の代わりに玉入れの玉を入れたものなどを運んでもらい、「アフリカ」を体験してもらったりするのだという。

 

 

頭で薪(まき)を運ぶ子どもたち

タンザニアの村で、スパルタ式で鍛えられた彼女たちは、頭上運搬を、「難しくてできないもの」とは意識しておらず、「やればできた」ので「やればできるもの」と意識している。昔の人がやっていたことでも、遠い地域の人がやっていたことでもなくて、彼女たちアフリカ研究者にとって頭上運搬は、日常の生活所作になるほどに、すでに身近なのである。

 

この話をしたら、北海道の「森の幼稚園」で働いている、20代のカナさんは、それ、すごくいいですね、という。「森の幼稚園」は、文字どおり森を学びの場とし、子どもたちは春夏秋冬を北海道の森の中で過ごす。スタッフは子どもたちの活動がスムーズにできるように裏方として手伝うのだが、その仕事の一つに、納屋から、ジャグと呼ばれる10リットルくらいのポリタンクを広場まで運ぶ、というのがある。

 

手で持っていくには重たいので、子どもを抱きかかえるようにして運んでいたのだが、運びにくいし、はなはだ能率も悪いと感じていた。頭にのせれば、楽そうだし、両手も空くから子どもの手も引けるし、「森の幼稚園」向け、ですね! 練習します! と興奮していた。

 

カナさんが「森の幼稚園」で、10リットルの水を頭にのせて運び始めたら、きっと「森の幼稚園」の園児たちは、興味を持って自分たちもやってみようとするに違いない。この幼稚園では薪を運ぶ、という作業もあるので、カナさんは、まず子どもたちの頭に薪でものせて運んでもらおうかな、と言っている。

 

幼い子どもの頭に薪をのせていたら、自然に頭上運搬ができるようになった、というのは80代の沖縄県糸満の女性の話だった。どうやらやっぱり「できる」と思えばできる。

 

「できる」という意識は、できなくなっていた身体技法をやすやすと復活させることができるようだ。アフリカから学ぶことは、ことほどさように実に多いのである。

 

 

「少女・女・母・婆」

三砂ちづる(みさご・ちづる)

1958年山口県生まれ。1981年京都薬科大学卒業。薬剤師として働く傍ら、神戸大学経済学部(第二課程)、琉球大学保健学研究科修士課程卒業。1999年ロンドン大学にて疫学のPhD。ロンドン大学衛生熱帯医学院リサーチ・フェロー、JICAの疫学専門家として約15年間、疫学研究を続けながら国際協力活動に携わる。ブラジル北東部セアラ州に約10年在住。2001年より国立公衆衛生院(現・国立保健医療科学院)疫学部に勤務(応用疫学室長)。2004年より津田塾大学国際関係学科教授(多文化国際協力コース担当)。
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