第一話 新宿の朝(3)
中森明夫『東京トワイライトエイジ』

​東京の黄昏を生きるすべての世代のために!  昭和/平成グラフィティー。
アイドル、ライター、カメラマン、作家、エディターたちが繰り広げる、あのころの物語――。
『東京トンガリキッズ』の中森明夫が贈る渾身の青春小説、連載開始!

 

 

 一九七五年にも、あんな光景があったんだな。学生運動が退潮して、内ゲバの頃だ――といっぱしの文化評論家となった今の私ならわかる。だが、当時の十五歳の上京少年には意味不明で、ただ、目を丸くしているだけだった。

 一九七〇年の新宿は、学生たちの政治闘争で騒然としていた。西口広場にはフォークゲリラが現れて、肩を組んでプロテストソングを合唱する。

 一九八〇年になると、若者たちは髪を切り、YMOのテクノポップがピコピコと鳴って、東京はTOKIOへと変貌する。

 しかし、一九七五年には……何もなかった。

 

 めぐるめぐるよ 時代はめぐる

 

 もっとも時代が見えなかったあの年、中島みゆきは『時代』を唄っていた。

 

 上京すると、ほどなく私は学校へ行かなくなった。私大の付属高校の先生はいばっていたし、生徒はハンパな不良もどきのボンボンばかりだ。話が合わない。

 本屋さんの片隅で、「ぴあ」というぺらっと薄い雑誌を見つけた。東京の情報誌だという。映画が安く観られる名画座のスケジュールがびっしり載っていた。地図もある。こりゃ、すごい! 「ぴあ」を片手に、学校をさぼって、名画座をめぐるようになった。

 「ぴあ」は上京した私にとって最初の友達になった。いろんなことを教えてくれる。名画座だけじゃなくて、ライブハウスや小劇場やイベントホールや……こいつについていけば、東京の面白いところへどこでも行けた。

 私が学校をさぼってばかりいても、同居する兄は何も言わない。両親は遠い故郷にいる。

 十五歳で、私は、自由だった。

 やっと東京の街にも慣れた。新宿へもよく行っている。歌舞伎町をすいすいと泳ぐように通り抜け、どうしてこんなところで迷ったんだろう? と首を傾げ、今さらながら苦笑した。

 しかし、そんな日々は続かない。

 学校から田舎の両親に通報が行ったのだ。息子さんが登校していないと。東京へと飛んできた父は、問答無用で私を殴った。高校へ私を引っぱっていき、これからはちゃんと登校させますんで、どうか息子を堪忍してやっておくんなさい――と担任の教師にぺこぺこ頭を下げる。私はじっとうつむいていた。

 夕刻、父と新宿へ出て、食事をした。歌舞伎町の片隅の雑居ビルの二階にある、定食屋のような、居酒屋のような、どうでもいい感じの店だった。店内はすいている。隅っこのテーブルで若い男二人と女一人が突っ伏していた。ビールびんやお銚子が倒れている。男らは髪が長く、サイケ調の柄のシャツを着て、女はバンダナを巻き、奇声を上げて笑う。意味不明のうわごとを呟いていた。

 父は若者らを一瞥すると、顔をゆがめ、目をそらす。離れたテーブルに座った。父が焼魚定食を、私がトンカツ定食を注文して、無言のまま差し向かいで食べた。 「ほら、見てみい」

 食事を終えて、父が言う。店内にはテレビがついていて、ニュース番組が流れていた。画面には、メガネをかけたヒゲの老人が映り、何かぼそぼそとしゃべっている。 「……この……げんしばくだんが、とうかされたことにたいしては……えー、いかんにはおもってますが……えー、こういうせんそうちゅうであることから、どうも、ひろしまけんみんにたいしては、きのどくではあるが、やむをえないことと、わたくしはおもっています……」

 父は目を細め、「陛下や」と言う。

 〈天皇陛下、訪米後記者会見〉のテロップが出ていた。

「この御方のために、わしらは軍隊に入って、戦争へ行ったんや」

 うっとりした表情で言う。

「上官に殴られたしな、名誉の負傷もしたんやぞ」

 父は、片隅のテーブルの若者らをチラ見すると、ふんと鼻を鳴らして、また目をそむけた。

 窓の外では、すっかり日が暮れている。

 テレビから流れる天皇陛下の訥々としたしゃべり声と、泥酔した若者たちの時折、上げる奇声が、新宿の夜に入り混じっていた。

 

(つづく)

 

(注・中島みゆき『時代』/作詞・中島みゆき、作曲・中島みゆきより引用)

東京トワイライトエイジ

中森明夫

作家/評論家。三重県生まれ。1980年代から、ライター、エディター、プロデューサーとしてさまざまなメディアで活躍。著書に、『アナーキー・イン・ザ・JP』、『東京トンガリキッズ』、『アイドルになりたい!』などがある。Twitter:@a_i_jp
関連記事

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitterで「本がすき」を

RANKINGランキング