第二章 ナンシロ ナンシロ(5)Rh+ O型
谷村志穂『過怠』

ryomiyagi

2020/08/21

『移植医たち』では移植医療、『セバット・ソング』では児童自立支援施設。谷村志穂が次に手がけるテーマは最先端の生殖医療。
幸せをもたらすはずの最先端医療が生んだ“かけ違え”。日本と韓国、ふたつの家族、母と娘……二人の女子学生の人生が未来が翻弄される――――。

 

第二章
ナンシロ ナンシロ(5)Rh+ O型

 

 窮屈な部室から部員が散っていき、
「お疲れ様。負けちゃったね」
 菜々子は帰り支度をしながら、いつも通りのんびり居残っているジヒョンの肩を叩いたが、その様子は案外清々して見えた。
「私の全て尽くして、負けたから、仕方ないよ。また勉強、勉強だ」
「手紙でも書いてみたらいいのに」
「だけど、手紙は、昔の人がやる方法でしょ。もらったらタケルくん、驚くからだめだ」
 ジヒョンは時々こんな風に、古い日本の人のような心遣いを口にする。
 仲がいいのは知っていたが、部会の報告まで家族にしているらしく、スマホに韓国語を打っている。一緒にいてわかってきたが、ジヒョンには四六時中家族からメッセージが届くし、彼女も何かにつけて報告している。韓国では、そんな密な関係が割と当たり前なのだそうだ。

 

 

「来週の献血、行く?」
 ジヒョンが訊ねてくるが、菜々子はその日、新しく始めたゴルフ場のバイトを入れている。
「ちょっと無理かも。インドネシアの旅費がまだ貯金できてないの」
「OK、じゃあ私、一人でドネーションしてくる」
 そのやり取りが、菜々子の心の中に少し掛かっていたからだろうか。ある日、課題を抱えて早めに帰宅しようと電車に乗ると、乗り換えの駅までの道に、これまで気づいていなかった献血センターの看板が目に飛び込んできた。
 新しく建ったビルの一階、全面ガラス張りの広々とした場所だ。
 そうか、わざわざキャンパスで受けなくとも、ここで済まそうと今更思いつく。
 ガラス扉を入っていって受付に立つと、問診票を渡される。
〈貧血 なし〉〈肝炎 なし〉〈体調 良好〉
 そして、〈血液型Rh+  O型〉と書き入れた。今まで血液型検査をしたことがなかったが、両親揃ってO型で調べるまでもない。
 待合室で十分ほど待つ間に、自分で血圧の測定もするよう言われ、血圧計に腕を通す。〈70-108〉と、若干低めだがその値にも問題はない。
 そうこうすると、白衣に身を包んだ医師がやってきて、献血ルームの一角、衝立で仕切られた空間に案内される。向かい合って座ると、問診票に書き入れた内容の再確認のような質問をされた。
「では、まずはじめに血液検査をさせてもらいますね。献血できる血液の濃さがあるかどうかを調べる手始めの採血です」
 なるほど、そういう下調べがあるのだと菜々子ははじめて知る。洋服を買いに行くために着る服を買いに行く、みたいな話だなと思う。
 麻のシャツをまくり上げ、献血台に腕を伸ばした。ちくりと針が刺さる。注射針の先の赤い血の滴が、白衣に紺色のカーディガンを羽織った看護師によって、直接簡易検査キットに落とされる。

 

 

「濃度は問題ないですね。あれ、ただ」
 看護師は問診票をもう一度見て、語尾を伸ばした。
「宮本さん、血液型はB型ですね。O型ではないです」
 そう言って、顔を上げた。
「いや、うちは両親ともO型なんで、それはないです」
 菜々子は医学生として、苦笑する。こんな簡単な検査で間違えているようでは、大丈夫なのかと心配になる。
 苦笑いに気づいて、看護師は少し気を曲げたようだ。
「なるほど。ご両親がね。では、もう一回検査してみましょうか?」
「ええ。お願いします」
 菜々子の答えで、すぐにもう一度針を刺された。
 針の先の血液が、検査キットに今度はもう少しだけ多く押し出された気がした。
 すぐに看護師が口にした。
「やっぱり宮本さん、B型ですよ」
 菜々子の顔に動揺が広がったのに、看護師は瞳を動かす。
「あくまで、こちらは簡易検査なので。正式な結果は後日ウェブサイトにログインして見ていただくか、郵送で送られる内容を確かめていただいてます」
 それでも言葉を失っていると、看護師は前髪をピンで留め直しながら言った。
「時々あるんですよ。ご両親が勘違いしていたり、昔は血液検査の精度も悪かったので、うっかり間違えられていたりで。どうしましょうか。このまま献血に移ってよければ、待合室をご案内します。ドリンクコーナーのものは全て無料ですから、カップ二杯分を目安に水分を摂取しておいてください。二十分ほどで、献血ルームに移ります」
 事務的に畳み掛けるので、後半は言葉だけが通り過ぎていくようだった。

 

 

 待合室でも、違和感を引きずっていた。父か母のどちらかが間違えて記憶しているのか、それとも彼らが昔受けた検査結果が正しくないのか。
 こんな時、ジヒョンの家族のようにすぐにメールでやり取りできるなら良かったけれど、今頃は旅館の夕食の支度で、キリキリ舞いしているはずだ。
 叔母に電話して確認しようかとも思ったが、先日の質問も宙ぶらりんにされたままだった。
 とりあえず菜々子はドリンクコーナーの紙カップで水を出し、立ったまま飲もうとした。喉が渇いているはずなのに、うまく飲み干せない。水に鉛のような風味を感じた。
 母に、両親のどちらかが血液型を間違えているようだと話すべきなのかもしれないが、どうにも気が引けた。何でも話してきた母娘ではないことを、こんな時に改めて実感する。
 その後の時間は、ずっとざらざらした違和感に包まれていた。
 献血スペースに移動してリクライニンチェアに座っていると、順番に血を抜かれていく人たちの様子が見える。スーツ姿のサラリーマン風の人や、自分と同じような学生風の人たち。それぞれ黙って腕を出して、天井を見上げている。
 皆、どんな気持ちで今は献血をしているのだろう。誰かに貢献したいという、ハルやジヒョンと同じ気持ちなのか。どうであれ、ここへ来てから、思っていた血液型と違った人は他にもいるのだろうか。
 菜々子は、どうにも釈然としない気持ちのまま血液を採取された。それからしばらく案内のままに休憩室で休み、「ラブラッド」と言う献血会員システムに、半ば上の空のまま入会した。
「はい、宮本さん、いいですよ」
 所定の時間が来たと、スタッフが帰宅許可を出す。献血者に提供されるアイスクリームを手付かずのまま返した。菜々子の心はざわついたままで、アイスクリームなんて食べたら本当に冷え切ってしまいそうだった。

 

 

 外に出てすぐ、謙太に電話をした。
「今、どこ? 電話していい?」
「全然いいよ。家でレポート書いてた」
 謙太が出てくれてよかったと菜々子は思わず泣きそうになる。いつも肝心な時に、謙太はいてくれる。もっと優しくしなきゃ。
「私ね、思っていたのと血液型が違ったんだ」
 電話の向こうで、謙太は何かに噎せた。
「何? じゃあ、O型じゃなかったの?」
「そう、Bだった。どう思う?」
「どう思うって?」
 と、訊き返した後に、謙太はただ、血液型占いにでも答えるように言ってくれた。
「そういえば、菜々子って案外Bっぽかったかも。何か能天気だし」
「Bっぽいのか、私は」
 そして続けた。
「でもさ、謙太。うちって両親ともO型なんだよ」
 電話の向こうで、謙太がまた噎せた。

 

次回につづく(毎週金曜日更新)
photos:秋

谷村志穂『過怠』

谷村志穂

tanimura shiho
1962年北海道札幌市生まれ。北海道大学農学部にて応用動物学を専攻。1990年ノンフィクション『結婚しないかもしれない症候群』がベストセラーとなる。1991年『アクアリウムの鯨』発表し、小説家デビュー。紀行、エッセイ、訳書なども手掛ける。2003年北海道を舞台に描いた『海猫』で第10回島清恋愛文学賞を受賞。作品に『余命』『黒髪』『尋ね人』『ボルケーノ・ホテル』『大沼ホテル』『移植医たち』『セバット・ソング』など。『海猫』は故森田芳光監督により2004年、『余命』は生野慈朗監督により2009年映画化される。北海道・七飯町(大沼国定公園)観光大使、はこだて観光大使も務める。
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