第一話 新宿の朝(6)
中森明夫『東京トワイライトエイジ』

​東京の黄昏を生きるすべての世代のために!  昭和/平成グラフィティー。
アイドル、ライター、カメラマン、作家、エディターたちが繰り広げる、あのころの物語――。
『東京トンガリキッズ』の中森明夫が贈る渾身の青春小説、連載開始!

 

 

 十七歳、無職。時々、バイト。

 いつも新宿にいた。路地裏を這い廻っていた。終電を逃すと、オールナイトの映画館や、深夜喫茶へ行った。珈琲貴族や王城やパリジェンヌや、どうして真夜中の新宿の喫茶店はみな高貴な名前をしているんだろう?

「お客さまのキムさま~、キムさま~、リーさまからお電話が入っております~」

 そんなアナウンスがしょっちゅう流れる。客は人相の悪い男と、ケバいお姉ちゃんばかり。ヤクザ同士の発砲事件があったとかで、店員の態度はみんなよかった。というか、客を恐れていたのか? じゅうたん(絨緞)バーならぬ、じゅうだん(銃弾)喫茶と呼んでいた。

 真夜中の新宿で、一人、補導員やヤクザから逃げ廻っていた。金が無いと、公園のベンチで寝た。路上で寝たこともあった。そう、ネコとの時みたいに。目を覚ますと、朝の光がまぶしい。

 新宿の朝は美しい――と言った詩人がいる。冗談じゃない。歌舞伎町なんてひどいもんだ。道端はゴミだらけで、カラスの群れが突っついている。ネズミが走り廻る。立ち小便や、酔っ払いの嘔吐物でまみれている。夜の闇とネオンで虚飾にいろどられていた街は、朝の光で醜い正体を暴かれる。化粧の濃い夜の女が、陽の光で無惨に老いた素顔をさらされるように。

 新宿の朝は残酷だ。夜はやさしい。

 なんとか起き上がって、新宿駅へと向かう。始発電車に乗るために。健康な朝の顔をしたサラリーマンやOLが駅からいっぱい出てくる。その人群れの流れに逆らって、私一人が駅へと向かう。夜を引きずったまま。

 同じ新宿の朝でもまったく違う。奴らにとっちゃ午前六時でも、私には三〇時だ。同じ場所ですれ違っても、違う時間を生きている。十七歳の私の体を流れる血液は、新宿の夜の精分によって汚染されていた。

 誰かの視線を感じる。じっと見ている。何者でもない私を。汚れた顔をしたこの小僧を。西口の地下道だった。壁に埋め込まれた巨大なガラスのオブジェだ。目の形をしていて、どういう仕組みか瞳の中心がくるくると回転している。

 “新宿の目”と記されていた。

 へえ、新宿は一つ目なのかい? 私は近寄って見た。見つめ返した。“新宿の目”を。

 それとも、もう一つの目は、どこかにあるのか? 地上に? あるいは、片目をつむっていて、ここではない、どこか別の場所の夢でも見ているのだろうか?

 “新宿の目”は何も答えない。ガラスの瞳をくるくると回転させて、ただ、じっと私を見つめているだけだ。

 

「さっぱり、わけがわからなかったですよ」

 画家の西園寺さんと話したことがある。名画座でフランス映画を観た後だ。

『彼女について私が知っている二、三の事柄』という奇妙なタイトルだった。

 うーん、と頭をかいた後、「彼女って誰かわかる?」と西園寺さんは訊く。

 あのー、映画に出てきた主婦の売春婦でしょ?

「違うよ~」

 えっ?

「……パリのことさ」

 絶句した。

「パリは女性名詞なんだよ。つまりさ、パリって……娼婦なんだ」

 知らなかった。街にも性別があるなんて。

 すると、どうだろう。

 新宿は――。

 男だろうか、女だろうか?

 

(つづく)

東京トワイライトエイジ

中森明夫

作家/評論家。三重県生まれ。1980年代から、ライター、エディター、プロデューサーとしてさまざまなメディアで活躍。著書に、『アナーキー・イン・ザ・JP』、『東京トンガリキッズ』、『アイドルになりたい!』などがある。Twitter:@a_i_jp
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