第一話 新宿の朝(1)
中森明夫『東京トワイライトエイジ』

​東京の黄昏を生きるすべての世代のために!  昭和/平成グラフィティー。
アイドル、ライター、カメラマン、作家、エディターたちが繰り広げる、あのころの物語――。
『東京トンガリキッズ』の中森明夫が贈る渾身の青春小説、連載開始!

 

 

 椎名林檎の『歌舞伎町の女王』という歌がある。

 

 JR新宿駅の東口を出たら
 其処はあたしの庭 大遊戯場歌舞伎町

 

 このくだりを聴くと、思わず苦笑してしまう。
 実際、新宿へ行ったことのある方なら、おわかりだろう。
 JR新宿駅の改札は地下にある。東口を出て、地上への階段を昇ると、そこは駅前のロータリーだ。はとバス乗り場があって、黄色いバスが停まっていたりする。新宿通りをはさんで、アルタのビルの巨大モニターが見える。角っこには百果園。パイナップルの切り身に割りばしを突き刺して売っている。
 脇の道に入って、しばらく歩く。靴屋、質屋、DVDショップ、手打ちめん、マツモトキヨシ、バイオリン屋……靖国通りが見えてくる。通りの向こうにデンと現れるのは、激安の殿堂ドン・キホーテだ。半アーケードには〈歌舞伎町ゴジラロード〉とある。向こうにかつての新宿コマ劇場、今では東宝シネマズ新宿のビルがそびえ、屋上には巨大なゴジラの頭部がぬっと顔を出している。
 そうだ、やっとここが歌舞伎町なのだ。
 椎名林檎が唄うように「東口を出たら」、そこは歌舞伎町……なわきゃない。少なくとも、歩いて五分はかかる。
 でも、まあ、わかるよ。歌の世界なんだ。イメージの地図さ。現実とは違う。新宿駅を出たら、パッと目の前に大遊戯場がある。そこで歌舞伎町の女王がきらめいている。
 なるほど新宿はイメージ、虚構の街だ。
 そうだろ、椎名林檎?

 

 

 一九七五年、十五歳で私は上京した。三重県の海辺の小さな街から、突如、大都会へ。カルチャー・ギャップにびっくらこいた。
 五歳上の兄がいて、東京の私立大学に行っている。一緒に住めばいい、と私大の付属高校を受験して受かった。
「おまえさ、通学かばんがいるだろ? 俺のダチにもらってやるよ」
 兄貴は言う。
 新宿歌舞伎町の薄暗い店へ連れられていった。店内にはタバコのけむりがもうもうと立ちこめている。男たちが卓を囲んでパイをかきまぜていた。雀荘、マージャン店だ。
「へえ、君が弟かあ? はい、かばん」
 兄貴の友達のぶしょうヒゲの大学生が、紙袋に入った中古の通学かばんを手渡してくれた。
「あ、す、すんません」
「弟くん、勉強がんばって」
「お兄ちゃんみたいにマージャン大学に横滑りしないよーに(笑)」
「何、言ってんだよ、るっせーな」
 男たちは軽口を叩き、パイをかき混ぜ、すぐにマージャンに夢中になっていった。
「おまえさ、一人で帰れるだろ?」
 兄貴に言われ、う、うん、とうなずき、私は雀荘を出た。歌舞伎町からJRの……いや、当時は国電の新宿駅まで、歩いて五分、ほんの目と鼻の先である。
 しかし、上京直後の十五歳、おまけに私は方向音痴だ。すぐに迷った。GPSもスマホもない。地図も見あたらない。夕暮れの街をうろうろするばかり。人口数千人の片田舎の街から、突如、大都会の人ごみに放り出された。スカスカの街で生まれ育った私は、人口密度の濃さにむせて「人酔い」してしまう。
 日は暮れ、空は暗くなり、次々とネオンがともる。けばけばしいイルミネーションの大洪水だ。半裸の女体の看板が笑っている。化粧の濃い夜の女、人相の悪い男、客引き、ヤクザ、ポン引き、ホスト、浮浪者、ふらふらとして何かわめいている、酔っ払いオヤジ? ヤク中? 田舎では見たことのない怪しげな人種がいっぱいあたりを回游している。びびった。とても道なんて訊けやしない。
「どうしたの、ボク? 道に迷った? 案内してやろうか?」なあんていう心やさしい歌舞伎町の女王なんざ、いやしなかったよ。
 途方に暮れて、さまよい歩く。ひたすら、うろつく。足はふらふらで、汗びっしょり、目はうつろで、泣きそうだ。どれほど迷っていたか……一時間? 二時間? 気の遠くなるような時の流れだった。
 ああ、ここは迷宮か? 出口のないこの世の果てか?
 それが私の東京とのファースト・コンタクト。
 そう、新宿との出逢いだった。

 

(つづく)

 

(注・椎名林檎『歌舞伎町の女王』/作詞・椎名林檎、作曲・椎名林檎より引用)

東京トワイライトエイジ

中森明夫

作家/評論家。三重県生まれ。1980年代から、ライター、エディター、プロデューサーとしてさまざまなメディアで活躍。著書に、『アナーキー・イン・ザ・JP』、『東京トンガリキッズ』、『アイドルになりたい!』などがある。Twitter:@a_i_jp
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