皆食べるためだった――羽佐間道夫が聞いた声優の産声(#3)著:大野裕之
大野裕之『創声記-日本を話芸で支える声優たち-』

スター声優たちの肉声から声優の歴史に迫る「創声記」インタビュー、レジェンド声優・羽佐間道夫さんが見た「吹き替え」文化と「声優」のいでき始めとはどのようなものだったのでしょうか。脚本家・映画研究家の大野裕之さんが迫ります。

 

 

声優は食べるための手段だった

 

ーー羽佐間さんが舞台芸術学院を卒業なさった翌年の1956年に、初の海外映画の吹き替えとなる「カウボーイGメン」が放送されました。

 

羽佐間 僕はまだその頃は芝居をやっていました。吹き替えよりも先に、ラジオドラマをやっています。ちょうど菊田一夫の『君の名は』の直後ぐらいですね。うちの母は小唄の師匠だったのですが、その縁で岡田太郎さんのお母さんと仲が良く小さいときから知り合いで。(だから、吉永小百合と結婚した時はびっくりしましたよ。)それで太郎さんに誘われて、ラジオの放送劇「午後8時13分」にでました。これも菊田一夫の作品で、八千草薫と根上淳の主演。僕は殺し屋の役で、「この野郎!」とか脅すんです。三池炭鉱の清五郎を思い出してセリフを言ったら、「お前、脅し方うまいな」とか言われちゃって(笑)。

 

ーーやっぱりルーツは三池炭鉱にあるんですね(笑)。すると、吹き替えに初めて参加されたのは?

 

羽佐間 1957年ごろかな。岡譲二って映画の第2枚目俳優とか一緒にやった「ホパロング・キャシディ」か、「ヒッチコック劇場」とか。「ホパロング~」の時の麹町スタジオは、表の音が入ってくるスタジオでね。潜水艦でずっと海の中に潜っているのに、ワンワンって犬の声が入っちゃったりして(笑)。

 

ーー本当は舞台で食べていきたいんだけれども、それができないから声優をしたという人もいたと聞きますが。

 

羽佐間 そうですね。声優は食べるための手段でした。本当は舞台がやりたかった。だから、声優になってから五年くらいは、舞台の夢しか見てないですよ。辛かったですよね。

 

ーー自分は、本当は舞台人だと?

 

羽佐間 滝沢修とか宇野重吉のようになりたくて、真似ばっかりしてた。「似てるね」て言われたくて。声優やりながら、5年ぐらいは東京芸術座に呼ばれて西村晃の「国定忠治」とかで大阪に芝居に行ったりしましたよ。

 

舞台の演技が、吹き替えに合わない

 

ーー初期の声優さんは舞台出身の方が多かったんですね。

 

羽佐間 そうです。1953年にテレビ放送が始まった時、映画業界は脅威に感じたんですね。それで、日本映画をテレビでは放送させないようにしたので、海外の映画やドラマを放送するしかなかったんだけど、当時のテレビは小さいし、解像度も低いから、字幕だと良く読めない。それで声優が必要になるわけです。でも、1955年に五社協定(かつて松竹、東宝、大映、新東宝、東映の五社間で結ばれていた、監督や俳優の引き抜きや貸し出しを制限する協定)ができて、映画会社同士で俳優の引き抜きをできないようにして、そのうち映画俳優をテレビに出さないようにした。だから、舞台俳優が声優をするようになったんです。
そんなわけで、憧れの舞台俳優だった滝沢さんも、結局アテレコやるんだよね。だけど、舞台の人だから台詞を作ってくるから、画面と合わない。

 

ーーアテレコにならないですね。

 

羽佐間 だから、次に喋るやつが迷惑被るわけだよ。自分の台詞の時なんだけど、まだ滝沢さんが言ってるとかさ(笑)。そのうち、声優の方が舞台より、お金がいいから新劇の連中がみんな声優もするようになった。

 

ーー声優の地位があがっていくわけですね。

 

羽佐間 築地小劇場時代から芝居やってた偉い舞台人が出てきて、ディレクターが「キュー(きっかけ)で出てください」と言ったら、その人は歌舞伎みたいなゆっくりした口調で台詞を言ったんです。古い言い回しで新派に対しての旧派(歌舞伎)の「キュー」だと思ったみたい(笑)。でも、偉い人だからまわりも何も言えない。画面は馬の画になっているのにまだ喋っているそんなこともありました。

 

ーー当時はもちろん声優の養成所なんかありませんよね。アテレコをやる時に、誰をお手本としてやったのですか?

 

羽佐間 最初はね、NHKで吹き替えが始まった時は、「あなたは青の線が出ているあいだに喋ってください。そちらのあなたは赤です」と言われるんです。で、赤い線がバーッと出てくるの、画面の下に。そういうことをやってた、最初はだから線が手本です。

 

ーー今のアニメの収録と同じですね。

 

羽佐間 台本を読みながら、線を追いかけてると、顔の向きが変わるから台詞がオン(マイクにちゃんと拾われている状態)になったりオフになったりするんだよ。そんな風に試行錯誤をしながら、マイクワークを研究していました。それを、最初は生放送でやってたんだよね。「あいつ、うまい喋り方したな」と隣の奴の技術を盗む。
生放送だった時代に面白いハプニングがあって、「海賊船サルタナ)」っていう番組で、熊倉一雄さんが海賊で、瀬能礼子さんがお姫様役なの。で、昔は収録2分前になると外から入ってこられないように重いスタジオの扉に鍵がかかる仕組みだった。
そうしたら、三分前の時に瀬能さんが、「クマちゃん、私、トイレ行きたいんだけど」って、ダーッと走って行った。すると帰ってきた時には、もう扉が開かなくなっちゃって、スタジオに熊倉さんだけ残っている状態で放送が始まったの。しかも、よりによって、海賊がお姫様を犯すって役なんだよね(笑)。しょうがないから、クマちゃんが「おい、お前!」とか、お姫様の「あれ~、助けて」って台詞も全部自分でやったんです(笑)。

 

(第4回に続きます)

 

羽佐間道夫(はざま・みちお)
1933年生。舞台芸術学院卒。劇団中芸を経て、『ホパロング・キャシディ』で声優デビュー。以来、声優の草分けの一人として数多くの名演を披露。代表作に、シルヴェスター・スタローンを吹き替えた『ロッキー』シリーズほか、チャールズ・チャップリンの『ライムライト』、ディーン・マーティン、ポール・ニューマン、ピーター・セラーズ、アル・パチーノの吹き替えなど多数。2008年、第2回声優アワード功労賞受賞。

 

創声記_羽佐間道夫編

著:大野裕之

脚本家・日本チャップリン協会会長
チャップリン家の信頼もあつく、国内外のチャップリン公式版Blu-rayを監修。羽佐間道夫氏発案の「声優口演ライブ」の台本を担当する。著書『チャップリンとヒトラー』(岩波書店)で2015年第37回サントリー学芸賞受賞。映画脚本家としては、2014年『太秦ライムライト』で第18回ファンタジア国際映画祭最優秀作品賞受賞。

写真= 髙橋智英/光文社
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