第二章 ナンシロ ナンシロ(4)ハニーフラッシュ!
谷村志穂『過怠』

ryomiyagi

2020/08/14

『移植医たち』では移植医療、『セバット・ソング』では児童自立支援施設。谷村志穂が次に手がけるテーマは最先端の生殖医療。
幸せをもたらすはずの最先端医療が生んだ“かけ違え”。日本と韓国、ふたつの家族、母と娘……二人の女子学生の人生が未来が翻弄される――――。

 

第二章
ナンシロ ナンシロ(4)ハニーフラッシュ!

 

「私、計画がある。今度のタビケンの国内旅行で、博多に行くというアイデアを出してみる。力出すよ」
「それ、いいアイデアだね。応援しなきゃ」
 菜々子が指をぱちんと弾くと、横で、
「なんだ、俺行けないじゃん」
 謙太は拗ねて、コーラのグラスを手の中で転がす。底に残った液体が泡立つのを見て、菜々子が言う。
「ここは今日あと三十分だから待ってて。遊びに行こうよ」
 ジヒョンの反応は特別乗りがいいと言うわけではない。それでも嬉しそうに微笑んでくれる。

 

 

 仕事を終えた菜々子とジヒョン、謙太は三人でそのまま駅前の賑やかなビルに入ったカラオケ店に流れた。
 タバコ臭い空間で、一時間だけ、みんなで歌おうと決める。
 菜々子と謙太の独唱やデュエットを、ジヒョンは運ばれてきた大きなジョッキのチューハイのグラスを口に当てながら、時々手拍子をして楽しそうに見ていた。
「ねえ、ジヒョンも何か歌ってよ」
 菜々子が隣に座って、腕をつつく。
「日本の歌、私、知らないよ」
 カラオケのペタつく椅子の上で、もじもじしている。
「韓国ってカラオケあるのかな?」
 謙太は、ポテトチップスに手を伸ばしながら訊ねる。
「韓国では、電話ボックスに似てる、小さなカラオケ・ボックスがあるよ。高校生の時、帰り道、友達と行ったよ」
「そこではどんな歌を歌ってたの? ここにはないかな」

 

 

 すると突然、ジヒョンがモニターの操作を始めた。ジヒョンのことだから、何か演歌風の静かに曲を歌ってくれるのかと想像した。
「菜々子は、これ、歌える?」
 モニターの端に現れた曲のタイトルはなんとも意外なことに〈キューティーハニー〉となっている。
 弾けるような前奏が流れると、ジヒョンは立ち上がり、迷わずマイクを取った。
 満面の笑みで歌い始める。丸暗記しているようで、日本語の歌詞が流れるスクリーンには目も向けず、韓国語で歌っている。
 呆然と聞いていると、あっという間にサビに突入。
〈イヤよ
 イヤよ
 イヤよ 見つめちゃイヤー〉
 謙太が思わず日本語で口ずさむので、
 〈ナンシロ ナンシロ ナンシロ
 チョボダミョン シロー〉
 と歌い上げるジヒョンの韓国語と撹拌される。

 

 〈ハニーフラッシュ!〉
 振り付き。
 決まった、ジヒョン!

 
 謙太は弾けんばかりの笑顔で大拍手。
 一番を終えると、マイクは菜々子に回ってくる。日本語で歌詞を見ながら必死に歌い、サビは二人で、日韓の言葉でハモる。
 マイクを片手に持ったまま、互いに拍手。
 瞳が輝くジヒョンのことを、また好きになる。 

 

 

 放課後の部室、ハルが、ホワイトボードの前に立った。
「はい、前期の旅先ですが、最終候補二つ、どちらがいいか挙手お願いします」
 タビケンが行う前期の旅は、国内の穴場探しと毎年決まっている。
 丸テーブルを下級生たちが囲み、実習の続く上級生たちは、白衣姿のままそれぞれ椅子を正面に向けて座っている。
 今回、プレゼンテーションをしたのは五名。皆が発表をし終えた頃には、半地下のこのスペースから少し見上げる窓の外に、夕映えが広がっていた。
 五つの旅先が候補に上がったが、最後に残ったのは、西伊豆と、房総の岩井海岸の二つ。
 ジヒョンが提案した「福岡発 島巡りの旅 能古島 志賀島 糸島」はボードに書かれたきり、早々に候補から振り落とされてしまった。
 西伊豆は、「裸足で駆けてく 白砂ロングビーチ」というキャッチコピーで一年生が提案。踊り子号に乗って行き、宿泊先にはこぢんまりして清潔なペンションを借り切る。予算も一人二万円を切って、地魚も食べられる、という計画だ。
 岩井海岸も同様に、長距離バスで出かけて老舗の民宿を借り切る。プロジェクターに映った刺身の舟盛りは、相当豪華である。岩井は遠泳にもよく使われる穴場で、「その気になれば、遠泳も」というコピーを、こちらは三年生がぶつけてきた。
 夏休みの旅は、ハルら最終学年の集大成で、インドネシアからの船旅と決まっていることもあり、候補は予算が低く負担のない旅に絞られた。ジヒョンは必死で福岡行きを狙ったが、飛行機代が嵩むのと、島旅はインドネシアと重なるということもあり、皆を説得できる決め手には欠けていた。

 

 

「では、西伊豆で決まりね。一年生の案がはじめから通るって滅多にないよね。すごいと思う。おめでとう」
 ハルを皮切りに、皆拍手を送る。
 前髪をさっぱり切って額の秀でた男子が、立ち上がって頭を下げた。「それから、今年の夏は船旅ということで、念のために皆さんの健康チェックや血液型の再確認をお願いします。来週末、キャンパスに献血車も来るみたいなので、血液検査も兼ねて献血しておくのもお勧めします。ちなみに、私も久しぶりにドネーションする予定です」
 ハルはそう言って、部会を締めくくった。

 

次回につづく(毎週金曜日更新)
photos:秋
JASRAC 出 9012136003Y37021

谷村志穂『過怠』

谷村志穂

tanimura shiho
1962年北海道札幌市生まれ。北海道大学農学部にて応用動物学を専攻。1990年ノンフィクション『結婚しないかもしれない症候群』がベストセラーとなる。1991年『アクアリウムの鯨』発表し、小説家デビュー。紀行、エッセイ、訳書なども手掛ける。2003年北海道を舞台に描いた『海猫』で第10回島清恋愛文学賞を受賞。作品に『余命』『黒髪』『尋ね人』『ボルケーノ・ホテル』『大沼ホテル』『移植医たち』『セバット・ソング』など。『海猫』は故森田芳光監督により2004年、『余命』は生野慈朗監督により2009年映画化される。最新刊に『りん語録』。北海道・七飯町(大沼国定公園)観光大使、はこだて観光大使、北海道観光大使も務める。
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