akane
2019/03/21
akane
2019/03/21
そういえば、西園寺さんに連れていってもらった店がある。「ただで呑めるところがあるから」と言って、誘われた。
新宿の大ガードから職安通りのほうへ向かい、路地に入って狭い道をいくつか曲がるとたどり着く。外壁が全部真っ黒で、窓に目張りがしてある。看板がない。ここが店? マジか? 参ったな。怪しすぎる。とてもフリでは入っていけない。近づいて見ると、黒い木の扉には星形のもようがちりばめられていた。
ギィと扉を開け、西園寺さんについて入る。狭い店内は薄暗い。奥にカウンターがあって、手前にテーブルが一つ、ソファーに何人かの人影が揺れていた。ぷんとお香の匂いがする。奇妙なインド音楽のようなものが流れていた。
西園寺さんは奥のカウンターへ私を連れていき、座らせる。
「やあ、社長、これ俺の友達」
カウンターの向こうの店主らしき男に声かけた。
真っ赤なシャツを着ている。年齢不詳だ。白髪の長髪で、頭頂部がはげ、顔色が青い。頬がそげ、鼻がとがっていて、やせた鳥のような男だった。無表情だ。細い目で、じっと私を見ている。
「……何歳?」
「え、えー……二十歳です」
男は何も言わない。あせった。しばしの間、店主の冷たい瞳に射すくめられる。
「……本当は? 何歳?」
「あ……す、すんません……十七歳です」
観念したように、もらした。
とがった鼻を動かして、小さくうなずき、店主はカウンターに何か飲み物を出してくれた。西園寺さんが、ぽんと私の肩を叩く。どうやら面接に合格したようだ。
冷汗をかき、一気にドリンクを飲みほす。ミントの味がつんとして、アルコールが身にしみた。
ただで呑めるのはいいけど、二度と来たくないな。不気味すぎる。それっきりだった。
数か月後、そんな店へ私は一人、意を決して入る。西園寺さんが失踪したのだ。仕方がない。
まっすぐカウンターへ行く。真っ赤なシャツを着た鳥のような男は、相変わらず無表情だった。
「あのー、僕を連れてきてくれた……西園寺さん、知りませんか? 急に消えちゃって……」
男は何も言わない。黙ったままドリンクを作ると、目の前に置いた。
しばらくして、ようやく口を開く。
「……知らない」
やっぱりダメか。私はドリンクを飲んだ。舌を刺す強い味で、視界に火花が散った。何だ、これ? 急速に酔いが廻る。
「ショーネン、こっちで呑もうよ」
背後から肩を叩かれ、ソファーへ移った。薄暗い店内に目が慣れると、何人かの顔が見える。ヒゲ、長髪、サングラス、タトゥー、怪しげな大人たちがひそひそ囁いている。細いタバコのようなものを廻して吸っていた。手渡され、私も一服吸ったが、むせて気持ち悪くなる。くらくらした。店内に流れるギターのとんがった音が鼓膜を突き刺す。
もう、いい加減にしろよ、ネコ……ふとった赤ら顔のインディアンのような男が呆れている。い……いいかげん? て、なにかげん? ははは……あんたかげん、あたしかげん? ははは、ははは……すっとんきょうで、声が幼い。女の子だ。ソファーの端っこに座っている。肩を露出したピンクのワンピースで、片ひざを立て、汚れたパンツが見えた。長い金髪で、肌が異様に白い。ひどくやせている。不健康だ。ラリっている。笑うと、歯がぼろぼろだった。
ネコ? ミネコって名前だから、ネコって言うんだよ。こいつ、ウリで食っているんだよなあ。ウリ? ああ、おっさんとかと……一回、千円だっけ? 食ってるったって、クスリばっかだけどよー。ショーネンより若いんじゃないの……えっ、十五歳? まさか中学生!? ほんとか、ネコ? 知らないよ、忘れまちた~……トシなんて。あたち、バカだから。十以上、数えられないから~……おまえ臭いぞ、いい加減、風呂入れよ……やでちゅ~、ネコはお風呂にはいりまちぇん~……。
声の断片が次々と耳に突き刺さってくる。めまいがする。目の前が明滅して揺れている。酔っているのか? さっき呑んだ強烈なドリンクのせい? いや、あの細いタバコのようなの? ふるえが止まらない。落ちる。消える。意識が飛びそうだ。
でぶのインディアンが奇声を上げて、ギターが高鳴り、ドラムの音が響きわたった。ネコがテーブルの上に飛び乗る。音楽に合わせて踊る。次々と服を脱ぎ捨てる。男たちは口笛を吹き、足を踏み鳴らし、歓声を上げた。少女の裸体は貧相だ。鳥がらみたい。痛々しい。見ちゃいられない。なあ、ショーネン、おまえも踊れよ……拒否したが、男たちに捕まって、服をはぎ取られる。無理矢理、テーブルに乗せられた。ああ、気持ち悪い。もう、嫌だ。もう、どうでもいい。裸でテーブルの上で、ネコにしがみつかれた。こりゃ、いいや、チャイルドポルノだな……インディアンが笑う。少女の細い腕が首に巻きついて、顔が近づき、ぺろりと鼻をなめられた。鳥肌が立った。ああ……ああ、もうダメだ。落ちる。落ちる。真っ暗な闇の底へと、落ちていった。
寒い。冷たい。目を覚ますと、道端に寝ていた。ああ……裸じゃない。大丈夫だ。一応、服は着ている。新宿の路地裏だった。頭上には、夜明けの前のダークブルーの空が……。
横を向くと、金色が見えた。長い金髪が寝ている。ネコだった。手脚も顔も汚れている。ピンクのワンピースがはだけていた。道端に捨てられた人形みたいだ。
ひどいな。あいつら。子供をもてあそんで、こうして放り捨てていったのか……。
身を起こし、少女の肩に手をかけ、揺さぶった。おい、大丈夫か? 風邪ひくぞ。反応はない。仰向けのまま、長いまつ毛を伏せている。生きてるんだろうなあ? しばらく、そうしていた。路上に並んで、寝ていた。誰もいない。しんとしている。
んー、とうなり声がした。ぱっとネコが目を開けた。大きな瞳だった。異様に澄んでいる。道端に落ちた宝石のようだ。
夜明けの新宿の空が、少女の瞳にくっきりと映っていた。
(つづく)
株式会社光文社Copyright (C) Kobunsha Co., Ltd. All Rights Reserved.