第一話 新宿の朝(2)
中森明夫『東京トワイライトエイジ』

​東京の黄昏を生きるすべての世代のために!  昭和/平成グラフィティー。
アイドル、ライター、カメラマン、作家、エディターたちが繰り広げる、あのころの物語――。
『東京トンガリキッズ』の中森明夫が贈る渾身の青春小説、連載開始!

 

 

 父は田舎街の名士だった。大正末年の生まれで、尋常小学校卒、息子たちを東京の学校へやっているのが自慢だったろう。
 小さな酒屋を開いて、母と二人、リヤカーを引っ張るような貧しい暮らしから、高度成長にのって繁盛した。従業員を何人も雇い、店舗を増やした。
 あの小さな町の町長になるのが、父の夢だった。PTA会長を務めたり、ライオンズクラブの地区会長になったりした。ライオンズクラブ? そう、田舎の小金持ちや地方名士が入るボランティア団体で、年末のパーティーでは、いい歳をしたオッサンたちが変テコな帽子をかぶり集う。各家庭ごとのテーブルに座り、名字+ライオンと称され、たとえば「山田ライオン!」と司会に呼ばれると、山田一家が立ち上がり、あるじが両手を高々と上げて「ウォーッ!!」とライオンのように吠える。お笑い草だ。
 変テコな帽子をかぶり、両手を上げて「ウォーッ!!」と吠えている――幼い日の私が見た、成功者としての父の姿だった。
 父は忙しく働き、時にはかんしゃくを起こしたように怒り、恐かった。ぎょろっとした目で、赤ら顔で、壮健だ。子供たちとは打ち解けない。がんこおやじである。私は父と腹を割って話した記憶がない。二人きりになると、気づまりだ。十五歳で上京を決意したのも、そんな父から逃れたかったのかもしれない。
 高校受験の時、父は私につきそって上京した。ダブルのスーツに身をかため、ひょうたん柄の趣味の悪いネクタイを締めている。ひょうたんのコレクションが父の自慢だった。
 父と兄と私の三人で、東京都内を廻った。あれはどこの駅だったろう? 当時としては珍しい自動改札機をくぐった。兄の動作を真似て、おそるおそる切符を投入口に入れ、そそくさと通る。私の後ろの父は、改札機の仕組みがわからず、切符を手にしたまま扉を強行突破してしまった。けたたましくブザーが鳴り、駅員が飛んできた。
 父の憮然とした表情、兄の困り顔が、強く印象に残っている。父は同時、五十歳だ。ダブルのスーツに身をかためた田舎街の名士も、自動改札機ひとつくぐれない。二十歳の兄より劣る。そう、この東京では――。
 兄と私の住むアパートは、東中野にある。中央線の赤い電車から、新宿で各駅停車の黄色い電車に乗り換えなければならない。兄、私、少し遅れて父が、ホームに立った。
 その時だ。若者たちの一団が、どどっとホームに押し寄せてくる。兄も私も、とっさに身をよけた。振り返ると、父がいない。見失った。どうやら逃げ遅れ、若者たちに取り囲まれてしまったようだ。
 先頭のリーダーらしき男が、奇声を上げた。それを合図にみんなしゃがみ込む。バッグから取り出したヘルメットを一斉にかぶった。学生運動の組織、いわゆるセクトだったのだろう。新宿駅のホームにびっしりと埋まるヘルメットの群れ。そのはざまに、ダブルのスーツの田舎男――そう、五十歳の父がぽつんと立ちつくしている。呆然とした顔で。
 それは呆れるほどに奇妙で滑稽で、なんともグロテスクな光景だった。今でも時折、新宿駅のホームに立つと、あの日の父の姿が甦ってくる。

(つづく)

東京トワイライトエイジ

中森明夫

作家/評論家。三重県生まれ。1980年代から、ライター、エディター、プロデューサーとしてさまざまなメディアで活躍。著書に、『アナーキー・イン・ザ・JP』、『東京トンガリキッズ』、『アイドルになりたい!』などがある。Twitter:@a_i_jp
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