プロローグその2
新堂冬樹『動物警察24時』

いかなる理由があろうとも「動物虐待」など許さない!
そんな人の心がひとつの組織となった。
動物を身を張って守る、それがTAP——東京アニマルポリスなのだ。

 

 

 涼太の気持ちはわかる。
 万が一、ということもある。
 犯人を取り押さえるのが遅れて、アンソニーが被害犬になる可能性も考えられた。
 だが、現行犯でなければ犯人を逮捕できないので仕方がなかった。
 璃々は、中年女性と五、六メートルほど距離を空けてあとをつけた。
 園内のスクエアな空間には、涼太の報告通りにベンチで寝ているホームレスの男性と、反対側のベンチでスマートフォンのゲームに夢中になっているスーツ姿の男性がいるだけだった。
 アンソニーは、二人から二十メートル以上離れた公園の片隅のジャングルジムに繫がれていた。
 ほかにも滑り台、バケット型ブランコ、象やパンダの乗り物もあるが、ジャングルジムにアンソニーを繫いだのは監視カメラから死角になっている唯一の遊具だからだ。
 中年女性は、アンソニーから四、五メートルのところにあるサークルベンチに腰を下ろし、緑茶のペットボトルを取り出し飲み始めた。
 サークルベンチの背後――二台並んだ自動販売機の陰に身を潜めている涼太の存在には、気づいていないようだ。
 璃々は、サークルベンチから十メートルほど離れた公衆トイレに身を隠した。
 本当は中年女性との距離を詰めたかったが、対象にはもちろん、アンソニーにも気配を悟られてはならなかった。
 人間の一億倍はあると言われている犬の嗅覚は、すぐに主人の匂いを感知するだろう。
 アンソニーの歓喜の行動で中年女性に感づかれたら、これまでの苦労が水泡に帰してしまう。
 自動販売機の陰に潜む涼太と中年女性との距離は二、三メートルなので、武器を取り出してから飛び出しても彼の脚力なら十分に間に合う。
 璃々は、警棒式スタンガンが収まるウエストホルダーに手を当てた。
 対象が凶器を手にしていたり激しく抵抗した場合、または動物に危害を加えようとしていた場合のみ、TAPではスタンガンの使用が認められていた。
 ほかには、対象を拘束するための革手錠を携行していた。
 中年女性がサークルベンチから立ち上がると、アンソニーのほうに歩み寄った。
『確保しますか? どうぞ』
 涼太から伺いを立てる通信が入った。
「まだよっ。武器を取り出すまで動かないで。どうぞ」
『それじゃ間に合わないかもしれないですよっ。アンソニーが被弾したらどうするんですか! どうぞっ』
「そうなったら、ペナルティよ! どうぞ」
『そんなぁ……わかりました。ラジャー……』
 力ない涼太の声が途切れた。
 中年女性は、犬好きのおばさんのように腰を屈めアンソニーの頭を撫でていた。
 本当に、犬好きのおばさんかもしれない。
 ゴルフバッグには、ゴルフクラブが入っているのかもしれない。
 だが、その確率はかぎりなく低いと璃々の経験が告げていた。
 五年前……TAPに入るまでの璃々は動物医療の専門学校に通い、動物病院で動物看護師として働いていたこともある。
 虐待や放置で傷つき、衰弱した犬や猫が死に逝く現場に立ち会うたびに璃々は無力感を覚えていた。
 動物たちが身と心に傷を負う前に救いたい。
 目の前で物言えぬ彼らの命が消えるのを見るたびに、璃々はやり切れぬ思いになった。
 そんなとき璃々は、日本で初めての動物警察が実験的に東京都の管轄下に置かれるという情報を耳にした。
 募集人員は男性職員が三十人、女性職員が三十人の合計六十人で、応募資格は病院の検診で異状がないという証明書を貰うことと、四年制大学もしくは動物医療の専門学校を卒業していることだった。
 東京で動物警察が成功をおさめたら、ゆくゆくは日本全国に派出所形式で支署を拡大してゆくという計画らしかった。
 璃々が倍率十倍を超える難関を突破できたのは、専門学校を卒業し、認定動物看護師の資格を持つキャリアが有利に働いただろうことは間違いなかった。
 職務柄、虐待で傷ついたりネグレクトで衰弱している動物を救出することが多いので、獣医の知識があったほうがいいのだろう。
 合格したからといって、すぐにアニマルポリスになれるわけではない。
 上部団体の東京都福祉保健局の指導のもと、三ヶ月間の研修期間を経なければならないと取り決められていた。
 研修内容は、「東京アニマルポリス」の理念と役割についての講習を受ける基礎研修Ⅰ。
 犬、猫、エキゾチックアニマル、鳥類、爬虫類(はちゅうるい)、両生類の種類、性質、注意事項などの講習を受ける基礎研修Ⅱ。
 動物愛護相談センターや市民からの通報にたいしての受け答えマニュアル、調査、容疑者への接触、尋問、張り込み、逮捕・拘束までの流れなどの講習を受ける基礎研修Ⅲ。
 警察署、交番への協力依頼、容疑者の引き渡しなどの講習を受ける基礎研修Ⅳ。
 動物病院への協力依頼、被害動物の搬送などの講習を受ける基礎研修Ⅴ。
 動物取扱業、特定動物の監視、指導、販売、貸し出し、訓練業者などの登録、監視、指導の講習を受ける専門研修Ⅰ。
 ライオン、熊、ワニなど危険な特定動物の飼養、保管の許可や監視、指導の講習を受ける専門研修Ⅱ。
 人間と動物との共通感染症の予防と調査の講習を受ける専門研修Ⅲ。
 畜舎等の監視、指導の講習を受ける専門研修Ⅳ。
 TAPには、動物愛護相談センターにはなかった警察の全面協力が約束され、事件の捜査権と容疑者の逮捕・拘束権が与えられた。
 動物愛護相談センターは虐待されている動物を保護する権利自体はあったが、容疑者が拒否した場合の強制連行権はなかった。
 強硬に抵抗する容疑者から動物を保護するには、警察に協力を仰ぐしかなかったのだ。
 つまりTAPは、動物愛護相談センターと警察が合体したような組織だった。
 四年前の四月、晴れて璃々は渋谷区代々木の山手通り沿いに建つ五階建てのビルを本署とした、「東京アニマルポリス」の職員となった。

 

『もしかしたら、ただの犬好きなだけかもしれませんね。どうぞ』
 左腕の通信機から聞こえる涼太の声が、璃々を現実に引き戻した。
 涼太がそう思うのも、無理はなかった。
 中年女性がアンソニーをかわいがり始めて、既に十分が過ぎていた。
 声をかけるときのトーンの高さも、耳の裏や顎の肉の揉みかたも犬好きのそれだった。
「いいえ、犬好きを装っているだけよ。どうぞ」
 だが、動物医療専門学校で数多くの犬や猫を見てきた璃々の眼はごまかせなかった。
『どうしてですか? あのかわいがりかた、演技に見えませんけど。どうぞ』
「アンソニーをみなさい。何度もあくびをしているでしょう? どうぞ」
『リラックスしているんじゃないんですか? どうぞ』
「あんた、TAPに所属するまではトリマーやっていたんだよね? 犬があくびをするのは緊張しているときが多いこと知らないわけ? 寝起きのあくびは単なる眠気だけど、人に触れられているときのあくびは緊張している証(あかし)よ。それに、鼻をペロペロ舐めているのも不安な気持ちの表われよ。動物は言葉で伝えることができないんだから、もっと気持ちを読めるようにしなさい。どうぞ」

 

(つづく)毎週木曜更新中

動物警察24時

新堂冬樹(しんどう・ふゆき)

金融会社を経て、「血塗られた神話」で第7回メフィスト賞を受賞して作家デビュー。
『無間地獄』『闇の貴族』『カリスマ』『悪の華』『聖殺人者』など著書多数。近著に『極限の婚約者たち』『カリスマvs.溝鼠 悪の頂上対決』など
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