第9章 異邦人(1)弁護士
谷村志穂『過怠』

ryomiyagi

2021/03/26

『移植医たち』では移植医療、『セバット・ソング』では児童自立支援施設。谷村志穂が次に手がけるテーマは最先端の生殖医療。
幸せをもたらすはずの最先端医療が生んだ“かけ違え”。日本と韓国、ふたつの家族、母と娘……二人の女子学生の人生が未来が翻弄される――――。

※本記事は連載小説です。

 

第9章 
異邦人(1)弁護士

 

 病院では、通用門で出迎えられた。
 制服を着た女性の事務員が待っていて、エレベータで二階へと案内された。
 通された場所は、菜々子が先だって面会をした院長室ではなく、カーペットを敷いた重厚なカンファレンスルームだった。
 窓際の席中央には、高山義哲の息子である医長が資料を前に開き、首元のネクタイに手をやり座っている。今日は背広姿だ。その両脇には、それぞれ背広やスーツを着た男女が、並んでいた。

 

 

 医者が白衣を脱いで患者と向き合う理由が、これから明かされるのだと菜々子はふと感じた。
 高山の正面には母が、その向こうに父と弟が、母の左隣に菜々子が、その横にはサーちゃんも同席していた。
 あらかた想像していたことだが、担当医であったはずの、あの老院長は、今日は同席していなかった。

 

「一体、どういうことなんでしょう」
 数秒たりとも待ちきれぬように口火を切ったのは、母だった。
 高山の横で、弁護士を名乗る男が二人と女が一人、続けて名刺を出してきた。
「宮本みずき様ですね。こちらがご主人様、お嬢様、そしてご子息でしょうか」
 順番に手で示し、最後はサーちゃんを見て、どなたでしょうかという具合に訊ねてくる。
「この子の叔母です。みずきの妹です」
 と、菜々子の肩に触れて本人が答えた。
「今日はまず、こちらの高山氏より委任されました、私どもでお話を進めさせていただきたいと思います」
 月見里(つきみざと)という珍しい苗字の弁護士が、眼鏡のブリッジに手をやりながら話し始めた。

 

「まず、こちらで1996年6月23日にお生まれになった宮本菜々子様が、大学病院の施設などを利用してご自身で検査をなさった結果、DNA親子鑑定においても、血液型においても、ご両親との親子関係が認められないという判定を受けた。その因果関係の調査をしてほしいと、やはり菜々子様ご自身がこちらに申し出をされた。それで間違いなかったですね。1月12日、妊娠検査の受診を希望する形で訪ねられ、こちらの医長にその申し出をされて、そういう経緯でしたね」
「そうですよ」
 菜々子は、淡々と答えた。
「本来ですと、DNA親子鑑定は、改めてこちらサイドでも結果を出してからこのお話をすべきだと思いますし、後日再鑑定は必要になりますが、宮本菜々子様が現在すでに医学生であり、今現在の鑑定結果を重く受け止めるという高山氏のご判断に基づいて、早速今日の場を設けさせていただいております」
 月見里は、そんな恩着せがましい言い方をした。
「まず、当時のカルテは院内に保管されてございました。宮本みずき様は、凍結受精卵の胚移植を用いた人工受精を、三度繰り返した時点で、妊娠が認められました」
 この説明は、坂上(さかうえ)という苗字のショートカットの女の弁護士が始めた。耳に揺れる真珠のピアスをつけていた。
 横で母が、和服の膝の上のハンカチを握りしめたのが菜々子には見えた。

 

 

「何を間違えたのか、はっきり言ってくれませんか? 何かを間違えたわけですよね?」
 父が、弁護士たちを見て、少し震える声でそう言った。
「まちがえ、た」
 菜々子の隣では、サーちゃんがその言葉にすら傷ついているようにそう呟いていた。
「承知しました。何かを違(たが)えた可能性のお話をさせていただきたいと思います。我々の調査の結果、こちらの病院では、1996年の時点では、産後は母子同室が取り入れられておりました。みずき様、ご記憶と違っていませんね?」
「そうです。すぐにこの子が、菜々子が運ばれてきました。ピンクの縁取りのあるガーゼの肌着まで覚えています。髪の毛の癖も。私が産んだ子が運ばれてきたんです」
 坂上は、隣の月見里に向かって資料を指差すと、同意を求めるように頷いた。その時、ピアスが耳元で揺れるのが、菜々子には目障りだった。

 

「最も高い可能性から申し上げます」と、言って、彼女は資料のページをもう一度慎重に見て、こう続けた。
「この日、胚移植が行われた1996年7月31日です。診療記録によりますと、担当医である高山義哲氏は、ふた組分の受精卵を二人の患者様に移植されています。その際、受精卵の取り違えが生じた可能性を示唆させていただきたいと思います」
「どういうことでしょうか」
 父が身を乗り出したと同じように、菜々子も、今は動揺で頭がうまく回転しておらず、平易な言葉で言い直して欲しいと感じていた。
 それに、こんなことは医師本人が話すべきだと思った。老院長本人が。この間だって、あんなに元気にコーヒーのお代わりを頼んで菜々子と話していたのだから。

 

 

「つまり申しますと、別のご夫婦の受精卵が、宮本みずき様の母体で育てられ、出産されたという可能性がある、ということです」
 母はその場で両手で顔を覆った。声にならないような、うめき声をあげた。
「あなたたちは、何を言っているかわかっているんだろうね」
 父が机を幾度も叩いた。菜々子は、そんなに興奮する父をはじめて見た。そして、そんなに言葉を失ってしまう母も、これまで見た覚えがなかった。二人はシーソーみたいで、やはり夫婦なのだった。父の背に弟が腕を回す。

 

「続けさせていただきます。宮本家ご夫妻の受精卵は、同日、もうひと方の患者様へと移植された可能性があります。そちらも順調に母体で生育されて、ほぼ近い日にこちらの病院で出産を迎えられています」
「そっちが僕らの子だっていうのかね。その方々は、どこにいるの? 今日はここにいないのか?」
 父は落ち着きなく立ち上がり、部屋の中や扉の方を見渡した。
「ここからは、さらに複雑な話になりますが、もうひと組のご夫妻は、国籍が違っております」
「どこの国?」
 父の性急な問いかけに、弁護士同士が再び顔を合わせ、
「もうひと組のご夫婦は、韓国籍の患者様になります」と、回答した。
 菜々子の中に、鑑定結果が出た日の准教授川原の言葉が蘇った。

 

 ――日本人としてはかなりレアな、稀なアリールになってる。

 

 きつく締まっていた紐の結び目が、緩み、解けた、そんな感覚があった。

 

 

「家内の腹に、韓国人を移植したというのかね」
 父がそう言ったとき、菜々子は胸に疼きをを覚えた。疼きの理由はひとことでは言えない。それが自分のことなのだから、という意味もあるが、父が口にした韓国人という言葉に、反韓、嫌韓の感情に、すでに動揺している自分がいた。
「あなた、それは菜々子なの。何人とか関係ないのよ。その子が菜々子なの。わからないの? 私、もうこれ以上、聞きたくない」
 母の声と、隣で目を覆うサーちゃんとの間で、菜々子自身が呟いた。
「今は全て可能性の話ですよね。今日はもうここまでにしてもらえませんか? 親子鑑定をもう一度行うのも、無意味だと思います。必要なら、担当してくれた准教授からもエビデンスをもらいます」
 弁護士たちが、医長と顔を見合わせて話し合っていた。
「それでしたら、今のところは、未確定の話であるという認識でご了解いただけますね?」
 訴えたり、世間に晒すなと念を押しておきたいようだった。

 

 

「あんたたち、そんなミスをしておいて、謝る気もないんだね」
 弟が、初めて口を開いた。

 

毎週金曜日更新
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谷村志穂『過怠』

谷村志穂

tanimura shiho
1962年北海道札幌市生まれ。北海道大学農学部にて応用動物学を専攻。1990年ノンフィクション『結婚しないかもしれない症候群』がベストセラーとなる。1991年『アクアリウムの鯨』発表し、小説家デビュー。紀行、エッセイ、訳書なども手掛ける。2003年北海道を舞台に描いた『海猫』で第10回島清恋愛文学賞を受賞。作品に『余命』『黒髪』『尋ね人』『ボルケーノ・ホテル』『大沼ホテル』『移植医たち』『セバット・ソング』など。『海猫』は故森田芳光監督により2004年、『余命』は生野慈朗監督により2009年映画化される。最新刊に『りん語録』。北海道・七飯町(大沼国定公園)観光大使、はこだて観光大使、北海道観光大使も務める。
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