第一話 新宿の朝(4)
中森明夫『東京トワイライトエイジ』

​東京の黄昏を生きるすべての世代のために!  昭和/平成グラフィティー。
アイドル、ライター、カメラマン、作家、エディターたちが繰り広げる、あのころの物語――。
『東京トンガリキッズ』の中森明夫が贈る渾身の青春小説、連載開始!

 

 

 その後、私がちゃんと学校へ行くことはなかった。ずるずるとまた、さぼり始め、遂にはアパートを出る。高校を中退した。父ももうあきらめたようだ。バイト暮らしで生きていく。新宿近辺が本拠地だ。二十歳と年齢を偽って、いろんな仕事に就いた。一九七〇年代の労働環境なんて、そりゃいい加減なもんだ。
 十七歳の時だった。
 バイト先のスナックで、中年男の客に声かけられる。話が弾んだ。西園寺さんと名乗り、画家だという。
「ねえ、君、仕事が終わったら、ウチで呑み直さないかい?」
 そう誘われ、警戒した。当時の私はひょろっとして、目が大きく、自分で言うのもなんだけど、そこそこもてた。男にも。がらすきの映画館なのに、なぜか隣に男が座って、ふいに手を握られたり、抱きすくめられたりした。
「えっ? それ、どこの映画館? いったい何を観たの?」と西園寺さんは訊く。
「えーと、たしか西口の新宿パレスって名画座で、『真夜中のカーボーイ』と『真夜中のパーティー』の二本立てでした」
 あちゃー、と西園寺さん。
「そこ有名なソッチ系の人たちのハッテン場で、危険な二本立てだよ~!」と笑った。
「俺にソッチのほうの趣味はないから」という言葉を信じて、ついていった。大久保駅から十分ほどのアパートだ。焼酎の水割りを出してくれた。つまみはアタリメだ。
 西園寺さんは四十歳ぐらいだろうか? たれ目で蓬髪、やさしげな風貌で、笑みを絶やさない。色のあせたTシャツを着ていた。酔いが廻ると、饒舌になる。芸術、哲学、社会、歴史、政治と博識で、何でも知っていた。
「君はさあ、レニ・リーフェンシュタールって知ってる~? この人はすんごいよ~。大変な、まあ、女性アーティストでね~……」
 やたら語尾を「よ~」とか伸ばし、すっとんきょうにしゃべる。インテリぶらずに、愛嬌があった。押し入れからキャンバスを取り出してくる。自作の絵を見せてくれた。油絵の風景画だ。細密に描かれてはいたが、それがいいものかどうか、私には判断がつかない。
 夜も更けて、アパートに女性が帰ってきた。同棲相手だという。池袋のデパートに勤める二十代半ばの人で、ひどく疲れた顔をしていた。「あっ、どーも」とそっけなく言うと、すぐに隣の三畳間に引っ込んで、彼女は寝てしまう。
 その夜、私と西園寺さんは呑み明かした。
 すっかり仲良くなった。時折、大久保のアパートを訪ねたが、いつ行っても、西園寺さんはいる。昼間っから呑んでいて、私も一緒に酔っ払った。それから、この世の森羅万象について語り合った。
 十七歳の何者でもない自分と、こうして、いつもきちんと向き合ってくれる四十歳の芸術家――ああ、こういう人がいるんだな。この東京には……。
 大久保の安アパートが知的刺激に満ちたサロンだった。あれは若き日の私にとって、かけがえのない宝物のような時間だった。半年ほどもそんな二人の関係は続いたろうか?
 ある日、大久保のアパートへ行くと、誰もいない。空室になっている。唖然とした。えっ、引っ越すなんてまったく聞いていない。
 西園寺さんは忽然と姿を消した。きつねにつままれたような気分だ。
 バイト先のスナックのマスターに訊いた。
「西園寺さんって画家のお客さんがいたでしょ、どこへ行ったか知りませんか?」
 画家? とマスターはけげんそうな顔をした。
「西園寺? ……ああ、あのオッサンか? おまえ、なんで知ってんの?」
「ええ、仲良くしてもらって、よく西園寺さんのアパートで呑ませてもらってたんですよ」
 マスターは吹き出した。
「画家なんて言ってんの、あいつ? こりゃ、いいや。あのなあ、あのオヤジ……ヒモだよ」
 えっ?
「若い女のとこへ転がり込んで、仕事もしないでぶらぶらして、昼間っから酔っ払ってなあ。女のとこ転々として、だまして食いものにして、まあ、常習犯さ。ありゃ有名なサギ師だぜ。この店でも他の客にたかって、金払わないし、出禁にしたよ」
 そんな……。
「おまえも、すごいな。ヒモにたかって、酒呑ませてもらうなんて……ヒモのヒモだなあ、あははははは……」
 愕然とした。

(つづく)

東京トワイライトエイジ

中森明夫

作家/評論家。三重県生まれ。1980年代から、ライター、エディター、プロデューサーとしてさまざまなメディアで活躍。著書に、『アナーキー・イン・ザ・JP』、『東京トンガリキッズ』、『アイドルになりたい!』などがある。Twitter:@a_i_jp
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