可愛がってくれる里親を待つ犬たち その10
新堂冬樹『動物警察24時』

BW_machida

2020/07/02

いかなる理由があろうとも「動物虐待」など許さない!
そんな人の心がひとつの組織となった。
動物を身を張って守る、それがTAP——東京アニマルポリスなのだ。

 

 

 三十秒くらい匂いを嗅がれていた璃々の左の視界に、シベリアンハスキーの雑種の姿が入った。
 璃々の隣にお座りし、正面を見ているようだった。
 警戒心が緩んだ証だ。
 だが、ここで彼を正視してはならない。
 璃々も正面を向いたまま、そっと背中に手で触れた。
 瞬間、ビクッとしたが避(よ)けはしなかった。
 璃々は、ゆっくりと背中を撫でた。
 強張(こわば)っていた筋肉が、じょじょに弛緩してゆくのが掌(てのひら)越しに伝わった。
「ありがとう。わかってくれたんだね」
 ハスキーの雑種の頭を撫でつつ、璃々はそっと立ち上がった。
 ふさふさとした尻尾が、地面で大きく左右に弧を描いた。
 ボスに従い、ほかの犬達もおとなしくお座りしていた。
「あなた達も、住みやすくしてあげるから、ちょっとの間、我慢してね」
 璃々は犬達に言い残し、サークルの外に出た。
「もう、先輩……寿命が縮まっちゃいましたよ~」
「それより、この子達が先よ」
 言い終わらないうちに璃々は、テリア系の雑種とラブラドールレトリーバーの雑種の脈を取り始めた。
 二頭とも、弱いが拍動が指の腹に伝わった。
「こっちは大丈夫。そっちは?」
 璃々は、涼太に視線を移した。
「二頭とも、大丈夫です!」
「ラブ君は佐々木さんと一緒に清潔な水と餌をこの子達にあげてちょうだい。私と涼太は、この子達を『動物病院』に連れて行くから」
「え……また、中に入るんですか?」
 天野が、表情を強張らせた。
「もう、この子達は私達が敵じゃないってわかってくれたから。あとは、ラブ君が怖がらなきゃ平気よ」
「怖がらなきゃって……怖いですよ」
 天野が、半泣き顔で言った。
「か弱い国民を守るのが、あなたの役目でしょ? さ、行くわよ」
 璃々はニヤリと笑い、涼太を促し台車を押した。
「お前ら、人の庭でなにを勝手なことをやっておるんじゃ!」
 正面に、ステテコ姿に雪駄(せった)履きの老人が現れた。
 右手には、雨も降っていないのにビニール傘が握られていた。
「あ、父さん、この人達は動物警察の人で、僕が頼んできて貰ったんだよ」
 佐々木が、老人に歩み寄った。
「お前は盗人(ぬすっと)の片棒を担ぐのか!」
 老人がビニール傘を振り上げ、佐々木の背中に振り下ろした。
「ちょっ……父さん、そうじゃないって……」
「お父さん、やめてください!」
 素早くダッシュした天野が、ふたたび佐々木の背中に振り下ろされたビニール傘を摑んだ。
 犬のときとは違い、別人のような行動力だった。
「離さんか! 泥棒が! わしの犬は一匹たりとも渡さんぞ!」
「ラブ君、離してあげて」
「でも、危ないですよ」
「大丈夫。ね? おじいちゃんは、女性に暴力なんて振るいませんよね?」
「わしの犬をさらうつもりなら、おなごでも腕の一、二本、叩き折ってやるわい!」
 老人の顔は赤らみ、息が酒臭かった。
「おじいちゃん、私達は泥棒じゃありません。この子達のお世話をしにきたんですよ」
 璃々は言いながら、天野に離れるように目顔で合図した。
 天野が、渋々と老人のビニール傘から手を離した。
「誰がそんなこと頼んだ!? 世話ならわしがしとるわ!」
 老人が口角泡を飛ばし、ビニール傘でサークルの中を指した。
 酔っているので、いちいち声が大きかった。
「どこがですか? ゴミだらけ糞尿だらけで、ボウルには水も入ってませんよ」
 璃々は、老人を刺激しないように冷静な声で状況を説明した。
「たまたまじゃ! いつもは水も切れんようにしとるし、ゴミも糞も落ちとらん!」
「じゃあ、この子達はなんですか? 骨と皮だけになって、倒れていたんですよ?」
  璃々は、台車の上に横たわる中型犬を指差した。
「喧嘩でもしたんじゃろうて。朝見たときまでは、無事だったからのう」
  老人が嘯(うそぶ)いた。
「すみません。いまは、おじいちゃんと話している暇はないんです。この子達を病院に連れて行きます。後日、改めて伺いますから。涼太」 
 璃々は早口に言うと、涼太を促し台車を押した。
「わしの犬を勝手に連れて行かせんぞ!」
 老人が両手を広げて、璃々達の行く手を遮った。
「誰の犬であっても、死にそうになっている子を見殺しにはできませんっ。ご自分の犬だというのなら、どうしてこんなになるまで放っておくんですか! とにかく、この子達は保護して病院に連れて行きますっ」
「許さんぞ! わしの犬を……」
「父さん、もうやめてくれよっ。この人達は、父さんの犬を助けにきてくれているんじゃないか!」
 佐々木が、老人の前に歩み出て訴えた。
「お前は騙(だま)されておる! こやつらは、わしの大事な子供達をさらってガス室送りにする気じゃぞ!」
 老人が、ビニール傘で璃々達を指しながら興奮気味に言った。
「そんなこと、するわけないじゃないか! 逆だよ。弱ったり病気になってる犬達を、動物病院で治してくれるんだからさ。なあ、父さん、頼むから、この人達を行かせてあげてくれ」
 佐々木が、根気よく老人を諭(さと)した。
「わしは信じんぞ! わしは知っておる! こやつらはうまいこと言って、人の犬を動物病院で殺す気なんじゃ!」
 老人が、ビニール傘の先を璃々、涼太、天野に突きつけた。
「父さん、いい加減にしないと……」
「ここは、私に」
 老人に詰め寄る佐々木を、璃々はやんわりと制した。
「おじいちゃん。息子さんからお聞きしました。最愛の奥様が亡くなられたつらい日々を救ってくれたのが、この子達だというお話を。そんな子供達が、ストレスで喧嘩して怪我をし、不衛生で病気になり、餌も水もなく栄養失調で命を落としかけています」
 璃々は、老人の瞳をみつめ切々と訴えた。
「じゃから、わしがお前らから大事な子供達を守っておるんじゃないか!」
 老人が、駄々っ子のように地団駄を踏みながら叫んだ。
 妻の名前を出した瞬間に、明らかに老人は動揺していた。
「そのお気持ちは信じます。でも、おじいちゃんがやっていることは、哀しみに暮れる旦那さんに生きる活力を与えるために奥様が遺(のこ)してくれた宝物の光を、消そうとしているんですよ? それがわかりますか?」
「黙れ黙れ黙れ!」
 老人がきつく眼を閉じ、激しく頭を振った。
「いいえ、黙りません。眼を開けてくださいっ、しっかりと、奥様の宝物達の姿を見てください!」
 璃々の迫力に気圧(けお)されたように、老人が眼を開け二台の台車の上とクレートの中で横たわる四頭の犬に視線をやった。
「聞こえますか? この子達の哀しみの叫びが? あんなに優しく、自分達の世話をし、散歩して遊んでくれたおじいちゃんが、全然、姿を見せてくれない。お腹減ったよ、喉渇いたよ、寂しいよ……おじいちゃんに会いたいよ。この子達の声が、聞こえませんか?」
 璃々は、一言一言に祈りを込めた。
 胸奥に生きているはずの、犬達への愛情を忘れていない頃の老人に想いが届くように。

 

(つづく)毎週木曜更新中

動物警察24時

新堂冬樹(しんどう・ふゆき)

金融会社を経て、「血塗られた神話」で第7回メフィスト賞を受賞して作家デビュー。
『無間地獄』『闇の貴族』『カリスマ』『悪の華』『聖殺人者』など著書多数。近著に『極限の婚約者たち』『カリスマvs.溝鼠 悪の頂上対決』など
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